フランス文学者で、渋沢栄一らの伝記作家としても知られる元明治大学教授の鹿島茂氏の選書による傑作自伝・評伝の3回目は『高橋是清自伝』。極めて優秀だったのにもかかわらず、奴隷として売られたり、事業の失敗で大きな借金を背負ったりする。しかし、強運の持ち主であったことと、周囲が助け舟を出してくれたことで、何度も立ち直り、近代日本を支えるリーダーになっていく。現在苦境のなかにある読者にとっては、自分の悩みなど、是清の人生に比べればたいしたことないと思えるような1冊だ。(文中は一部敬称略)
大河ドラマの主人公にぴったり
「波乱万丈(はらんばんじょう)の人生」という形容はよく聞きますが、日本史上において最も当てはまる人物といえば、高橋是清かもしれません。昨年2021年の大河ドラマ『青天を衝(つ)け』ではほぼ同時代を生きた渋沢栄一の生涯が描かれましたが、高橋の起伏に富んだ人生もドラマの主役としてピッタリな気がします。
もし本当にそんなドラマができたとしたら、間違いなく原作本になりそうなのが『高橋是清自伝』(中公文庫)。81歳まで生きた高橋が、晩年になって側近に口述筆記させた前半生(52歳まで)の記録です。冒頭の「序」に記された日付は昭和11年(1936年)1月、つまり「二・二六事件」で暗殺される1カ月前でした。
全編を貫くのは、天性とも言える楽天性です。「自分は運がいい」と思っていたようで、自ら厳しい場面に飛び込みながら、それを飄々(ひょうひょう)と切り抜けてしまう強さを持っていました。
生まれは幕末の嘉永7年(1854年)。江戸で幕府御用絵師とその奉公人の間に生まれた子でした。すぐに仙台藩の足軽の養子になり、江戸の仙台屋敷で育てられます。12歳のとき、足軽の子でありながら藩命によって横浜のヘボン塾(明治学院大学の前身)で洋学を学ぶことになりました。すでに優秀さがずぬけていたのでしょう。ここで英語に興味を持ったことが、人生に転機をもたらします。
留学先のアメリカで奴隷契約
14歳になると、今度は藩命によってアメリカに留学するチャンスを得ます。ところがサンフランシスコのホームステイ先にだまされて過酷な雇用契約を結んでしまい、学校にも通えず、奴隷のような扱いを受けながら複数の家庭に“転売”されます。しかしその間、かえって生きた英語をマスターするあたりが、高橋の強いところです。
1年後にはなんとか契約を破棄して帰国。ところが、その年はちょうど明治元年(1868年)で、仙台藩は賊軍扱いされていました。江戸で身を潜めて生活していたところ、人づてに森有礼の知遇を得てその書生になり、また人生が大きく動きます。能力を認められて英語教師になり、その後には国家官僚として頭角を現していく。また廃校状態だった共立学校の校長に就任し、その経営を再建しています。これが現在の開成中学・高等学校です。
同書が記すキャリアは日銀副総裁までですが、そこから先、さらに日銀総裁を経て政界に進出し、大蔵大臣、総理大臣まで務めることになるわけです。
こうしてキャリアの変遷を見ると順調に出世しているようですが、この間には数々の失敗もあります。
若い頃は芸妓(げいぎ)遊びに夢中になり、一時は教師を辞めています。また投資詐欺に遭ったり、銀相場で損を出したり、相場研究のために米の仲買商を始めて赤字のまま廃業したりもしています。
ペルー鉱山経営でだまされる
そして極め付きは30代半ばの明治22年(1889年)、それまでの仕事をすべて整理してペルーへ渡ります。埋蔵量豊富と聞いていた銀山を経営するためですが、現地ですでに廃坑後の山だったことを知らされます。高橋は家も財産もすべて失い、なお膨大な借金を抱えることになりました。ただ一連の経緯は、決して高橋だけが悪いわけではありません。むしろ周囲から期待され、仕方なく引き受けて責任を負わされたのが真相のようです。このあたりも、『自伝』で詳細に述べています。
しかしその後、周囲のすすめで日銀に職を得て、いつの間にか中枢で要職を歴任する人材になります。特筆すべきは明治37年(1904年)と翌年の2度にわたり、当時勃発していた日露戦争の戦費調達のために日銀副総裁として渡英し、戦時公債を売りさばいたことでしょう。日露の国力差を考えれば圧倒的に不利なはずですが、ロシアで迫害を受けていたユダヤ人の投資家とたまたま知り合い、そのコネクションを利用できたことが幸いしました。この成功がなければ、日本軍は早々に武器弾薬が尽きて降伏していたかもしれません。やはり高橋は、類いまれな強運の持ち主だったようです。
『自伝』はこうして公債の募集を完了し、ロンドンから帰路に就くところで終わります。この後、日銀総裁を経て政界に入り、6度の大蔵大臣と2度の総理大臣(兼任1度)を経験することになります。大蔵大臣としての評価は非常に高いのですが、総理大臣としてはいまひとつ。どれほど傑出した人物でも、得意・不得意があるということでしょう。
同書は極めて平易な日本語で書かれており、小説のような感覚で読めます。高橋の起伏に富んだ前半生を追体験しながら、仕事に対する姿勢や経済・財政の考え方なども学べると思います。またほぼゼロの状態から新しい国家づくりにまい進し、とにかく西欧から学ばなければならないと意気込む明治の人びとの、気概や息遣いのようなものも感じられます。
そしてもう一つ、私たちが高橋から学ぶべきは、優秀な人材はどれほど失敗しても周囲が見捨てないということです。むしろ大きな失敗を糧にすることで、ひと回りもふた回りも成長できるかもしれない。昨今の自己啓発本にも書かれていそうな教えですが、まさにそれを実践したのが高橋の生涯だったと言えるでしょう。
取材・文/島田栄昭 写真/木村輝(鹿島さん)、スタジオキャスパー(書影)