その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はラジェンドラ・シソーディア、ジャグディッシュ・シース、デイビット・B・ウォルフ(著)、齋藤慎子(訳)、星野佳路(序文)の『 愛される企業 社員も顧客も投資家も幸せにして、成長し続ける組織の条件 』。星野氏の「日本語版序文」と著者の「はじめに」をお届けします。

【日本語版序文】
「良い経営」とは何か

星野リゾート代表 星野佳路

 ビジネスに携わる人で、本書を手にした人ならば皆、「良い経営者」になることを目指しているはずだ。
 その姿は、ビジョンを示し、社員のやる気を引き出し、企業を競争優位に導き、継続的に業績を高めることができる人。その結果として、社員、株主、投資家、サプライヤーからも信頼され慕われる経営者だろう。私たちは、スポーツ選手がよりうまい選手になるために日々練習するのと同じように、良い経営者になるために毎日努力している。

 本書は、これからの時代に強い企業をつくり維持するために必要なアプローチについて書かれている。読んでみて私が感じることは、戦略的能力だけではなく、経営者の人としての価値観が、今まで以上に企業競争力に大きく影響する時代になったということだ。「良い経営者の定義」のアップデートが求められているのである。

 タイトルにある「愛」という言葉に、ビジネスセオリーらしからぬ違和感を持つ人も多いかもしれない。原書では「Firms of Endearment」であるので、たしかに愛であり、英文でも似たような違和感を醸し出している。しかし、その違和感こそが著者の狙いなのだと感じる。良い経営者の定義をアップデートしようというときに、その方向性を示すもっともストレートで刺激ある言葉を使ったのだ。
 しかし、本書を読んでいくうちに、愛という言葉で表現されている内容は、心のつながり、絆(きずな)、尊敬といった意味であることがわかる。すべてのステークホルダー(顧客、従業員、サプライヤー、コミュニティ、株主)と心のつながりを持ち、敬意を持たれる企業という意味だ。

 すべてのステークホルダーとの関係性において、商取引上の損得以上に、共感、思いやり、優しさといった「心のつながり」を優先することが、企業の長期的サステナビリティ(持続可能性)につながっているという理論。それは、「株主利益の優先が企業の使命である」と学び、個人の理想と企業人としての現実の間で悩み続けてきた私たち経営者に、新しい視点を与える。

「個人の理想」と「企業人としての現実」はどうすれば共存できるのか

 本書が選定している好業績の「愛される企業」では、
「どのステークホルダーも、ほかのステークホルダーを犠牲にして利益を得てはいけない」
「一部のステークホルダーを手段や目的として扱うのではなく、すべてのステークホルダーの幸福を尊重する」
 という価値観が根付いている。特定のステークホルダーのみを特別扱いするのではなく、主要ステークホルダーが等しく繁栄する経営を、新しい時代の経営者に必要な能力と定義しているのだ。

「すべてのステークホルダーとの心のつながり」を強めている企業では、これまでの経営で重視されてきた売上や利益でもよい結果が生まれている。実際に、本書が選定した「愛される企業」の財務実績は、市場平均はもとより、『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則』(ジム・コリンズ著)にて紹介されている企業をも大きく上回っていた。

「すべてのステークホルダーとのバランスを重視する企業こそ、収益性が高い」
「ステークホルダーとの心のつながりを持つ企業は、長期的リターンが得られる」
 という本書の発見は、何となく私たちが心の中で描いていた理想の経営像が戦略的にも正しいという自信を与えてくれる。

すべてのステークホルダーがリターンを得る時代に

 この流れは、すでに社会のあちこちで見られ始めている。観光産業においても、その変化は顕著だ。新型コロナウイルスの収束にしたがい、世界中の観光都市で、「2019年型のスタイルに戻るのではなく、新しい観光のモデルを模索すべきでは?」という議論が盛んに行われるようになった。
 コロナ禍によって観光産業は大きなダメージを受けたが、一方で、観光需要が一時的に激減したことで、オーバーツーリズム(観光客を受け入れることによって地域や住民にもたらされる弊害)の軽減など、地域住民に快適性がもたらされた。

 地域住民は「2019年に戻ること」、すなわち「住民生活や自然環境に負荷を強いられること」を望んではいない。したがって、旅行会社、交通機関、宿泊施設といった今までの観光ステークホルダーの中に、地域コミュニティと観光客を取り込み、観光のあり方を見直すべきである。観光地の住民や地域環境がしわ寄せを余儀なくされることなく、すべてのステークホルダーがフェアなリターンを得られなければ、その地域の観光産業は感謝されず、長期的にはサステナブルではないということに世界は気づいたのだ。

 すべてのステークホルダーがフェアなリターンを得ることができる観光産業を、私は「ステークホルダーツーリズム」と呼んでいる。世界の多くの観光地で、この新モデルに向かって様々な取り組みが始まっている。それは、対前年度比の入客数だけを重視する従来型モデルではなく、目指すべき観光の質を示す新しいKPIを設定し、地域全体で進めていくプロセスだ。

「愛される企業」に見られる7つの特徴とは?

 では、どうすれば、すべてのステークホルダーと心のつながりを強め維持できるのか。本書の中にその答えがある。本書では、愛される企業の顕著な特徴を7つ特定している。

● 愛される企業は、業界の常識を疑ってかかっている。
● 愛される企業は、ステークホルダーの利害関係を調整し、価値を創造している。
● 愛される企業は、従来のトレードオフの考え方を解消している。
● 愛される企業は、長期的観点で事業をおこなっている。
● 愛される企業は、本業による自律的成長(オーガニック・グロース)を目指している。
● 愛される企業は、仕事と遊びをうまく融合させている。
● 愛される企業は、従来型マーケティングモデルを当てにしていない。

 この7つの項目それぞれは、多くの経営者が過去に見聞きしたものばかりで真新しい印象はない。しかし今までは、株主利益を優先する範囲内で社会的に良いことを実行しようという位置付けであり、真の意味で実行できている企業は、多くないのが実際だ。それは前述したように、個人の理想と企業人としての現実にギャップがあると考えていたからだ。

「理想のあり方と数字の成果が両立する」ことが証明された

 本書は、理想を掲げる経営者の背中を押してくれる本である。
 売上や利益といった現実と、社会貢献や存在意義といった理想の間に立たされた、すべての経営者のモヤモヤとした迷いを晴らし、前に進む力を与えてくれる。

 人にはだれしも、「こういう人間になりたい」「こういう人格でいたい」「こういう価値観を持っていたい」という「なりたい自分の姿」がある。
 企業にも同様に理想の姿があり、本書は、「理想と業績は連動している」ことを明らかにしている。本書の中で紹介されている企業は、「自分たちは何者か」「自分たちはどういう企業でありたいか」「自分たちはどこへ、どのように向かうのか」といった理想を明確に持っている。
 そのために、売上や利益をないがしろにしていいとは微み塵じんも考えていない。売上や利益のためには理想が不可欠であるという考えであり、そして、理想の実現に向けて真摯に、愚直に、情熱的に取り組んだ結果、「愛される企業」となりえた。本書ではこのアプローチが高い業績と成長率に結びついている事例を学ぶことができる。

 本書を閉じたあと、私は、ステークホルダーツーリズムの妥当性に益々自信を深めた。そして、若き日に考えていた経営者としての理想のあり方を久しぶりに思い出すことができた。皆さんも本書を読み終えたとき、
「自分が正しいと信じることを追い求めていこう!」
 という、自信と気概が湧いてくるはずだ。

【はじめに】 まったく新たな時代に向けて

「未来は無秩序である、と。人類が二足歩行を始めて以来、未来への扉が開かれたと思われる瞬間が、五、六回は訪れた。生きるには一番いい時なんだろうな、こういう、自分が分かっていると思っていたことがほとんど全て間違いだったって気づかされる時が」

トム・ストッパードの戯曲『アルカディア』、数学者ヴァレンタインの台詞より
(小田島恒志訳、早川書房)


 本書が読まれている現代もまた、人類史におけるまったく新たな時代の幕開けだ。しかも、これまでのどの時代よりも、その重要性は大きいかもしれない。
 ここ数百年(数千年という人もいる)を振り返ってみると、この新たな時代は、人類に及ぼす影響力の大きさの点で、これまでの時代とは比較にならないかもしれない。それほど大きななにかが起こりつつあることは、信憑性のある多くの書籍が指摘している。

 主要文化の一時代の終焉を明言して議論を呼んだ、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(渡部昇一訳、三笠書房、新版2020年、原書1989年)。物理学が目指している究極の「統一理論」の限界を予言した、『サイエンス』誌編集者デヴィッド・リンドリーの『物理学の果て』(松浦俊輔訳、青土社、1994年)。マクロ経済学がもはや役に立たないことを論じた、イギリスの経済学者デイビッド・シンプソンのThe End of Macro-Economics?(マクロ経済学の終焉?、1994年)。科学ジャーナリストのジョン・ホーガンが科学者を怒らせたセンセーショナルな『科学の終焉(おわり)』(竹内薫訳、徳間書店、1997年)。科学的世界観における広範囲なシフトが差し迫っており、今日では科学的事実とされていることの多くが明日には科学の迷信となることを指摘した、ノーベル化学賞受賞者イリヤ・プリゴジンの『確実性の終焉』(安孫子誠也、谷口佳津宏共訳、みすず書房、1997年)もそうだ。

 これほど多くの「終焉」があるなら、その分、新たな兆(きざ)しも多いにちがいない。1990年代初め頃には、人間の主な活動分野で「終焉」予測から免れているものはないに等しかった。文字どおりの「終焉」ではなく、その本質のかつての概念においては確実にそうだった。ビジネスの世界も例外ではなく、企業の根底にある存在意義(パーパス)や、どのように活動すべきかの認識に、大規模な変化が起こっている。その規模の大きさを考えると、歴史的な「資本主義の社会変革」が進みつつある、といっても過言ではない。

 20年ほど前、ちょうどインターネットが主流になりつつあった頃には、この社会変革の規模の大きさをしっかり予測できていた人がほとんどいなかった。その規模の大きさを知っていただくために、本書ではさまざまな企業を紹介している。株主利益の創造だけでなく、もっと広く社会のために行動することを存在意義(パーパス)としている企業だ。こうした企業は異端児ではなく、新たな企業の主流となる、まさに先駆けだとわたしたちは考えている。

 わたしたちは、このまったく新たな時代を「超越の時代」と呼んでいる。「超越」を辞書で調べると「秀でたり、まさったり、通常の限度を超えたりしている状態」とある。いまの社会の「時代精神」に見られる超越的な変化は、すでに言及されている。コロンビア大学人文科学教授のアンドリュー・デルバンコは「現代文化のもっとも顕著な特徴は、超越への満たされない渇望である」と述べている。
 現代科学の幕開け以来、西洋社会の世界観を特徴づけてきた科学的根拠のある確実性が揺らいでいるのも、この渇望がなんらかの重要な役割を果たしているのかもしれない。近頃は、どう「感じる」かに基づく主観的な観点のほうがずっと受け入れられているのだ。

 主観性がより重視されていることに注目している人はほかにもいる。そのひとり、フランスの哲学者ピエール・レヴィは、デジタルテクノロジーが文化と認知に及ぼす影響を専門に研究している。主観性へのシフトは、今世紀のビジネスにおいて考慮すべき最重要事項のひとつであることがはっきりするのではないか、とレヴィは考えている。
 レヴィはさらに、ミルトン・フリードマンとその支持者が信奉するアイン・ランドの客観主義は過去のものになりつつあるとし、その理由を、人々の思考において感情や直感が重視されるようになってきたからだとしている。マルコム・グラッドウェルの『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(沢田博、阿部尚美共訳、光文社、2006年)や、ジェームズ・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』(小高尚子訳、角川文庫、2009年)もそのことを示している。

 米国では精神的なものに対する関心が急激に高まり、スタジアム級の「メガチャーチ」があちこちに出現したりもしているが、こうしたことからも、文化の根底で大きななにかが起こりつつあるのがわかる。さまざまな消費者調査を見ても、「モノ」への関心が低下し、もっといろいろ体験して満足な人生を送りたい、と考えているのがわかる。多くの人々が望んでいるそうした体験は、科学によって、もっといえば従来型の企業によって、物質主義で浮き彫りにされた世界を超越している。
 企業経営者も文化の影響を受けている。所詮、顧客や従業員と同じ文化環境で暮らしているのだ。模範例として本書でとりあげている経営者は、文化のこうした変化をその経営哲学に反映させている。社会における資本主義の役割を人道主義の新たなビジョンで捉えている。それは、従来型の企業にありがちな狭いものの見方を超越しているビジョンであり、公共の福祉を自分たちのこととして受け入れようと立ち上がっている。
 ティンバーランド(VFコーポレーションが買収)の元CEOジェフリー・シュヴァルツは、自社の第1の使命は「よりよい世界にすること」と臆面もなく語っている。シュヴァルツも、ロールモデルとして本書で紹介しているほかの経営者も、口先だけの夢追い人などではない。強い意志で大成功している実業家であり、その堅実な経営手腕、そして、自社と接点のあるすべての人の役に立とうとする一貫したコミットメントで、人道主義の企業ビジョンをさらに押し進めている。

 わたしたちがこうした企業を「愛される企業」と呼ぶのは、主要ステークホルダーのすべて──顧客、従業員、サプライヤー、コミュニティ、株主──から愛されるよう、言行一致で努めているからだ。そのため、どのステークホルダーも、ほかのステークホルダーを「犠牲にして」利益を得ることがないよう、全員が共に繁栄するよう、全員の利害を調整している。こうした経営者は、ほかの人が客観的にいいそうな正しさも、自分が信じる正しさ(主観に基づく道義性)も、同じように原動力にしている。

 全米産業審議会の、ある調査結果をちょっと見てみよう。全米の企業の経営幹部を対象におこなわれた、道徳観についての調査だ。社会的な、つまり企業市民としての取り組みを率先しておこなっている理由を経営幹部700人に尋ねたところ、「企業戦略だから」と回答したのは12パーセントのみだった。「顧客の獲得と維持のため」が3パーセント、「社会の期待だから」が1パーセント、残る84パーセントは、「世の中をよくするため」「自社の伝統だから」「個人的価値観だから」などと回答した。
 この84パーセントに相当する全員が、高い道徳基準にしたがって義務を果たすことの直接的な見返りを理性で判断したとは思えない。おそらく、しなければならないことを直感的に感じているのだと思う。このように、世の中の動きや大変革は、理性のみならず感情からも広がっていく。本書に書いている内容も、まったくの大変革ではないにしても、ひとつの大きな動きなのだ。

 いまの不安定な状態は、物理学でいえば分岐点、死と生(あるいは再生)のはざまにある常態空白期であり、古い体制が終焉に向かい、新たな体制という胎児が生まれ出ようともがいている時期だ。こういう時期には、先行きがいつにもまして不透明になる。ある分岐点の時空で起きることには無限の結果をもたらす可能性があるからだ。
 戯曲『アルカディア』でヴァレンタインが「未来は無秩序である」といっているが、続く台詞には、新たな秩序をもたらす取り組みに参加しよう、という気にさせられる。
「生きるには一番いい時なんだろうな、こういう、自分が分かっていると思っていたことがほとんど全て間違いだったって気づかされる時が」

 人類はいま、未踏の領域に入りつつある。見慣れない光景だが、その世界は、18世紀からタイムトラベルしてきた人が今の世の中を目にしているような感じなのかもしれない。そこで、ちょっと時代をさかのぼってみよう。アメリカのふたつの文化期をざっと振り返ることで、文化が発展してきた様子をより正しく理解できる。
「超越の時代」はそこから生まれているからだ。

エンパワーメントの時代

 アメリカの最初の文化期を「エンパワーメントの時代」とわたしたちは呼んでいる。アメリカ独立宣言の署名や、アダム・スミスの『国富論』がイギリスで出版された1776年に始まる。
 人類史に残るこの画期的なふたつのできごとが同じ年に起こったのは、驚くべき歴史の偶然だ。前者は自由な社会、後者は自由な市場に関するものだった。切っても切れない関係にある民主主義と資本主義が、まったく新たな世界を生み出そうと未来へ向かって歩み出したのだ。アメリカの一般庶民の運命を、人類がかつて経験も想像もしたことのない高みへ押し上げようとする世界だ。

 歴史上初めて、一般庶民が自分の運命を自分で決める権利が、成文化された法律で認められたのだ。人は階級の区別なく生まれ、極貧状態からでも身を起こし、公職でも民間でもトップまで上りつめることもできる。
 そうした努力を自由市場経済が手助けし、努力に報いる高等教育や道徳的慣習が、偉大な国をつくろうとするアメリカ国民の決意を支えた。数十年たつと、何百万もの世帯がかつかつの状態から抜け出した。ヨーロッパの上流階級文化は「啓蒙時代」に偉大な哲学思想を生んだかもしれないが、アメリカの一般庶民はこの「エンパワーメントの時代」にさまざまな物質的成果をもたらした。
 この「エンパワーメントの時代」が終わる1880年頃には、電信、鉄道、単一通貨、それに、リンカン大統領の任期中に設置された国法銀行制度で、アメリカ全土がつながっていた。リンカン大統領の偉大な功績には、土地付与(ランドグラント)大学計画の制定もあり、高等教育のさらなる恩恵が一般庶民にもたらされるようになった。こうして次の大いなる文化期への準備が整った。

知識の時代

 庶民が教育と経済の自由を得たことで「知識の時代」への道筋ができた。1880年に入る前の5、6年のあいだに、アレクサンダー・グラハム・ベルが電話を、トーマス・エジソンが蓄音機、そして初の実用的な白熱電球と初の中央電力系統を発明した。
 この「知識の時代」にアメリカは農業社会から工業社会へ急速に移行した。科学が日常生活に押し寄せた。研究室の試作品が製品となって市場に出るまでの期間が、数十年単位ではなく、数カ月単位であることも珍しくなかった。
 科学の大躍進がさまざまな産業を生み出し、さまざまな産業が現代の消費者経済を生み出した。経済的利益が社会に行きわたり、生活水準がかつて想像もできなかったほど高まった。乳幼児の死亡は過去のものとなり、アメリカ人の平均寿命は、1900年の47歳から、1990年には76歳に延びた。

 企業経営が大きく前進したのは20世紀の初め頃で、経営手法に科学を取り入れることをフレデリック・ウィンズロー・テイラーが『新訳 科学的管理法』(有賀裕子訳、ダイヤモンド社、2009年、原書1911年)で提言したのもこの頃だ。アルフレッド・P・スローンが現代式の企業を創り上げたのは、1923年にゼネラルモーターズの社長に就任した後だった。1921年には、ジョン・ワトソン(ジョンズ・ホプキンス大学心理学部長であり、行動主義心理学の創始者)が広告代理店ジェイ・ウォルター・トンプソンに入り、アメリカ初の消費者リサーチセンターを立ち上げている。ビジネスのあらゆる分野──プロダクトデザイン、組織管理から、消費者調査やマーケティングにいたるまで──を科学が下支えするようになったのだ。

 ランサム・E・オールズが組み立てラインを初めて導入してからというもの(そう、ヘンリー・フォードではない。フォードはオールズの仕組みを機械化しただけだ)、企業活動の焦点は、生産性の絶えまない改善にずっと置かれてきた。より少ないものからより多くのものを、というわけだ。これは社会にも長らく役立った。生活の質が着実に上がる一方で、生活費は着実に下がったからだ。普通の人々の物質的な満足度は驚くべき高さに達した。物質主義が、アメリカのビジネス、社会、文化の根底となった。

 ところがやがて、収益拡大のための生産性向上やコスト削減にばかり気を取られ、コミュニティ、労働者とその家族、環境に、悪影響を及ぼし始めた。運営コストのより安い土地を求めて企業が去り、多くのコミュニティが荒廃した。
 多くの家庭が悲惨な暮らしを耐えるなか、一家の稼ぎ手は新たな仕事を見つけようと必死だった。全米各地の村、町、中心都市から活気が失われていった。放置された工場の残骸ばかりのスラム街が増え、人が寄りつかなくなった。
 労働者とその家族、地域住民に大打撃を与えた企業判断を擁護する人々は、ダーウィンの「適者生存説」を引き合いに出した。企業支持派の主張はきわめて単純で、資本主義の恩恵を享受するには、社会の底辺にいる人々がそれによって苦しむことがあっても許容すべき、というものだった。

 しかし、「あとどのくらい苦しめば済むのか」と疑問に思っている人がいま増えつつある。商業活動には温かい心がない、と考える一般市民が増えている。企業は自分たちを単なる数字として管理、操作、搾取していると感じている。自分たちが生身の人間だという現実感が、企業には乏しいのを知っている。1万2000メートルの上空から爆弾を投下するパイロットにとって、地上にいる人々に現実味を感じないのと同じなのだ。

 とはいえ、「時代は変わる」。ボブ・ディランが1960年代に歌ったように。
『ザ・ニュー・リパブリック』誌の編集主任グレッグ・イースターブルックが次のように述べている。
「物質的欲から意義の欲求への移行が、何億という人々を巻き込む空前の規模で進んでいる。これは現代の道義文化の発展として、そのうちに評価されるかもしれない」(強調著者)
 さあ、いよいよ人類未到達の最高峰、「超越の時代」だ。

超越の時代

 アメリカの文化が進化してきた様子を建国当時からたどってきたのは、自由社会は文化の進化プロセスを経ながら絶えず発展する、という考えに注目してもらいたいからだ。
 文化の進化は、心理学の「人格形成」における人の進化のプロセスに相当する。社会も人と同じで、昨日よりは今日、今日よりは明日と、さらなる成長を駆り立てられている。これこそがまさに進化の目的だ、とスティーブ・マッキントッシュ[アメリカの作家、弁護士、起業家]はいう。

人類の起源に関する進化論には、科学の領域を超えた強力な文化的影響力があり、それが、自分たちは何者で、なんのために存在するのか、という見方を形作っている。それなのに、進化について一般人を啓蒙すべき科学者の多くが、進化は基本的に無作為、つまり偶然のプロセスであり、より大きな意味などないという。

しかし、進化についての科学的事実がどんどん明らかになるにつれて、進化のプロセスが紛れもなく進歩していることを、まさにそうした事実が証明している。進化の進み具合がわかるようになれば、進化の目的が明らかになる。それは、真善美の実現を絶えず広げていく方向へ成長することなのだ。

 科学的発見やテクノロジーの発達が文化の進化における主なきっかけとなってきた一方で、最近の人口動態の変化が、文化を作り直すうえでかなり大きな役割を果たしている。人口の高齢化が、人類の進む方向を変えつつあるのだ。とはいえ、人口動態が人類の方向性をリセットしたのは、いまに始まったことではない。
 人類学の最近の知見によると、3万年前に突然寿命が延び、文化が大きく変化した。寿命の伸びは、祖父母世代の人口の爆発的増加につながった。人類史上初めて、閉経後の女性の人口が相対的に増え、娘や孫娘を手伝ったり、暮らしを向上させたりできるようになった。祖父世代の人口も増え、若者に「昔ながらのやり方」を教えてやれるようになり、世代の継続を後押しした。
 こうした「祖父母現象」を、人類の文化的進化の大きな転換期と考える人類学者は多い。祖父母世代の人口が急増したことで、若者の攻撃的な行動も緩和された。こうして部族間の争いが減り、部族の関心やエネルギーを文化の発展という、より高次なものへ向けられるようになったのだ。

 これと同じようなことが今まさに起こりつつあるのではないだろうか。つまり、現代の急激な人口の高齢化が社会の「時代精神」を変えつつあり、文化の発展という、より高次なものへと駆り立てているわけだ。
 この新たな流れが始まったのは、1989年といっていいだろう。この年、アメリカの成人人口の大半が初めて40歳以上になったからだ(全米の成人年齢の中央値はいまや45歳を上回り、白人だけで見ると50歳を超えている)。
 3万年前に祖父母世代の人口が爆発的に増えたことでもたらされた緩和作用をまた繰り返すかのように、いま大多数の国々で見られる人口の高齢化によって、「より親切でより優しい社会」へ向かう可能性が高まっている。この表現は、ペギー・ヌーナンがジョージ・H・W・ブッシュ[父ブッシュ]の1988年の大統領選挙のために書いたスピーチの一節だ。

 このように「成熟した大人」が新たな多数派となった頃に、文化の根底に大変化を促す大きな役割を担っていたものが、ほかにも発達し始めていた。やはり1989年、イギリスのソフトウェアエンジニアのティム・バーナーズ=リーが、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)を考案したのだ。インターネットはわずか数年で、少数のエリートだけが使う謎めいた一通信手段から、数千万人が利用するごく普通のものになった。
 このインターネットで、情報力のバランスが一般大衆に移った。人々のやりとりの仕方が劇的に変わり、情報の流れが民主的になったことで、企業ははるかに高い透明性を強いられるようになった。

「超越の時代」は、ダニエル・ピンクが使っている「コンセプトの時代」とさまざまな類似点がある。ピンクは『ハイ・コンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』で「コンセプトの時代」を「創意や共感、そして総括的展望を持つことによって社会や経済が築かれる時代」と定義し、「情報化時代」に代わるものと位置づけている。
 その同じ時代を、わたしたちはやや異なる呼び方をしている。「超越の時代」は、20世紀の文化で主流だった物理的(物質主義的)な影響力が衰え、精神的(経験的)な影響力が強まる、文化の分岐点を意味する。このことが、文化の礎(いしずえ)において、客観ベースから主観ベースへの移行を後押ししている。実際、自分の考えを頼りにして自分の行動指針を決める人がどんどん増えている。
 こうした特徴が中年以上の人によく見られるのは、若者にありがちな「群れ」行動に従う必要性が一般的に少ないためだ。こうした動きは、科学的な確実性が主導してきた社会で長らく抑えつけられてきた考え方を認めるものだ。イリヤ・プリゴジンも、ニュートン学説による確実性は風と散りつつある、といっている。結局、すべては個人的なものなのだ。

 ダニエル・ピンクは、一般的に左脳に関連づけられている論理的観点から、通常右脳と関連づけられている感情的・直感的観点へと、社会が移行しつつあることを熱く語っている。そして、企業はもっと右脳的な価値観に寄り添い、消費者との関係構築を狙っている海外企業の優位に立つよう、主張している。そのためには、プロダクトデザイン、マーケティング、顧客との関係構築において、「コンセプトの時代」の6つの感性(センス)とつながっていなければならない、という。6つの感性とは、デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがいで、いずれも右脳に深く関わっている。
 しかし、文化の礎における変化の問題は、単に左脳か右脳かの問題ではない。一般的に市場で有利になるのは、右脳と左脳両方の観点を融合させた、ドイツの神経学者ヴォルフ・ジンガーのいう「結合思考(unitive thinking)」の企業だ。ジンガーはこれを、まったく異なる3つめの思考であり、これこそが創造性の究極の源、と主張している。

 ルネ・デカルトが科学的手法を体系化して以降、西洋社会の主流だった「二元論」の考え方は、主に論理的思考の左脳が司っている。この左脳には、ものごとをさまざまなカテゴリーに階層づける傾向があり、はっきりと定義されたカテゴリーに分類されないものは、当然のごとく検討対象から外してしまう。
 これをビジネスの文脈で、排他的な左脳思考で考えると、さまざまなステークホルダーがさまざまなカテゴリーに分類されてしまう。異なるカテゴリーのステークホルダーの結びつきが、たまたまそうなっただけ、ということになる。
 ところが、愛される企業ではまったく状況が異なっている。愛される企業のリーダーは、ものごとを結びつけて考え、企業活動における関係者すべてが互いに結びつき、重要である、という全体観的ビジョンで任務に取り組んでいる。

 ではこれから「超越の時代」への旅に出かけよう。肩の力を抜き、リラックスして、読み進めてほしい。学ぶべき新たなルールがたくさんある。「自分が分かっていると思っていたことがほとんど全て間違いだった」のだから当然だ。この時代はかなり長く続くことになる。おそらく、わたしたちが生きている限り、そしてその先も続いていくだろう。

各章の概要

 本書はざっと次のような内容になっている。

● 第1章「思いやりと愛情をベースとしたビジネスの構築」では、愛される企業の考え方を紹介し、今日の厳しいビジネス環境下で驚異的な成果をあげている様子をまとめている。
● 第2章「新時代(ニューエイジ)、新(ニュー)ルール、新資本主義(ニューキャピタリズム)」では、「超越の時代」の企業にふさわしい新たなルールについて論じ、ますます多くの企業がとりいれている型破りな考え方を示している。そこには、高齢化社会から来る、自己実現の欲求やプロセスの影響の高まりが反映されている。
● 第3章「無秩序への対処」では、資本主義の社会変革が、なぜ、どのように進行しているかを論じている。
● ここからいよいよ、愛される企業がステークホルダーの各グループとどのように関係性を保っているかを詳しく検討していく。第4章「従業員──資源(リソース)から源泉(ソース)へ」では、愛される企業の従業員待遇や、楽しく生産性の高い職場環境を見ていく。こうした企業で働いている従業員は士気が高く、尊重され、きちんと報われている。
● 第5章「顧客──癒やすか、売らんかなで行くか」では、顧客関係性を取り上げ、「超越の時代」の新たなマーケティングの枠組みについて論じている。愛される企業が法律の遵守だけでなく、顧客との、いや、すべてのステークホルダーとの暗黙の約束を守っていることにも触れている。
● 第6章「投資家──愛される企業が蒔(ま)いたものを刈り取る」では、投資家とは財務面だけでなく、感情面でもいい関係を結ぶことが可能であり、そうすべきであることを説明している。
● 第7章「パートナー──見事な調和」では、供給、流通、販売、その他のビジネスパートナーを取り上げている。価値創造のアウトソーシング化が進むにつれ、ビジネスパートナーは成功にとってますます欠かせない存在になりつつある。この章では、愛される企業がこのきわめて重要な関係性を、共生かつ互恵関係で管理している様子を見ていく。
● 第8章「社会──究極のステークホルダー」では、愛される企業がどのようにして社会全般とよい関係性を保っているかを論じている。そこには、企業活動をおこなっているコミュニティ、ライバル企業、行政、NGO[非政府組織]も含まれる。社会を究極のステークホルダーと見なすのは、ほかのステークホルダーもすべてそこに含まれるからだ。この章で一番伝えたいのは、愛される企業がそのコミュニティで熱烈に歓迎されていることと、行政を価値創造における敵ではなくパートナーと考えていることだ。
● 第9章「企業文化──決め手となるもの」では、リーダーシップと企業文化について論じている。
● 第10章「愛される企業のまとめ」では、愛される企業のビジネスのやり方について学んできたことをまとめている。
● 第11章「複雑さの向こう側」では、「複雑さの向こう側にある単純さ」の観点で本書を締めくくっている。愛される企業の経営哲学を特徴づけているものだ。
● 付録「『愛される企業』の概要」では、本書で取り上げた愛される企業について、そのユニークな点と、そこから学べることを中心に、ごく簡単に紹介している。


【目次】

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