ロジカル思考やデータ分析を駆使し、ギチギチのスケジュールで頑張っているのに、何かがうまくいかない──そんなとき取り入れたいのが、山﨑晴太郎さんが提唱する「余白思考」です。著書『余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術』を基に、山﨑さんと「余白」について掘り下げます。今回は3回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)

人は、他人の失敗を覚えていない

尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 今回も引き続き『 余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術 』の著者、山﨑晴太郎さんをお迎えしています。

 さて、第5章「自分の頭の中に余白を持て 失敗を恐れすぎない、余裕のあるメンタルのつくり方」では、「他人の失敗なんて、実は誰も気にしていない」と書かれています。これは、確かにその通りなんですよね。

山﨑晴太郎(以下、山﨑) 僕たちは人の失敗を覚えていないし、おとといの同僚の服すらも覚えていないじゃないですか。自分だけ気にしているというのはよくあることで、そこに気を取られるより、自分の本当にやりたいことや自分の感覚に素直になったほうがいいと思います。

「社会の中の自分」に重きを置き過ぎると、「自分の軸」を見失いがちに。ここでも、余白は大事な役割を果たします
「社会の中の自分」に重きを置き過ぎると、「自分の軸」を見失いがちに。ここでも、余白は大事な役割を果たします

尾上 物事を気にし過ぎると、自分の余白がなくなってしまうのでしょうか。

山﨑 その点は、「相対」と「絶対」という考え方もできるかもしれません。社会の経済原理は相対性の中で生まれていて、自分が他者や組織など外の世界と関わることで物事が動いていると僕たちは考えますよね。ただそこでは、本当に大事な自分自身の絶対軸を忘れがちです。相対と絶対のバランスが崩れ、相対的な価値観や評価に意識が行き過ぎると、本当の自分を見失ってしまうのです。でも、自分の周りに余白を緩衝材として置くことで、自分の感覚を大事にでき、絶対性をもう一度立ち上げることができます。

 相対的な価値観に重きを置き過ぎると、社会の中にいる自分として、失敗が気になるんですよね。だけど多くの場合、その失敗によって本当に大事なことが傷つけられることはありません。

人生のすべての要素に遊びの感覚を

尾上 第5章でもう一つ気になったキーワードは、「どんなときも『遊び』の感覚を」でした。やはり仕事も含めて、遊びの感覚が失われている気がします。

山﨑 そうですね。僕は、人生のすべての要素が遊びになり、遊びも仕事も等価という状態が理想だと思っているんです。そうすれば、すごくポジティブになれますよね。子どもに「勉強しなさい」と言うときも、知的好奇心で遊びのように勉強できれば、好きこそ物の上手なれというように、どんどん成長していける。でもイヤイヤやるとどうしてもマイナスのギアが入ってしまうから、遊びの感覚を日常にどれだけインストールできるかが、すごく大事なのかなと思っています。

尾上 子どもにとっての勉強も、大人にとっての仕事も、きちんと成果を出すことが必要だしそれは大事なことですけれども、遊んでみる気持ちを少しでも持てると、いろいろ変わってくるんじゃないかなという気が私もしています。

山﨑 遊びって、自分の絶対軸の感覚だと思うんですよ。人が何と言おうと、自分がそれを面白く思って遊んでいる、という。だけど、相対性の中でだけ生きていると、その感覚がどんどん埋没していく。遊びの感覚を大事にすることは、自分の本質的な欲求や願望を肯定する感覚に近接していると思うのです。

尾上 やはり遊びや余白は大切な要素なのですね。

山﨑 遊びという言葉だけだと、ビジネスの場面では「遊びじゃないんだから」と怒られそうだし、ネガティブな感じもあるかもしれません。でも遊びがあることで、モチベーションやパフォーマンスはどんどん高まると思うのです。そのためには、他者の意見に侵食されない自分の強さやゆとりみたいなものが必要で、つまり自分と社会の間に余白を置くということが大切なのです。

興味のその先へ誘ってくれる本

尾上 本書には、梶井基次郎の『檸檬』についての話も出てきます。山﨑さんは、もともと読書をよくされるのですか。

山﨑 はい。読書は好きで、いろいろなところで書評を書かせてもらったりもしています。実は僕の家には、小学校に入学したときから課題図書があったんですよ。

尾上 家で課題図書とは珍しいですね。

山﨑 今月の課題図書はこれだと、3冊から5冊を父親から渡されるんです。それを読まないとめちゃくちゃ怒られて…。中学生の頃、後書きだけ読んで読んだふりをしたら、バレて丸刈りにさせられました(笑)。

 本は人をつくるという父親の哲学で、本当にいろいろな本を読まされました。一応、好みは聞いてくれて、今は小説が面白いと伝えると山本有三の『路傍の石』が出てきたり。どんどん本が好きになって、本が日常の中にあるのが当たり前になった感じです。

尾上 本書のテーマである余白と読書には、何か関係はあるでしょうか。

山﨑 あると思います。本には、その作者の人生哲学や、古典なら普遍的な人間の心の機微、文化など、いろいろなものが眠っています。読書を通じて、それを自分の価値観に取り入れていくことで、余白はすごく広がっていくんですよね。

 本の中の価値観が自分とは違っているとしても、読書で取り入れた価値観は自分の余白にきちんとストックされていくわけです。すると余白はどんどん広がって、いろいろな価値観を受け入れられるようになるんですよね。

尾上 自分なりに余白をつくるやり方もあるけど、読書によって余白を広げていくこともできるわけですね。

山﨑 それは明らかだと思います。例えば、今なら社会的に絶対に許されないけど、昔はおおっぴらになっていた価値観やその時代の考え方などありますよね。そういったさまざまな考え方を自分の中に入れていくことで、多様性が広がっていきます。

尾上 なるほど。自分になかった価値観や知識が入ってくると余白が広がっていく。読み慣れたジャンルやテーマで本を選んでも、初めて知ることも意外とあったりしますしね。

山﨑 僕の考えるいい本は、1冊読んだらその先につながる本です。何かすごく気になる、と新たに別の本へ誘ってくれるような。知識や考え方、価値観の入り口になり、知りたいことがどんどん広がっていく本は、すごくいい本だといつも思っています。

尾上 感覚としてすごく分かります。分かると同時に、山﨑さんのこの『余白思考』もその一冊だと私は感じています。先ほどおっしゃっていた「遊び」も、私にはキーワードとして引っ掛かっていて。そういう引っ掛かりがその先へつながっていくことが読書にはありますね。

山﨑 自分がどんどんグレードアップしていく感じもあるから、楽しいですよね。

尾上 そうなんですよ。私にとっては『余白思考』がそういう一冊だったので、今回お話を伺えてとてもよかったです。

山﨑 光栄です。ありがとうございます。

文/佐々木恵美 編集協力/山崎 綾

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