その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は楠木建さんの『 経営読書記録 表 』です。

【はじめに】

 地下鉄で吊革にぶら下がり、目の前の席に座っている一列を見ると、全員がスマートフォンを見ている。スマートフォンがないころだったら、何人かは本を読んでいただろう。

 僕の両側に立っている2人の男性はというと、どちらも僕と同じぐらいの年格好のスーツ姿。右側の男性はスマートフォンでパズルゲームをしている。左側はハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』を読んでいる。あれっ、と思った。僕が読んだのと表紙が違っている。タイトルも『イェルサレムのアイヒマン』から『エルサレムのアイヒマン』に変わっている。新版が出ていることを知り、早速スマートフォンで検索。すると、ベッティーナ・シュタングネト『エルサレム〈以前の〉アイヒマン』というナイスな本が出ているのを発見。両方とも迷わず発注した。

『エルサレムのアイヒマン』とスマホゲーム──傍目には同じような初老男性だが、人生の豊かさという点で、この差は大きいように思う。ま、このときはたまたまそうだっただけで、もしかしたら右は家でアーレントの『全体主義の起源』を読み、左はゲームに熱中しているのかもしれない。

 なぜ本を読まないのか。答えは単純、読書よりも楽しいことがいっぱいあるからだ。裏を返すと、僕がのべつ本を読んでいるのは、読書よりも楽しいことが(僕にとっては)他にあまりないからだ。

 どうせ楽しいことをやるなら自分の生活と人生を豊かにしてくれるものの方がイイ。ほとんどの人にとって、読書はパズルゲームよりも意味があるはずだ。しかし、読書という行為は事後性が強い。いろいろな本を読んでいくうちに、ようやく読書に固有の価値が分かる。いよいよ読書が楽しくなる。そうこうしているうちに、読書が習慣になる。問題はいかに事後性を乗り越えるかにある。

「積ん読」という行為(正確に言えば非行為)がある。買って手元に置いてあるのになかなか読めない。なぜか。あっさり言ってその本を「読みたくない」からだ。僕の本棚にも馳星周『黄金旅程』が長いこと置きっぱなしになっていた。大スキな競走馬、ステイゴールドをモデルにした小説──これは読まなくては、と入手した。にもかかわらず、1年ほど積ん読状態にあった。新幹線で長い時間移動しなければならないとき、車中で読む本が見当たらなかった。慌てて本棚に残っていた『黄金旅程』を鞄に突っ込んで家を出た。題材が題材なのでもちろん面白かった。それでも、私小説は別にして(西村賢太の私小説が大好物)、小説というジャンルにはどうも興味が湧かない。

 とくに教育的指導をしたわけではないが、娘と僕は非活動的で読書好きな室内生活者であるという点で共通している。彼女は僕と違って小説をよく読む。ジャンルの好みの違いはあるものの、部屋の中でじっと本を読んでいるのが幸せというのは僕とよく似ている。

 娘が子供のころ、夏の休暇はしばしばビーチリゾートに行った。朝食を取ると、娘と僕は夕方までプールサイドで本を読む。驚くべきは彼女の読書持久力だ。僕は1時間に1回は読書を中断して3分ほどプールに入ったりするのだが、娘は読み始めたら日が暮れて本が読めなくなるまでぶっ続けで長編小説にトリップする。読む速度も滅法速いのだが、彼女の持久力にはついていけない。

 一緒に本屋に行くことがあれば、彼女が読みたいという本はだいたい買ってあげていた。それでも限度というものがある。お小遣いにも限りがある。彼女に積ん読はなかった。本を買って帰宅すると、いつも即座に読み始めた。読みたくて仕方がない本しか買わない(買えない)からだ。

 本を読まなければいけないと思っているのだけれど、なかなか読書習慣が身につかない──これは最初のところでつまずいている。「読まなければいけない」という時点でもうダメ。そう思っているうちは読書の事後性は克服できない。無理して読むよりも、まずは読書の楽しみを体に分からせるのが先決だ。

 おすすめは「1時間・1万円作戦」だ。休みの日や仕事の帰りに時間をつくって、大きな書店に行く。最低1時間はうろうろしてみる。あらかじめ予算は1万円と決めておく。で、漠然と興味があるジャンルを中心に、その書店にある本を片っ端から眺める。

 大切なことは一つだけ。「これは話題の本だから読んでおいた方がよさそうだ」とか「役に立つだろう」「これは勉強になるのでは」「読んでおかなくては」という本には絶対に手を出してはいけない。「武器としての読書」とかいうのがいちばんよくない。読書と別に目的があって、その手段として本を読む──面白くないに決まっている。読書の事後性を乗り越えるためには、まずは読むこと自体が目的になっていなければならない。

 選ぶべきは「今すぐにどうしても読みたい本」だけ。書店であれば本を手に取って中身をチェックできる。最初の数ページをざっと読むだけでOK。「今すぐに」と「どうしても読みたい」の2つの基準でピンとこなければ絶対に買ってはいけない。スルーして、すぐ次の本に行く。

 こうして1時間も書棚を渉猟していれば、「今すぐにどうしても読みたい本」が5冊ぐらいは見つかるだろう。1冊もなかったという人はそもそも読書に向いていない。本なんか読まずに、仲間との対話、スポーツ、旅行など、別の意義ある活動で人生を豊かにした方がイイ。

 1万円あれば5冊は単行本が買える(文庫や新書だともっと買える)。迷わず全部買う。で、帰宅する。家に着いたら、すぐに買った本を読み始める。「今すぐにどうしても読みたい本」なのだから、読まずにはいられないはずだ。我慢できなければ、途中で喫茶店に寄って読んでもイイ(僕は西村賢太の新作が出るとよくこれをやった。この愉悦が味わえなくなったのが実に寂しい)。5冊読み終えるころには、読書のリズムができてくる。

 脳内でリズムが減衰しないうちに、また本屋に行く。で、同じことをする。くれぐれも「今すぐにどうしても読みたい本」だけを選ぶ。このルーティンを5回ぐらい繰り返せば、読書の楽しみが自然と体に沁み込み、読書が習慣化する。いったん読書OSがインストールされてしまえば、次から次へと読みたい本が出てくるはずだ。

 本との出合いの場として最良なのは、今も昔も書評だ。

 僕の最初の書評集『室内生活 スローで過剰な読書論』を上梓してから4年近くが経過した。本書は、それ以降の4年間で書いた書評のほぼすべてを収録してある。書き溜めていた書評の分量があまりに多く、「表」と「裏」の2冊に分けての刊行となった。わがままを聞き入れてくださった日本経済新聞出版の永野裕章氏に感謝している。表バージョンの本書は、書籍解説と雑誌の書評欄の連載、新聞・雑誌・オンラインメディアに書いた書評を集めた。個人で運営しているブログに書いた書評を中心に収録した裏バージョンも併せてお読みいただけるとありがたい。

 僕が書評を書く動機は、自分がその本から得た価値を他者と共有することにある。僕にとっての優れた書評の基準はただ一つ、「書評を読んだ人がその本を読みたくなるか」だ。本書が読者にとって「今すぐにどうしても読みたい本」と出合うきっかけとなることを願っている。

  令和五年秋  室内にて
楠木 建


【目次】

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