ロジカル思考やデータ分析を駆使し、ギチギチのスケジュールで頑張っているのに、何かがうまくいかない──そんなとき取り入れたいのが、山﨑晴太郎さんが提唱する「余白思考」です。著書『余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術』を基に、山﨑さんと「余白」について掘り下げます。今回は2回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)
いい決定をするには、余白が必要
尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 引き続き、『 余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術 』の著者の山﨑晴太郎さんをお迎えしています。今回は、本書の内容についてお話を伺っていきます。
第2章「仕事の余白」の中に、「『いい決定』は余白から生まれる」という項があります。まず、このことについて教えてください。
山﨑晴太郎(以下、山﨑) 会社を経営していると、「決めること」が仕事の重要な部分を占めてくることになります。ただ自分の考えがすべてだと思っていると、次第に判断がずれたり、偏ったりしていく。他の人のさまざまな意見や考えを取り入れていかないと、建設的な判断ができなくなるわけですね。

山﨑 そして、自分の周りに余白を設けておかないと、周囲の意見などが自分の中に入ってこないということになります。例えば頑固部長がいて、周囲が何を言っても聞いてくれないとなると、部下は何も言わなくなってしまいます。他者を受け入れる余白や余裕、隙間があるから、いい決定ができるのかなと思っています。
尾上 余白がないと、決まったことしかやらない、ということにもなりかねませんね。
山﨑 そうですね。これだけドラスチックに変化する社会では、いろいろな考え方や判断軸を適切に働かせていないと、いい判断はできないと思っています。
また、「最近、忙しい?」と聞かれて、「忙しいです」と答える人には、仕事が入ってきません。でも「大丈夫ですよ」と自分の余白を見せると、いいプロジェクトの話が入ってくるかもしれません。お願いしやすい人だと思ってもらえれば、人間関係も含めて好転していくことにもつながりますよね。他者性が入り込む余白が自分の周りにあるかどうかは、仕事でも人間関係でも重要だと思います。
ニュートラルな自分に戻る方法
尾上 本書の各章には「まとめ」があり、その中で「今すぐできる余白思考」を提案されていますね。第2章のまとめでは、「お風呂に潜る。ジャンプする」と書かれていて、面白いと思いました。
山﨑 実際に僕がやっていることを書かせてもらったんです。実は、ほぼ毎日お風呂に潜っているんですよ。鼻をつまんで、頭から足の先までブクブクッと。そうやって息を止めていると、自分の周りの空気が遮断されて意識が体の中に入っていき、自分の心臓の音がトクトクと聞こえたりして、ニュートラルな自分に戻れる感じがするのです。
基本的に人間は、外に対して意識を向けていますよね。人間関係とか、危険を察知しようとするとか。お風呂に潜ることは自分の中に入っていく儀式みたいなもので、お勧めです。
尾上 ニュートラルな状態にして、自分なりの余白をつくり出すわけですね。
山﨑 そうです。自分の軸がないと余白は生まれません。当然ながら、何かがそこにあるからそれ以外の部分が余白になるわけで、自分の絶対軸をつくるのはとても大事なことだと思います。潜るのは絶対軸をきちんとニュートラルに戻す作業ですね。
尾上 私も泳ぐことが好きなのですが、泳ぐときって何も考えずニュートラルになれるタイミングなのかもしれません。
山﨑 経営者がサウナやランニングなどにハマるのもそれに近いですよね。呼吸だけに意識をもっていき、日常のものをそいでいく感覚です。また、毎日のルーティンなども自分をニュートラルにするものだと思います。
尾上 また、第3章「人間関係の余白」にある「余白をなくすと人は『害』になる」という項が気になりました。これはどういうことでしょうか。
山﨑 「老害」という言葉が使われるようになり、その本質は何だろうと考えたとき、やはり人間としての余白がなくなった状態だと思ったのです。「老害」と言われる人は、自分の考えに固執してしまい他の考え方を受け入れる余白がない。それで、他の人から疎まれる状態になってしまったのではないかと。
自分の成功体験を語りたくて、「わしが若いときは」と言っちゃう人はたくさんいると思います。でも、それを押し付け過ぎると害になってしまう。
尾上 確かにその通りかもしれないですね。
山﨑 人間関係も、余白があることで違う価値観を受け入れることができ、そういう考え方も面白いと思えるようになります。自分の考え方しか許せない、すべての人が絶対こういうふうに考えるべきだ、となってしまうと、余白がどんどんなくなってしまうと思います。
自由や優しさが生まれる話し方
尾上 第4章「コミュニケーションの余白」でも、余白がないと自分の地図の押し付け合いになってしまうと書かれていて、今のお話と通じますね。
山﨑 まったく同じです。本書では、基本的に余白という概念をいろいろな角度から説明しています。自分の大事なものと他者の間にスペースを持ったほうがいいとか、曖昧さがあったほうが豊かに生きられるといったことを、さまざまな言い方で表現している感じです。
地図の例えで言っているのは、例えば自分は世界地図で説明しているのに、相手は大田区の地図で話していたら、そもそも地図が違うから分かり合えない、ということ。だけど余白があれば、「それは大田区という場所の地図なんですね」とか「そういうところが日本にはあるんですか」と興味を広げられる。「地図は世界で見るべきなんだ」と押し付けたり、相手の地図を無視したりしてコミュニケーションしていくと、衝突が生まれてしまいます。
尾上 なるほど。あともう一つ、この章で面白いと思ったのが、「語尾や文末まではっきり話さないことで生まれる自由や優しさもある」という話です。
山﨑 最近、文章の最後に「。」(句点)を付けると威圧感がある、というマルハラ(マルハラスメント)が話題になりましたよね。この本はそういった話題が出る前に書いていますが、そのマルハラと似たような話です。つまり、言い切ってしまうと、それ以外は許さないというニュアンスが生まれるときがある。でも、「こういうのもあるかもしれないですね」という感じで言うと、ちょっとぼけるんですよ。
例えばA、B、C案があったとして、「どれがいいですか」と聞かれて、「A案です マル」と答えるのと「A案かなあ」と答えるのでは、受け取られ方が全然違うと思いませんか。「A案かなあ」だと、別の人が「僕はB案がいいと思います」と意見しやすくなるけど、始めに「A案です マル」と言い切ってしまうと、他は許さないぞというニュアンスに取られる場合もあるわけです。僕も経営する立場になって、余計に意識するようになりましたね。
尾上 おっしゃる通り、語尾は文末まではっきり話さないとか、「○○かなあ」で終わるほうが優しい印象になるかもしれません。特に若い人は、その語尾の言い方で感じ取れる部分があるのでしょうね。
山﨑 そうですね。相手が入り込む余裕や余白があるコミュニケーションを意識してほしいと思います。ただ、すべてそういう感じだと誰も決められない状態になるので、いいあんばいで。特に立場が上の人に対しては周囲が遠慮してしまうので、相手を受け入れるとか、相手の意見を取り入れたいとき、上の立場にいる方こそ、余白のあるコミュニケーションをしてあげてほしいと思います。
文/佐々木恵美 編集協力/山崎 綾