「“戦闘”では勝っても“戦争”に勝てなかった経験から、ハイブリッド戦争が論じられるようになりました」。ロシア専門家で「軍事オタク」を自称する戦争研究者、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠さんによる、現代の戦争を理解するための本。第4回は『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』です。SNS時代における戦争を考察します。

第1回「小泉悠 ウクライナの穀物が標的? 核と生物兵器の危機再び」から読む
第2回「小泉悠 戦争のできない21世紀にロシアが始めた『古い』戦争」から読む
第3回「小泉悠 いつの時代も戦争の形態は一つだけではなかった」から読む

戦場だけで勝敗は決まらない

 今回は『 「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア 』(P・W・シンガー、エマーソン・T・ブルッキング著/小林由香利訳/NHK出版)をもとに、「ハイブリッド戦争」について考えたいと思います。

 ハイブリッド戦争とは何かというと、「勝敗が戦場の中では決まらない戦争」のことで、1980年代ごろからアメリカ海兵隊の中で論じられ始めました。

ソーシャルメディアが戦争や国際政治に与えている影響をリポートする『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』
ソーシャルメディアが戦争や国際政治に与えている影響をリポートする『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』
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 アメリカはベトナム戦争で敗れました。その後のアフガニスタン戦争、イラク戦争でも“戦闘”では勝っているものの、“戦争”に勝ったとは言い難い。それはなぜかと考えた結果、「戦闘だけでは勝敗が決まらない戦争もある。メディアや国際世論からたたかれる戦い方をしてはいけないんだ」という結論にたどり着いたのです。

 似たような事例は、イスラエルでも起きています。イスラエルも中東最強の軍事力を持っており、第1次中東戦争など古典的な戦争では常に勝利を収めています。ところが、ヒズボラ(レバノンを中心に活動する急進的シーア派イスラム組織)が相手になると、とたんに苦戦する。ヒズボラはイスラエル軍の攻撃によって亡くなったパレスチナの子どもの遺体映像を流すなど、アラブ中の人々の怒りが湧き上がるメディア戦略を用いるためです。そうなると「やり過ぎだ」という世論が起こり、撤退せざるを得ないというパターンを繰り返しています。

人々の認知が決定的に重要

 つまり、ハイブリッド戦争とは、「戦争が戦場と戦場以外の場所で幅広く行われ」「戦いのフィールド自体がハイブリッド」であるとも言えます。情報戦だけでなく、経済制裁の発動や国際法の解釈などもからみ合い、もはや軍隊だけでは戦争に勝つことはできないのです。

 そして、この『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』で著者のシンガーは、「人々の認知が決定的な重要性を持つ」と述べています。現代は独裁者や強力なリーダーだけが率いる世界ではない。普通の一般市民が物事をどう受け取り、どういう意見を持つのか、その意見をどのように表明するのか、ということがミサイルや銃を撃ち合うのと同じぐらい意味を持っているのです。

「今や兵士もスマホで家族や知人とやりとりをしているので、情報統制が難しくなっています」
「今や兵士もスマホで家族や知人とやりとりをしているので、情報統制が難しくなっています」
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 SNSがテレビやインターネットなど今までのメディアと決定的に違うのは、「中央権力の関与なしに、誰もがじかに意見表明をできること」でしょう。しかも、それが世界中のユーザーにダイレクトに届きます。これは人類にとっての情報空間での革命です。

 その結果、過激派組織「イスラム国」(IS)の占領下にある都市から1人の少女が発信した情報が世界を動かしたり、大人たちがそれをうまく利用すれば、ハイブリッド戦争の強力な武器となり得たりします。

 今は戦場の兵士もスマホを持つ時代。2014年のロシアのクリミア併合では、プーチン大統領が「クリミアには一兵たりとも送り込んでいない」と主張していましたが、現場の兵士が「クリミアなう」といった写真をSNSに投稿して、嘘が明らかになってしまった。

 その失敗を踏まえ、今回のウクライナ侵攻では、兵士には「通話機能のみ」の携帯電話を持たせていると聞きます。それでも人の口に戸は立てられず、機密情報がどこからともなく漏れ伝わり、戦局に影響を与えかねない状態となっています。

「聖ジャベリン像」が拡散

 この『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』を読んだ上で、ロシアのウクライナ侵攻を見ると、ウクライナはものすごく巧妙にハイブリッド戦争を行って、国際世論をうまくつかんでいると分かります。ゼレンスキー大統領が世界各国でリモート演説をしたり、国内では対戦車ミサイル「ジャベリン」を聖母マリアが抱えた「聖ジャベリン像」が流行し、士気を高めるのに一役買ったりしているようです。

 対するプーチン大統領は、「ゼレンスキーはコメディアン出身じゃないか。自分はKGB(ソ連国家保安委員会)だぞ」と読み誤ったのかもしれません。戦争が始まってから雲隠れしたように姿を現さなくなったり、久しぶりに姿を現したと思ったらテーブルをずっとつかんでいたりと、奇妙な振る舞いが目立ちます。軍事作戦も情報戦もうまくいっていない印象を受けます。

「独裁者が率いる国に対して、ハイブリッド戦争はどこまで効果があるのでしょうか」と話す小泉悠さん
「独裁者が率いる国に対して、ハイブリッド戦争はどこまで効果があるのでしょうか」と話す小泉悠さん
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 プーチン大統領は「特別軍事作戦だから民間人に死者は出ない」と言っておきながら、ブチャなどでの残虐行為も明らかになりました。無差別攻撃をし、恐怖心で押さえつけようとしたのでしょうが、結果的にウクライナ国民の敵意と団結を強めました。自らの理想のために統一したかったウクライナを、完全にナショナルアイデンティティーの異なる国にしてしまいました。

 ただ、アメリカで誕生したハイブリッド戦争理論は、「相手が民主主義国」という前提です。あまりにひどい軍事作戦を展開すると、世論の反感を買い、戦争の継続ができなくなる。

 そう考えると、今回のウクライナの敵はロシアです。おそらくプーチン大統領自身はどんな残虐行為をしても意に介さないでしょうし、国民はメディア規制をされているため、真実は分からない。そうすると、国際世論を味方につけているはずのゼレンスキー大統領のハイブリッド戦争は、どこまで効果的なのだろうかとも思います。

 連載 第1回 で紹介した『死神の報復』が戦争の暗闇を描き出した1冊だとすると、今回の『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』は非常にライトでありながら、実は強烈な影響力と破壊力を描いている1冊。この両方の側面から見ないと、ロシアによるウクライナ侵攻を深く理解できないように感じています。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝