フランス文学者で、渋沢栄一らの伝記作家としても知られる元明治大学教授の鹿島茂氏の選書による傑作自伝・評伝の4回目は、自著である『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック 三大文豪大物比べ』。19世紀のパリで名をはせたユゴー、デュマ、バルザックの三大文豪の生きざまが描かれる。3人の共通点は「超俗物」だったこと。彼らに何を学べるかはともかく、人生経験の振り幅の大きさが、文学史に残る名作を生み出したことがよく分かる。(文中は一部敬称略)

83歳まで続いたユゴーの女性遍歴

 19世紀のパリには、世界の文学史に名を残す文豪が3人いました。『レ・ミゼラブル』を書いたヴィクトル・ユゴー、『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』などで知られるアレクサンドル・デュマ、そして『ゴリオ爺さん』をはじめとする作品群『人間喜劇』を残したオノレ・ド・バルザックです。

 同時代に生きた3人は親友の関係だっただけではなく、ある種の“共通点”がありました。文豪という高尚なイメージとは裏腹に、人間としては超俗物だったということです。その俗物ぶりを、「金」「愛」「名誉欲」という観点から延々と書きつづったのが、拙著『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック 三大文豪大物比べ』(文春文庫)です。私は多様な伝記を書いてきましたが、この3人ほど異彩を放つ人物はなかなかいません。

 まずユゴーは、たいへんな性欲の持ち主でした。若いうちは厳格な母の教えで徹底的に抑え込んでいましたが、20歳で幼なじみと結婚したとたん、その反動で大爆発します。妻が疲れ果て、恐怖を覚えて愛人に救いを求めるほどでした。

 当のユゴーは2人の愛人をつくった他、毎夜のように相手を代えます。それも知人の奥さんや愛人、新進女優、娼婦(しょうふ)、愛人のお手伝いさん、一説によれば若くして亡くなった息子の妻まで、ほとんど手当たりしだい。文豪として、また貴族院議員として名誉も財産も得ていたため、それなりにモテたということでもあります。

「彼らは徹底した俗物だったからこそ、傑作を生みだすことができました」
「彼らは徹底した俗物だったからこそ、傑作を生みだすことができました」
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 しかもその性欲は、年齢を重ねても一向に衰えません。83歳で亡くなる直前までこの調子でした。そもそもなぜ、個人の女性遍歴がここまで生々しくつまびらかになっているのか、同書ではその理由にも触れています。

浪費で多くの人の生活を支えたデュマ

 2人目はデュマ。ひと言で表現するなら、イギリスの経済学者ケインズより約80年前に生まれたフランスのケインジアンでした。自ら“有効需要”を生み出し、多くの人の生活を支えたのです。

 当時、小説家・劇作家としての人気は、ユゴーやバルザックをはるかに上回りました。その分、莫大(ばくだい)な富を得たわけですが、同時に極端な浪費家でもありました。それを象徴するのが、パリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レーの森全体を買い取って建てられた「モンテ・クリスト城」。野外劇場や大庭園まで併設された大邸宅です。

 ただし、本人がぜいたくざんまいの日々を望んだわけではありません。自分が小説を書くことで多くの印刷工や貸本店などが潤い、劇を書くことで多くの俳優や劇場のスタッフの生活が可能になる。そう自負して、1日に10時間以上も執筆する日々を送ったそうです。

 またモンテ・クリスト城も門戸を開放し、誰でも出入りできる状態でした。大食漢で美食家、しかも無類の供応好きで料理好きでもあったので、気に入った人には自ら料理の腕を振るうこともあったようです。

 そんな調子なので、城内にはデュマ自身も知らない人物が増え続けます。なかには、無造作に置いてある金貨を持ち出したり、何年も居候したりする者も現れます。デュマは彼らを養うために、より多くの仕事を引き受け、多忙を極めていきました。

 しかしいくら稼いでも、彼らの浪費はそれを食い潰していきます。さらに1848年の「二月革命」を機に小説も劇も不人気となり、借金返済のために城も家財も失いました。結局、68歳で生涯を終える頃には無一文でした。

『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック三大文豪大物くらべ』(鹿島茂著/文春文庫)。本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます
『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック三大文豪大物くらべ』(鹿島茂著/文春文庫)。本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます
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借金生活が小説の種になったバルザック

 そして3人目はバルザック。浪費しては一獲千金を目指し、結果として墓穴を掘るという失敗を繰り返す人生でした。

 20代前半で三文小説の書き手になったものの、いくら書いても思うようにもうからない。これは出版社が搾取しているからに違いないと考え、出資者を募って自ら出版事業を起こします。しかし失敗して莫大な借金だけが残りました。常人ならここで懲りるところですが、バルザックは違います。出版社がうまくいかなかったのは印刷所が搾取しているからだと“総括”し、さらに借金を重ねて印刷所を開業。その経営が早々に行き詰まると、今度は同じような発想で活字鋳造業に手を出し、また失敗します。結局、現在に換算すれば約1億円もの借金だけが残りました。

 しかしこの失敗が、文豪バルザックの原点になります。借金返済のため、小説を書く仕事に専念しただけではありません。特殊な経験をしなくても、市井にはおカネをめぐる悲喜劇が無数にあるということを、身をもって学んだからです。

鹿島さんの書斎には19世紀フランスの希少本が並ぶ
鹿島さんの書斎には19世紀フランスの希少本が並ぶ
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 ただし、浪費癖は生涯直りません。常に貴族の女性しか相手にせず、それに見合うように、高価な馬車や調度品や衣類などに惜しみなく大枚をはたきます。当然ながらすべて借金で賄うので、常に借金取りに追われる身でした。

 ところが、追い込まれてから書いた小説ほど傑作が多いのです。むしろ40代の後半に、貴族の夫を亡くした女性との結婚が決まり、もう借金を重ねる必要がなくなったとき、旺盛だった創作意欲も減退します。亡くなったのは51歳でした。

 同時代のパリにこれほどの3人がそろったことは、恐らく偶然ではありません。むしろ時代が生んであろう豪傑でした。キーワードは「ナポレオン」。同書ではその経緯についても触れています。

 彼らの生涯を振り返ると、自分の“小ささ”を思い知らされます。彼らを見習うかどうかはともかく、徹底した俗物だったからこそ、文学史に残る作品を残せたことは間違いないでしょう。

取材・文/島田栄昭 写真/木村輝(鹿島さん)、スタジオキャスパー(書影)