「クレフェルトの戦争観は、その後の戦争論に大きな影響をもたらしました」。東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠さんによる、現代の戦争を理解するための本。第2回に続いて、クラウゼヴィッツ的な戦争観を批判し、その後の戦争論に大きな影響を与えている『戦争の変遷』(マーチン・ファン・クレフェルト著)について聞きます。

第1回「小泉悠 ウクライナの穀物が標的? 核と生物兵器の危機再び」から読む
第2回「小泉悠 戦争のできない21世紀にロシアが始めた『古い』戦争」から読む

その後の戦争論に大きな影響

 第2回では、「戦争とは政策・国民・軍隊が三位一体となったものである」と論じたカール・フォン・クラウゼヴィッツ、「その理論だけでは戦争という現象全体を理解できない」と批判したマーチン・ファン・クレフェルトについて紹介しました。

 では、今回はクレフェルトの言う「新しい戦争」とは何かを考えてみたいと思います。

 クレフェルトの理論は、その後の戦争論に大きな影響を及ぼしています。例えば、『新戦争論 グローバル時代の組織的暴力』(メアリー・カルドー著/山本武彦、渡部正樹訳/岩波書店)もそうです。

 カルドーはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を研究した人ですが、「旧来の戦争ではなかった」と言っています。なぜかというと、現地の武装勢力は、そもそも勝とうとしていなかったからです。彼らにとって都合がいいのは「戦争が続いていること」。国家が崩壊し、戦争が続いていれば、自分たちが地方のボスとして君臨できたのです。カルドーは、「その状況こそが、実は戦争の目的だった」という議論を展開しました。

 武装勢力は、現地住民であるボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人に対して虐殺や性的暴行を繰り返し行い、民族間の和解が絶対できないようにしました。そうした戦争が、ヨーロッパの中でも非常に歴史の深い、バルカン半島で起きてしまったのです。

「クレフェルトの戦争観は、その後の戦争論に大きな影響をもたらしました」と語る小泉悠さん
「クレフェルトの戦争観は、その後の戦争論に大きな影響をもたらしました」と語る小泉悠さん
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もはや戦争は存在しない?

 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争については、国連軍司令官だったルパート・スミスも 『ルパート・スミス 軍事力の効用 新時代「戦争論」』 (ルパート・スミス著/山口昇監修/佐藤友紀訳/原書房)で、「もはや戦争は存在しない」と述べています。「我々が知っているような大がかりな国家間の紛争というものは存在しないのだ」と。

 スミスは戦車将校出身で将軍になった人ですが、そのスミスが自ら「もうNATO(北大西洋条約機構)は戦車戦など何十年もしていない。パイプラインの警備をしているだけだ。依然として戦場に出動し続けているが、戦っていない」と言っています。

 当時、スミスが若い頃に教育を受けたような戦争は誰もしておらず、イスラム過激派と戦うための非対称戦争であるとか、平和維持作戦に変遷しつつありました。しかし、その中でイスラム過激派などが戦う目的を掲げ、「武力を使う」ということ自体に変わりはないとしたら、「我々のような古典的な国家側は、どのように対抗すればいいのか」とも論じています。

 カルドーとスミスが論じているのは、クレフェルトの 『戦争の変遷』 (マーチン・ファン・クレフェルト著/石津朋之監訳/原書房)の結論部分、「むしろこれからは近代国家が溶解していき、中世や近世の戦争パターンに近づく。国家間がぶつかり合う戦争ではなくなる」ということの答え合わせでもあると思います。

「これからは中世や近世の戦争パターンに近づく」と述べる『戦争の変遷』
「これからは中世や近世の戦争パターンに近づく」と述べる『戦争の変遷』
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戦争は「変遷」しているのか

 ただ、私はクレフェルトの『戦争の変遷』を読んで非常に刺激を受ける一方で、「はたして本当だろうか」という疑問も持ちました。

 確かにこれからは強固な「国家」は衰退していき、国際秩序も大きく変わるでしょう。しかし、東アジアや西ヨーロッパ、もちろんロシアも国家はしっかりと存在しています。特に今回の新型コロナウイルスの流行やロシアのウクライナ侵攻では、改めて国家というものが持っている力を再確認させられました。

 そうするとクレフェルトの言う「新しい戦争の時代」は、どこまで通用するのか。現にロシアは古いタイプの戦争、クラウゼヴィッツの言う国家間の戦争を始めてしまいました。

 私が思うに、現代はクレフェルトの本のタイトルにある戦争の「変遷」ではなく、複数の戦争が存在している時代。クラウゼヴィッツの言う国家間の古いタイプの戦争もあるし、クレフェルトやカルドー、スミスの言う新しいタイプの戦争、そしてテロもある。「変遷」というと戦争のモデルが切り替わっていく印象がありますが、戦争の形態はどの時代にも複数併存している。そのスペクトラム(分布範囲)が広がっていく、という考え方のほうがしっくりくるように思います。

「ロシアによるウクライナ侵攻は、『安定・不安定パラドックス』の典型です」
「ロシアによるウクライナ侵攻は、『安定・不安定パラドックス』の典型です」
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 冷戦時代から言われてきた説に「安定・不安定パラドックス」というものがあります。例えばアメリカとロシアなら、だいたい同じぐらいの核戦力を持つことで国家間が安定し、第3次世界大戦のような戦争はできなくなります。全面戦争になればお互いに滅び、政治的な目的が達成できなくなるからです。

 しかし、恐怖の均衡ができあがると、「全面戦争ができないということは、多少の実力行使を行っても大規模な報復は招かないはずだ」という計算が働き、かえって小規模な戦争が増えます。安定しているがゆえに、小さな戦争が増えるという状況が「安定・不安定パラドックス」です。

 今回のロシアによるウクライナ侵攻は、まさにその例です。今後、同じような例が世界の別の地域で起きないとも限りません。東アジアで中国が台湾に侵攻したら、どうなるのか。そのとき日本はどういう対応を取るのかを考えると、非常に不気味な教訓だと感じています。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝