その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は足立隆則さんの『 庭園日本一 足立美術館の挑戦 』。吉本忠則さんの「『庭園日本一 足立美術館の挑戦』の刊行に寄せて」と著者の「あとがき」をお届けします。加えて本書口絵より春夏秋冬の庭園の景色もお楽しみください。

【『庭園日本一 足立美術館の挑戦』の刊行に寄せて】

吉本忠則

 人生は奇なり、足立家とはよほど深い縁で結ばれているようだ。

 足立美術館創立者・足立全康翁に続いて、お孫さんである足立隆則さんの自叙伝まで手伝うことになろうとは、私自身、想像だにしなかった。

 隆則さんは私と同い年である。付き合いはかれこれ四十年近くに及ぶ。

 生まれ育った環境は違っても、おたがい、団塊世代だけに世相の記憶はほぼ重なっている。ましてや、二人とも酒好きで、食べ物の好みまで似ているとあっては、親愛の情がわかぬはずがない。

 何かの折、彼は自分の青少年時代にふれ、
 「おじいさんにはずいぶんいじめられたもんですわ」
 と苦々しく思い返すことがあった。

 身内を顧みず、後先を考えないで、猪突猛進する全康翁が、実直で慎重派の彼の目にはなんとも身勝手で、独善的に見えたのかもしれない。

 しかし、その一方で、今の自分があるのは、
 「おじいさんのおかげですよ」と何度も感謝の言葉を口にした。

 肉親であるがゆえの様々な葛藤に直面しながらも、彼は手足となって、全康翁の後半生を支えてきた。

 もし彼が全康翁に猫かわいがりされていたら、今のような芯の強い人間にはなっていなかったかもしれない。全康翁を反面教師として、彼はぶれることなく、自分の信じる道を愚直に突き進んできた。

 全康翁亡きあと、美術館の理事長、館長という要職に就いた隆則さんは、全康翁から託された文化遺産をいかにして後世に伝え残すか、また、魅力あふれる美術館であり続けるためには何をなすべきか、そのことがずっと頭から離れないようだった。その思いは年齢を重ねるにつれて、ますます強くなってきた感がある。

 本書には、全康翁と過ごした幼少の頃の思い出や、青春時代、そして美術館に関わるようになってからの来し方、未来への展望がつづられている。それは自身の歩みに重ね合わせた、全康翁へのオマージュのように私には思われる。

 これまで標榜してきた『日本庭園』と『近代日本画』に加えて、彼は新たに『現代日本画館』と『北大路魯山人館』をオープンさせた。それによって、美術館としての格式、魅力がいちだんと高まったことは確かだろう。

 近年、足立美術館の名前は国内外を問わず、広く知られるようになった。メディアに取り上げられる機会も増えてきた。

 とりわけ、二〇二四年二月、NHKスペシャル『驚異の庭園~美を追い求める 庭師たちの四季~』が全国放映され、美術館の知名度は一気に広まった。

 番組では、アメリカの日本庭園専門誌の名庭ランキングで、二十数年にわたって、一位を競い合ってきた京都・桂離宮の庭と対比させながら、足立美術館の日本庭園がなぜ日本一に輝き続けているのか、その秘密が解き明かされている。

 足立美術館の日本庭園は、雄大な自然と一体化した、いわば「一幅の絵画」として作庭されている。そんな日本庭園は世界に類例がないだろう。

 それは絶対に手を抜くことがない、勤勉で真面目な庭師さんたちの地道な手作業の結晶にほかならないが、美術館にいち早く庭園部を創設した隆則さんの卓見、慧眼があったからこそ実現できた。

 ほんものは残る、いや、ほんものしか人の胸を打たない。

 全康翁の揺るぎない信念は、そっくり彼に受け継がれている。そのための努力と投資は惜しまない、というのが隆則さんの口癖でもある。

 最近の彼を見ていると、全康翁に似てきたような気がする。ひたむきで一途な性格は、おじいさん譲りだろう。思い込みの激しさは一方で、不屈の闘争心を駆り立てる。それが血というものであろうか。

 足立美術館はいまや、世界を代表する美術館のひとつになったように思う。ネット社会と言われる今日、本書を通じて、世界中の人が認識を深め、ほんものの美を求めて、足立美術館に来られることを願ってやまない。

(足立美術館理事)

春の池庭
春の池庭
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夏の枯山水庭
夏の枯山水庭
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秋の白砂青松庭
秋の白砂青松庭
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枯山水庭の冬景色
枯山水庭の冬景色
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【あとがき】

足立隆則

 本書は当初、開館五十周年に合わせるつもりでしたが、記憶が曖昧だったり、事実確認や時代考証に手間取ったりして、予定は大幅にずれ込みました。

 そんなさなか、「新型コロナウイルス感染症」がまん延し、執筆を一時ストップせざるを得なくなりました。

 世界を震撼させたコロナウイルスは想像を超える感染力で、終息が見通せず、当館もかつてない危機に直面しましたが、あとから思えば、非常時における心構えや対処法を体験できたことは、不幸中の幸いだったのかもしれません。

 結果的に、書き上がったのが開館五十五周年にあたったことで、むしろ時宜を得たものになったように思います。もし、コロナ禍前に脱稿していたら、なんとも間の悪いものになっていたに違いありません。

 表題に掲げた『庭園日本一 足立美術館の挑戦』は、「世界に誇れる美術館にしたい」という祖父の熱い思いを伝えると同時に、祖父の遺志を引き継ぎ、後世に伝え遺したいとする私の覚悟と決意を込めています。

 いま、これまでの自分を振り返ってみて、あらためて思うのは、祖父の存在がいかに大きかったかということです。若い頃、常人離れした祖父になじめず、恨み辛みをつのらせた時期もありましたが、後年、美術館に寄せる祖父の一途な思いにふれ、気持ちを新たにしました。

 祖父はどこまでも前向きで、思い込んだら命がけという激しい気性の人でした。夢の実現のためには労苦を惜しまず、決して倦むことはありませんでした。そうした気概、迫力には頭が下がるものがありました。

 本書を書き起こすにあたり、自分を語るとは、人さまについて語ることであり、同時に、自分が思っているほどには、その人のことをよく知っていないという現実を思い知らされました。そのため、原稿も遅れがちになりました。

 思えば、祖父は人との出会い、付き合いをとても大切にしました。

 実際、祖父のまわりには名士、名家と言われる人たちがたくさんいました。胸襟を開かずして、良好な人間関係が築けるはずはない。人望なくして、人が集まるはずはない。祖父はそのことを身をもって教えようとしたのかもしれません。祖父の生きかたを通して、私は人生の要諦を学んだように思います。

 本書では、祖父と過ごしたそれぞれの時代を振り返りながら、祖父の代からお世話になっている方々をはじめ、私が出会い、知遇を得た多くの先輩、知己友人の方たちについて書かせていただいています。

 みなさん、今日の私を語る上で欠かせない大切な人たちですが、私はどちらかというと、思い込みが激しいところがあり、もしかしたら事実誤認や思い違いがあったりして、ご迷惑をおかけした部分があるかもしれません。その際はどうかご容赦いただければと思います。

 本書の出版にあたり、一方ならぬお世話になりました日経BP(日経経済新聞出版)の白石賢さまをはじめ、関係各位に心よりお礼申し上げます。

【目次】

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