その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は似鳥昭雄さんの『 運は創るもの 似鳥昭雄 私の履歴書(日経ビジネス人文庫) 』です。

【はじめに】

 ニトリホールディングス(HD)はおかげさまで2015年2月期の決算で28期連続の増収増益を達成することができた。円安や消費増税、人手不足などニトリにとって逆風ばかり。不安だらけの年度初めだったが、原料調達から商品開発まで、あらゆる改善で何とか乗り切った。

 ニトリは1972年に100店・売上高1000億円という30年計画を作り、03年に1年遅れで達成。13年には300店を達成し、今は3000店・3兆円という次の30年計画へ向けて動いている。「成功の秘訣は何ですか」とよく聞かれるが、ロマンとビジョンを掲げ、「他社より5年先をゆく」経営を進めてきた結果だと自負している。

 こう話すと頭脳明晰(めいせき)な経営者のイメージを与えるかもしれないが、実は逆。飲み込みが悪く、子供の頃はすさまじい劣等生だった。少なくとも20代半ばまではビジョンとは一切無縁の男だった。数年前、小学校4年生まで通った幌北小学校(札幌市)の担任だった熊坂昌子(よしこ)先生のご家族からこんな趣旨の手紙をもらった。

 「私はニトリ社長の小学校時代の担任をしていた女性の孫です。祖母がよくこんな話をしていました。クラスで1人だけ漢字で名前を書けないのは似鳥君だけで、教えても教えても覚えられず、結局ひらがなで書いていました。あの似鳥さんが北海道で成功している。何でなんだろう。そのいきさつが聞きたいとよく話していました」

 熊坂先生は店には何度か連絡したが、こちらのミスでつながらなかったらしい。結局熊坂先生は数年前に亡くなってしまった。自分の名前を漢字で書けなかったことはすっかり忘れていたが、勉強がからっきしできなかったのは事実。もっと早く知っていれば、お会いできたのに残念でならない。お孫さんにはお礼のために直接お会いした。

 劣等生だった私がなぜ成功できたのか。今回の履歴書では半生を振り返り、熊坂先生の疑問に答えていきたい。今も飲み過ぎるし、遊び好き。だらしない性格も変わっていない。逆に何もできないから、色々な人の力を借りながら成功できたと思う。家内からは「あなたは人が普通にできることはできないけど、人がやらないことはやるわね」とからかわれる。

 ニトリの1号店が開業したのは1967年(昭和42年)。当時は極度のあがり症でうまく接客ができない。ところが嫁入りした家内の百百代(ももよ)が販売上手で、私は仕入れや物流などの仕事に専念できた。もし私が販売上手だったら、街の人気店で終わっていたかもしれない。「短所あるを喜び、長所なきを悲しめ」は私の好きな言葉だ。

 それから人生の師匠である、チェーンストア理論の日本での普及に多大な貢献をした渥美俊一先生に出会えたこと。先生の考え方が「人生をかけるに値する」と信じ、忠実に経営に生かした。賢くないので、あれこれとリスクは考えずに突っ走ることができた。幼少期、青年期はいじめにも遭ったが、忘れっぽい性格も事業には向いていたかもしれない。七転八倒の人生で、今では信じられないような「悪さ」もやらかした。人並みのことができない問題児の若気の至りと受け止めていただければ、幸いである。

 書籍化に当たってタイトルを「運は創るもの」とした。仕事で失敗したり、思うような結果を出せなかったりすると、人は「私は運が悪い」と考えがちだ。確かに運も大きい。私自身、ここまでニトリを成長させることができたのは80%が運だと思っている。だがそれは偶然の産物ではない。「運は、それまでの人間付き合い、失敗や挫折、リスクが大きい事業への挑戦など、深くて、長く、厳しい経験から醸成される」というものでもある。出版に際して、日本経済新聞での連載では入りきれなかったエピソード、後に思い出した秘話などを盛り込んだ。読んでいただき、読者の皆様に元気を与えることができたらこれに勝る喜びはない。

2015年8月 似鳥昭雄


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示