フランス文学者で、渋沢栄一らの伝記作家としても知られる元明治大学教授の鹿島茂氏の選書による傑作自伝・評伝の2回目は、『フランクリン自伝 』(岩波文庫)。アメリカの100ドル紙幣の肖像で、独立宣言の起草にも携わったベンジャミン・フランクリンは、アメリカ人が理想とする「セルフメイド・マン」の典型。仮説と検証を繰り返し、本を読んで勉強し、分からないことは専門家に聞きに行く独学の姿勢は、現代人にも大いに参考になるだろう。(文中は一部敬称略)

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 日本ではにわかに渋沢栄一が脚光を浴び、周知の通り2024年度からは1万円札の肖像にも登場します。一方、アメリカの最高額紙幣100ドル札の肖像は、昔から一貫してフランクリンです。

 フランクリンといっても、日本ではあまりなじみがないかもしれません。18世紀、ちょうどアメリカ合衆国がイギリスの植民地から独立・建国する時代の人物で、「独立宣言」の起草に携わった政治家、欧州各国との条約締結に奔走した外交官であるとともに、物理学者であり、哲学者であり、それ以前は起業家、実業家で大富豪でもありました。その多岐にわたる活躍ぶりから、「アメリカ合衆国建国の父」の一人とも、「アメリカ資本主義の育ての親」とも呼ばれています。

「フランクリンは、アメリカ人が理想とする人物の典型です」
「フランクリンは、アメリカ人が理想とする人物の典型です」
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抜群に面白い大出世ストーリー

 ただ、その成果だけが評価されているわけではありません。貧しくて無学だった幼少期から、黎明(れいめい)期のアメリカを代表する人物にまで成長・出世するプロセスが抜群に面白い。その一部始終を、晩年の本人が数々の失敗も含めて余すところなく記したのが『フランクリン自伝』です。自身の足跡を誇張するわけではなく、かといって謙遜することもなく、極めて冷静かつ客観的に記述している点に特徴があります。

 学校教育を受けたのは10歳まで。その後、兄が起こした新聞の印刷所で記者および印刷工として奉公するようになります。やがて兄と仲たがいして郷里のボストンを離れ、職を求めてフィラデルフィアに落ち着きました。一時はロンドンに渡って印刷工として働いたこともあります。

 実業家として本領を発揮するのは20代前半から。ロンドンで磨いた印刷の腕と勤勉さで自分の評判を高めると、独立して印刷所を興すとともに、かつて勤めていた印刷所が立ち上げたばかりの新聞社を買収して自ら発行主となります。

 さらに転機となったのが、20代後半に「貧しいリチャードの暦(Poor Richard’s Almanack)」という格言を満載した日めくりカレンダーを発売したこと。これが大ヒットして莫大(ばくだい)な富と信頼を築いたことで、実業界から政界、そして科学の世界へと転身を図ることになるのです。

『フランクリン自伝』(松本慎一・西川正身訳/岩波文庫)
『フランクリン自伝』(松本慎一・西川正身訳/岩波文庫)
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「セルフメイド・マン」の理想を体現

 もともとアメリカには、自分で自分の道を切り開いた人物「セルフメイド・マン」を尊敬する風潮があります。その意味で、フランクリンは理想を体現した人物と言えるでしょう。倹約や禁欲を心がけ、きわめて誠実かつ勤勉であり続けたのも、すべて人から信頼を得るため、そしてお金をもうけるためと言って憚(はばか)りません。この“現金”なところも、いかにもアメリカ人好みです。

 ただし、自分だけもうければいいと考えていたわけではありません。

 アメリカ初の公共図書館や学校(後のペンシルベニア大学)を設立したり、地域に夜警団や消防団を組織させたり、寄付を募って礼拝堂を建設したり等々、公共の利益のために尽力しました。真の豊かさとは、社会全体を富ませることであると看破していたわけです。東西の「資本主義の父」の発想は、図らずも一致していました。

 その資質から、30代になると次第に公職を兼務するようになり、40代からは政治家・科学者としての活動に軸足を移します。

仮説と実験、検証を繰り返す

 とりわけ異彩を放つのが、科学者として雷が電気であると証明したことでしょう。先にも述べましたが、フランクリンは基礎教育をほとんど受けていません。しかし電気に興味を持つと、ひたすら本を読んで勉強し、分からない部分は専門家を訪ねて解決し、自ら仮説を立てて実験と検証を繰り返して証明に成功したわけです。

「まず疑問を持ち、徹底的に考え、分からないことは人に聞きにいく学びの姿勢は、現代人にとっても参考になります」
「まず疑問を持ち、徹底的に考え、分からないことは人に聞きにいく学びの姿勢は、現代人にとっても参考になります」
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 その執念や熱意、ハンディキャップを独学で挽回しようとする姿勢は、エジソンとも、あるいは日本でいえば若き日の本田宗一郎ともよく似ている気がします。

 重要なのはまず疑問を持つこと。それをいかに解決するか、あらゆる手段を駆使して考えるからこそ進歩するわけです。これは、科学技術や学問にかぎらず、どんなビジネスシーンにも当てはまることでしょう。同書を読むと、それをあらためて実感できると思います。

 人生後半のフランクリンは、外交官として欧州との間を何度も往来します。同書では触れていませんが、政治家・科学者としてその名は知れ渡っていたらしく、独立戦争中に滞在し、また独立宣言後に駐仏全権公使として赴任したパリでは大歓迎を受けたそうです。

 ちなみに、19世紀フランスの「新聞王」「新聞界のナポレオン」と称されるエミール・ド・ジラルダンもフランクリンの大ファンで、「貧しいリチャードの暦」のフランス語版を発行しています。彼も無一文から身を起こし、多くの広告を掲載して購読料を引き下げるという今日では当たり前の新聞スタイルを生み出して巨万の富を築きました。また社会を良くするには中間層の知的水準の向上が欠かせず、それには新聞が最適と考えていました。このあたりの発想も、フランクリンとよく似ています。

 それはともかく、同書は非常に平易な英語で書かれているので、日本語版も読みやすく翻訳されています。偉人と呼ばれる人物の生涯を細かく観察する上でも、またアメリカ人が思い描く理想の人物像を知る上でも、非常に面白い一冊だと思います。

取材・文/島田栄昭 写真/木村輝(鹿島さん)、スタジオキャスパー(書影)