その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はクリスティアン・グラタルー(著)、野村真依子、広野和美(訳)、辻󠄀森樹(日本語版監修)の『 大人類史 地理学で読み解く必然の歴史、偶然の歴史 』です。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
人類拡散の地歴史学
これからお読みいただくのは、地理学者による歴史の物語である。著者が以前にレザレーヌ出版社の「歴史」シリーズから刊行した『地球史マップ』(辻森樹監修、日経ナショナル ジオグラフィック、2024年)に続くものであり、それらの内容をさらに発展させたものが本書である。前作と同様に、単に歴史上の出来事が生じた場所を示すことにとどまらず、各社会の歴史が、その社会の存立する地域の地理的特性にどのように影響されてきたかを明らかにすることを目指している。
地理学者の本来の役割は、現代の社会を研究し、その空間的構造を読み解くことである。しかし本書では、その手法を過去に応用し、歴史的な事実を現代の社会構造に照らして再考する。このような試みから、私たちはおそらく何らかの教訓を引き出すことができるはずである。
人類は、より効率的な交通・通信手段を生み出し、また特定の地域に活動を集中させる都市化によって、空間的距離を縮めてきた。とはいえ、どの社会にも、地理的に近接する他社会と、遠く隔っている他社会が存在する。近隣で生じた出来事の影響を免れることはできず、逆に自らの社会が他者に及ぼす影響もまた避けがたい。ただし、その影響が平和をもたらすのか戦争を引き起こすのか、また国境が開かれているのか閉じられているのかといった状況によって、社会のあり方は大きく変わってくる。いかなる社会も、近隣社会の数が多く、かつそれぞれの社会の人口密度が高ければ、相互作用が活発となり、歴史はより急速かつ本質的に変化しやすくなる。これに対し、孤立した社会では、少なくとも一定の期間においては自立的な世界が形成され、変化よりも再生産が優先されやすい傾向にある。ほかの社会との接続性の強弱や関係性の密度からは、その社会の活力や動態を読み取ることが可能である。すなわち、歴史を地理と切り離して論じることはできない。
さらに、地球上に存在するのは人類だけではない。人類は、生物圏と呼ばれる、生命の存在が可能な固体地球表層のごく薄い層に属している。生物圏は、地殻の数十メートル下層から海洋を経て、大気圏中の数キロメートルまでで、生命はこの限られた領域にしか存在しない。しかも、人類の歴史は、この限られた生物圏に多大な影響を及ぼしてきた。最近まで、私たちは地球の状態に無意識でありすぎたが、環境危機を前にして、その重みを否応なく思い知らされる。人類の歴史は、やはり地球環境と無関係ではいられない。
本書は、ふたつの観点から、歴史を総合的に考察するものである。ひとつは水平方向の観点、すなわち地球上のさまざまな社会間の関係─境界線と争い、人間やモノ、技術の拡散と征服──に着目する。もうひとつは垂直方向の観点であり、家畜化、鉱山、稲田、汚染について考える。これらふたつの視点を組み合わせることで、歴史の物語は実感を伴うものとなる。また、海流や航海士、山岳、砂漠、征服者、酷寒の冬、そして農民など、いくつかの歴史的な事象や社会的な事柄についてもふれる。
したがって本書は、歴史の旅への誘いであると同時に、過去の地理を読み解くための書籍でもある。それこそが、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルが提唱した「地歴史学(ジオイストワール[仏]/ジオヒストリー[英])」の発想である。地球上の人間の歴史を描くには数百ページでは到底足りず、また世界史を単純に要約することは不可能である。私は、地歴史学者であると自己紹介すると驚かれることが多いが、「特定の時代にこだわらず、自然科学の知見も軽視せず、自分の望む形で歴史を研究したかったので、地理学を選んだ」と述べて補足している。私が人間の冒険とその痕跡を探る物語に強く惹かれるのは、子どもの頃に繰り返し読んだC・W・ツエーラムの『神、墓、学者──考古学の物語』(1949年、邦訳は中央公論社)や、さまざまな世界を旅する想像をかき立ててくれた地図帳の魅力によるところが大きい。
本書が取り上げる時代と空間は、時間的にも地理的にも極めて広範である(先史時代から現代に至るまで、かつ地球全体を対象とする)。このため、内容が単純化されすぎている、あるいは概要にとどまっていると批判される可能性もある。しかし本書は著者1人によって執筆されているため、複数の執筆者による概説書には見られない、一貫した視点を特徴としている。おそらく、単一著者としての私の役割は、専門医というより総合医に近い。総合医は、患者を1人の人間として全体を見ながら診断し、最も適切な治療方針を導き出す。つまり、著者が提示する歴史物語も、環境、経済、地政学、人口、文化といった分野を個々に記述するのではなく、歴史と地理の関係を総合的に捉え直し、全体としての構造を明らかにしようとするものである。
さらに本書では、実際の歴史と並んで、反実仮想の歴史(ユークロニア)にも言及する。カンタン・ドゥリュエルモーとピエール・サンガラヴェルーによる著書に見られるような、「ありえたかもしれない歴史」を語ることも、決して無意味ではない。歴史には、大きな偶然はそれほど多くなくとも、小さな偶然は無数に存在する。たとえば1492年頃、アメリカ大陸の諸民族と旧世界の住民が数千年ぶりに接触した際、それがヨーロッパ人ではなく中国人であったなら、その後の世界はどうなっていたか──こうした仮説は、歴史的背景を踏まえている限り、歴史理解を深めるうえで十分に妥当な考察と言える。
本書は、地球全体の先史時代から将来に至るまでを視野にいれた一般向けの書籍である。このため、注釈は挿入しない構成とした。また、情報の出典すべてを明記すると、情報量が膨らみ、読者の読解を妨げかねない。そのため参考文献についても同様に省略する構成とした。あわせて、本書が著者と同分野の研究者や専門家に向けた学術書ではないことも付記しておきたい。本書は、人類の過去に関心をもち、これからの世界に不安を感じている一般の読者の皆さんに向けて書いたものである。子どものような好奇心を持つ読者にとって、本書が大きな喜びと、決して消えることのない幸福をもたらすことを、著者として心から願っている。
では、よい旅を!
【目次】


