その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は井上芳雄さんの『 ミュージカル新時代 』です。

【はじめに】

 井上芳雄です。『ミュージカル新時代』と題したこの本は、世界そして日本のミュージカル界で何が起こっているのかをお伝えし、そのなかで日本のミュージカルはどこへ向かえばいいのかを一緒に考える、その手がかりのひとつになってほしい、という思いでまとめました。

 僕が感じているミュージカル界の変化。それを語る上で欠かせないのが、新型コロナウイルス禍でした。コロナ禍の前と後では、ミュージカルに携わる人たちの意識も、取り巻く状況も大きく変わったように思います。僕の認識では、コロナ禍の前はミュージカル界はすごく盛り上がっていました。上演される作品数も多く、お客さまの数は右肩上がりに増え続けて、業界に勢いがありました。まさにミュージカルブームです。

 それがコロナ禍に見舞われた2020年には、公演中止や延期が相次ぎ、劇場は閉鎖に。演劇界の活動が一時期ストップします。そして、ようやく再開したときには、以前の熱気は落ち着いたように感じました。チケット代の高騰や物価高の影響もあり、コロナ禍前と同じ頻度ではお客さまも劇場に足を運びにくいのでしょう。人気作や有名作には相変わらずたくさんの方が来てくださるけど、それ以外の作品が厳しい状況は今も続いています。

 僕自身のことを言えば、海外との交流が途絶えたコロナ禍では、もともと欧米のものであるミュージカルをこれからどうやって続けていくのか、先行きの見えない不安がありました。だからこそコロナ禍が明けたとき、今まで以上に外の世界に目が向いたように思います。

 そんなタイミングで出会ったのが、23年に日本初演したブロードウェイミュージカル『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』や韓国ミュージカル『ベートーヴェン』のカンパニーでした。海外のスタッフが持ち込んできた、日本とは違う舞台の作り方や稽古の仕方には驚きや発見があり、大きな刺激を受けました。新しい時代のミュージカルを実感したのです。

 『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は21年にトニー賞10部門で受賞した話題作。それをオリジナルそのままの演出で演じられたのは貴重な経験です。セットや衣装を含めて、今のブロードウェイ大作の規模を実感できたし、その中で演じる喜びは格別でした。自分の実年齢よりもだいぶ若い役を演じたことは自信となり、有名なポップスをたくさん歌うことは自分のスキルをもっと上げたいという願いにつながりました。

 『ベートーヴェン』では初めて韓国ミュージカルに出演して、クオリティーの高さに驚きました。それで実際に韓国に行ってみたら、驚きの進化を遂げていました。25年にトニー賞を受賞した韓国発ミュージカル『メイビー、ハッピーエンディング』に代表される、世界に通用するオリジナル作品が次々と生まれていたのです。なぜここまで発展できたのか、それを知りたいと思い、縁あって現地で歌のレッスンを受け始めて今に至っています。

 僕たちミュージカルに携わる者がずっと夢見ているのは、日本から世界に通用するオリジナル作品を送り出したいという思い。お隣の韓国は先にそれを成し遂げました。勝ち負けではありませんが、日本は追い越されました。もちろん2.5次元ミュージカルが海外で人気になるなど、日本独自の題材が発展しているのは素晴らしいことです。ただ、ミュージカルはもともと欧米のもので、僕が思うには、生まれ育った地である欧米のメソッドや方程式にのっとらないと、世界とは戦えない気がしています。

 そのためには、もっとミュージカルとしてのやり方を学ばないといけないというのが、僕の今の認識です。だから韓国に歌のレッスンに行くし、クリエーターのセミナーがあったら自分も参加してみたいし、どうやってミュージカルを作ったらいいかを知りたい。その仕組みを貪欲に学んでいきたいと思っています。ブロードウェイや韓国にある、才能を育てるシステムを取り入れていく必要だってあるでしょう。もちろん日本にも関心があるし、自分たちの文化も知りたい。外にも内にもどちらにも目を向けたいという気持ちです。

 僕自身を振り返ると、コロナ禍前は日本の中で自分だけで頑張っていたと思います。そのつど作品に入って、必要な表現や歌声を稽古して、自分でやり方を見つける。表現者はそういうものだと思っていました。でも、今は人の力を借りることも必要だと考えています。自分と波長が合うプロがいたら、そのアドバイスを受けた方が伸びるのは早いはず。自分1人では自分を超えられないけど、ほかの人と組んだら、それ以上になれる可能性があります。そこで学んだことを、また次の世代へと伝えていくことで、ジャンルとしての広がりも生まれてくるでしょう。

 もっとうまくなりたい、新しいものを知りたい、プロから学びたいという思いが強くなったこの数年、新しいチャレンジをたくさん重ねてきました。そこで経験したり、考えたりしたことを、『ミュージカル新時代』としてこの本にまとめました。

 第1部は「ミュージカル界の新しい波」として世界と日本のミュージカル界で起こっている変化をテーマごとに。第2部では「ミュージカルの可能性に挑む」としてコロナ禍以降、22〜25年に僕が出演した各作品を振り返りました。

 記事の初出は、「日経クロストレンド」のサイト内にある「日経エンタテインメント!Web」で月に2回連載しているコラム「井上芳雄 エンタメ通信」です。文章は基本的にネットで公開したときのままで、時制の表現もそのままにしています。記事見出しの下に公開日を入れているので、いつの時点の話か確認しながら読んでいただければ幸いです。

 読み返してみると、あけすけにいろんなことを語っています。舞台裏のことも共演者のことも。今までは、自分が考えていたり取り組んでいたりすることを、ここまで正直に定期的に発信することはなかったように思います。

 韓国での歌のレッスンにしても、SNSではいろいろな反応があります。ほとんどが肯定的ですが、俳優が自分の手の内を明かさなくてもいいんじゃないかとか、言葉ではなく舞台上で感じてもらえばいいんだ、という意見もあります。もっともだし、それが役者の美学だというのも分かります。

 それでも僕は、知ってもらった方がいいと考えています。自分にとって全部がプラスにならなかったとしても、学んだことややってみたことをできるだけ伝えたい。お客さまには不要な情報かもしれないけど、ミュージカルのジャンルにとっては何かの足しになるかもしれないし、この世界を目指す人には役に立つ情報かもしれない。何でも知らないよりは、知っていたほうが絶対に役に立つと思うのです。

 発信にはリスクもありますが、確実にリアクションもあります。うれしい反応もそうじゃない反応もひっくるめて受け止めるつもりで、発信を続けていきたいと思っています。それが自分自身と日本のミュージカルの新しい時代を切り開く一助になることを願って。

2025年12月 井上芳雄

【目次】

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