読めば読むほどうまくなるゴルフの名著を紹介する「書斎のゴルフ」第1回は、伝説のアマチュアゴルファー・中部銀次郎さんの『中部銀次郎 ゴルフの神髄』です。「技術を磨くことより心の内奥に深く問い続けることが大切」「自分の力を、甘くなく辛くなく正確に把握する。そこからすべては始まる」と説く中部さん。日本アマチュアゴルフ選手権を6度制し、プロよりも強いと言われたゴルファーがたどり着いた勝負の極意とは?

伝説のアマチュア・中部銀次郎の名言集

『中部銀次郎 ゴルフの神髄 新編 もっと深く、もっと楽しく』(中部銀次郎著)。伝説のアマチュアゴルファー・中部銀次郎が遺(のこ)した珠玉のゴルフスピリット
『中部銀次郎 ゴルフの神髄 新編 もっと深く、もっと楽しく』(中部銀次郎著)。伝説のアマチュアゴルファー・中部銀次郎が遺(のこ)した珠玉のゴルフスピリット
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 かつて、日本のアマチュアゴルフ界には中部銀次郎という至宝がいた。日本一のアマチュアを決める日本アマチュアゴルフ選手権で優勝6度という史上空前の偉業を成し遂げ「球聖」と呼ばれた人物である。

 本書『 中部銀次郎 ゴルフの神髄 新編 もっと深く、もっと楽しく 』(中部銀次郎著/日経ビジネス人文庫/2003年10月刊)は、その中部が選手生活を引退後、市井のゴルファーとプレーするようになって感じた事柄をまとめたものである。ゴルフとはいかなるものか、その神髄をゴルフの神様と呼ばれた人物が語ったものだから「神髄」なのだ。今もなおロングセラーを続けている出色のゴルフ本である。

 中部は大洋漁業副社長であった利三郎の三男として、1942年、山口県下関市に生まれた。子供の頃は虚弱体質だったことから、父親は自分も好きだったゴルフを息子にさせて健康回復に努めさせようとした。息子は父に付いてゴルフコースを回り、やがてクラブを振るようになり、父と一緒にコースを回るようになった。厳格でいながら愛情豊かな父に好かれたい一心でゴルフに取り組み、いつの間にかゴルフの虜(とりこ)になっていた。

 父と一緒に楽しくプレーするには上達しなければならない。痩(や)せっぽちで小さな少年は飛距離こそ出なかったが、猛練習を重ねることで正確なショットを身につけ、さらに苦手なバンカーショットも克服して、大人に混じっても負けないゴルファーとなった。普段から素振りを欠かさず、中学2年の時にはハンデ8の腕前になっていた。この頃には日本一のゴルファーになりたいという夢を抱いた。

大学2年で日本アマ初優勝

 高校2年の時に大学生ばかりの関西学生選手権で予選トップとなる。高校3年時は大学受験のためゴルフから遠ざかるが、ゴルフへの思いは募るばかり。浪人中に日本アマに初出場し、大人たちに混じって予選をトップで通過、本選でも全国の強豪を倒し、準決勝で惜しくも敗退するものの、最年少記録を塗り替えてその名を知られるようになる。品行方正でハンサム、貴公子と呼ばれ、その頃のプロ選手よりも人気を得たスター選手となった。

 とはいえ、優しい性格もあってマッチプレーとなる本選でなかなか勝ちきることができない。日本アマのタイトルを獲得したのは、挑戦3度目となる1962年、甲南大学2年の時だった。勝ち方を覚えた中部は大学4年の時に2度目の日本アマに優勝し、翌年の社会人1年目で3勝目を挙げ、続く67年に4勝目を成し遂げる。もはや日本に敵なしのチャンピオンだった。

「プロよりも強いアマチュア」といわれた中部銀次郎。品行方正でハンサム、貴公子と呼ばれ、その頃のプロ選手よりも人気を得たスター選手となった(写真提供/オフィスダイナマイト)
「プロよりも強いアマチュア」といわれた中部銀次郎。品行方正でハンサム、貴公子と呼ばれ、その頃のプロ選手よりも人気を得たスター選手となった(写真提供/オフィスダイナマイト)
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中部銀次郎
(なかべ・ぎんじろう) 1942年2月16日、山口県下関市生まれ。2001年12月14日逝去。10歳のときに父の手ほどきでゴルフを始め、高校時代からゴルフ界で頭角を現し、甲南大学時代の1962年に日本アマチュア選手権で初優勝。以来、64、66、67、74、78年と6度の優勝を成し遂げる。亡くなるまで東京ゴルフ倶楽部ハンデ1。

 その後、父の死にショックを受けてゴルフを一時中断したが、友人たちの熱意によって3年ぶりにゴルフを再開し、74年に日本アマ5勝目、78年に6度目の優勝を成し遂げるのである。その間には中嶋常幸や倉本昌弘など、後にトッププロとなる後輩とも競い合っている。事実、中部はプロの試合でも勝利を収めていて、「プロよりも強いアマチュア」と呼ばれていた。

 身長170cm、体重55kgというスリムな体形の中部は、飛距離が出るほうではなかった。アプローチやパットも飛び抜けた巧みさはなかった。そんな中部が何度も日本一になれたのは、アイアンの精度とコース攻略の賢さ、メンタルタフネスによるものだった。特にゴルフというスポーツは、ショットを打つ時間はほんのわずかで、後は歩いている。つまり考える時間であり、これをいかに有効に使うか、忍び寄る様々な心の迷いをいかに払拭するかに勝敗の行方がかかっている。

 中部はゴルフにおける「心」の重要性に気づき、常に平静な心持ちでプレーできるよう己を鍛えていった。欲と迷いと不安をいかになくしてプレーするか。煩悩を取り払い解脱(げだつ)を成し遂げようとしたのだ。だからこそ、亡くなって20年以上となる今でも球聖とたたえられているのである。

ゴルフはミスのゲーム

 本書『中部銀次郎 ゴルフの神髄』にもそうした中部が習得したゴルフの「心」が随所に書かれていて、アマチュアゴルファーにとってのゴルフ上達への大きなヒントがちりばめられている。本書に収録されている39の話の中で、「欲は捨てること」という項目がある。

 ゴルフはミスのゲーム。ミスをどれだけ防ぐか、が問われる競技だ。しかし、アマチュアのゴルフでは、多くの場合、ミスが起こることをまったく計算に入れていないように見受けられる。だから実際にミスが起こった場合、動揺して次のミスが誘発され、スコアが崩れていく。


 中部は「自分の力を、甘くなく辛くなく、正確に把握する。そこからすべては始まる」という。つまり、パーを取りたい、飛ばしたいといった「欲」は、自分の力を正確に把握していれば抱かずに済み、それによってミスを減らすことができるのだ。

 また、「プレッシャーに克(か)つ」という項目では、「精神的な制約を自分に課し、それに負けないようにする」と要点を述べている。つまり、プレッシャーを克服するには普段から自分自身にプレッシャーを与えておく必要があると説いているのである。

 さらに、「何はともあれ深呼吸」では、「ミスを犯したら、深呼吸してみる。これによって次のミスの発生は、ほとんど防げるはずである」と深呼吸の重要さを述べている。ミスを犯せば誰もがあわてる。想定外のミスであればなおさらである。この時に深呼吸することを忘れない。それだけで心が落ち着き、連続ミスが防げるのである。

 こうしたことは、中部が激烈な競技生活を送ってきたからこそ得られた心のありようである。よって、煩悩に悩む読者は「我が意を得たり」と納得し、次回のゴルフに役立てることができるだろう。しかも中部が得た「神髄」はゴルフだけでなく、実生活にも役立つ優れた極意である。よりよい仕事、よりよい人生を送る一助になる言葉である。

 後半では本書『中部銀次郎 ゴルフの神髄』にある「頭脳」の使い方について述べたいと思う。

(後半に続く)

青木功プロも学んだ勝負の極意

「技術を磨くことより心の内奥に深く問い続けることが大切」「自分の力を、甘くなく辛くなく正確に把握する。そこからすべては始まる」。伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎が遺した、珠玉のゴルフスピリット。

中部銀次郎著/日本経済新聞出版/734円(税込み)