その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は指南役(著)の『 新・黄金の6年間 1993-1998 ~ヒットソングとテレビドラマに胸躍らせた時代~ 』です。
【はじめに】
1989年9月、『ザ・ベストテン』(TBS系)が終了した。
――いや、終わったのは“ベストテン”だけじゃない。その年、昭和天皇が崩御され、64年続いた昭和も終わった。昭和のスター、手塚治虫と松下幸之助と美空ひばりも後を追うように亡くなった。奇しくも同年、日経平均株価が史上最高値(当時)を付けるも、翌90年にバブル崩壊。右肩上がりの高度経済成長も終わりを告げた。
世界に目を向けると、89年――東西冷戦の象徴、ベルリンの壁も崩壊した。その2年後、東の横綱・ソ連も崩壊。東西冷戦も終わった。
そう、1990年前後、昭和が終わり、バブルが崩壊し、そして東西冷戦も終わった。それまで日本や世界を覆っていた常識が、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。
そして、2年が過ぎた。
スクラップ&ビルド――1993年、「新・黄金の6年間」が幕を開ける。それはエンタメ界をメインステージに、キャストの多くは新人たちで構成された。彼らは音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなどのジャンルを自由に行き来し、巨大なマーケットを生み出した。
その様子は、かつてエンタメ界で数多くの新人が輩出され、ジャンルを越えてクロスオーバーで活躍した「黄金の6年間」(78年~83年)の再来をほうふつとさせた。
1993年、川淵三郎チェアマン(当時)のわずか30秒のスピーチが新しい時代を予感させるJリーグが開会した年、小室哲哉はtrf(現・TRF)に『EZ DO DANCE』を提供。初めて“プロデューサー”として注目された。SMAPの木村拓哉はドラマの脇役ながら「俺じゃダメか?」とスターの片鱗を覗かせた。
1994年、小沢健二のアルバム『LIFE』が大ヒットして、それまでサブカルだった“渋谷系”に光があたった。ダウンタウンの松本人志は標準語で『遺書』を執筆。250万部を売り上げた。
1995年、阪神・淡路大震災の年、ドラマ『王様のレストラン』(フジテレビ系)の脚本を書いた三谷幸喜がその卓越したコメディセンスで一躍脚光を浴びた。
1996年、安室奈美恵に憧れる女子高生らの“アムラー”が爆誕した年、沖縄からやってきた小学生を含む4人組の少女は太陽の下で歌い踊り、「SPEED」と命名された。
1997年、フジテレビがお台場に移転した年、サラリーマンの組織のようなまったく新しい刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)が誕生した。オーディション番組の落選者5人で結成されたグループは、手売りでインディーズCDを5万枚売るように課せられ、見事クリア。「モーニング娘。」としてメジャーデビューした。
1998年、横浜高校の松坂大輔が夏の甲子園の決勝戦でノーヒットノーランを達成した年、弱冠15歳の宇多田ヒカルが自作の『Automatic』でデビュー。その自由なクリエーティブに小室哲哉いわく「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」――かくして、栄華を誇った時代は1人の天才歌姫の出現で次なるステージへ移行し、幕を閉じた。
新・黄金の6年間にブレイクした人物や作品には、いくつかの共通点がある。――「スモール」、「フロンティア」、そして「ポピュラリティー」である。
「スモール」とは、広告の父・オグルヴィが、フォルクスワーゲン・ビートルの広告に用いたコピー“Think small”(小さいことが理想)にも通じる概念。ある意味、大きな組織ではなく、小回りの利くチームで創造的に行動する。連ドラ作りにおいて、プロデューサーと脚本家の2人でプロットを練り、視聴率30%前後の高視聴率作品を次々と生み出した時代がこれに該当する。
「フロンティア」とは、固定概念を脱ぎ捨て、新天地へ乗り出す気概である。例えば、90年代前半の音楽番組冬の時代――アイドルの出演機会が激減した際、いわゆる“バラエティ番組”に活路を見出し、自らスキルアップして、芸人やタレントに負けずとも劣らないお笑いセンスを磨いたSMAPがそう。やがて彼らは国民的バラエティ番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)を生み出した。
「ポピュラリティー」とは大衆性、即ちベタである。エッジの立ったセンスや排他性を楽しむカルチャーではなく、誰もが共感できるクリエーティブを目指す。ベタを恐れず、温故知新に向き合うカルチャーが、90年代の音楽市場に多くのミリオンセラーをもたらした。
あれから四半世紀――今また、90年代が注目されている。1つだけ確かなことがある。エンタメにおける優れた作り手とは、「過去のヒット作品をどれだけ知っているか」と同義語である。
本書は、1980年代から90年代の音楽情報を発信するメディア 「Re:minder―リマインダー」 に掲載されたコラムに加筆修正したものである。執筆の機会を与えてくれた代表の太田秀樹さんに、心より感謝を申し上げます。
【目次】


