全世界で100万人以上に読まれている「伝説のレッスン書」がある。ゴルフレッスンの神様と呼ばれるハーヴィー・ペニックが、その教えを1冊にまとめた『リトル・レッド・ブック』(1992年)だ。発売してから1年足らずで全米60万部のベストセラーとなったこの本は、レッスン書とはいうものの、写真もイラストもない、至ってシンプルなもの。ところがそこに書かれている話は、ゴルフ好きの人の心を捉えて離さない、魅力的なものだった。

トッププロたちはこの本で強くなった

『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(ハーヴィー・ペニック、バド・シュレイク著/本條強訳/日経ビジネス人文庫/2005年11月刊)。全世界で100万人以上に読まれている伝説のレッスン書。明日のゴルフが楽しみになる1冊(本書は2023年7月現在、品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)
『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(ハーヴィー・ペニック、バド・シュレイク著/本條強訳/日経ビジネス人文庫/2005年11月刊)。全世界で100万人以上に読まれている伝説のレッスン書。明日のゴルフが楽しみになる1冊(本書は2023年7月現在、品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)
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 史上最高のゴルフレッスン書とうたわれる本がある。全米で初めてゴルフ教師となったハーヴィー・ペニックさんが亡くなる直前に著した『リトル・レッド・ブック(小さな赤い本)』である。

 1992年に出版されてすぐに全米のベストセラーとなり、その後、世界中のゴルファーに読み継がれ、100万部以上の売り上げになったといわれ、今も多くのゴルファーに親しまれている。なぜにここまで愛されてきたのかは、この本を読めば一目瞭然である。ゴルフを愛し、ゴルフをする人は皆友達だと語るペニックさんが、60年以上にわたってレッスンをしてきて、これだけは永遠の真実だと思える教えだけを書きつづった本だからである。

 ペニックさんは、そうした自分が確信したレッスン内容を小さな赤いノートにメモ書きしてためていた。公表するつもりはなく、同じくゴルフ教師となった自分の息子、ティンズリーさんにだけ渡すつもりだったノート。しかし、それではあまりにもったいない、世界中の悩めるゴルファーに公開しようと同郷のライター、バド・シュレイクさんがペニックさんに強く勧めて本として刊行されるに至ったのだ。

ハーヴィー・ペニック(Harvey Penick) 1904年生まれ。バイロン・ネルソンらとツアープロとして活躍した後、全米初のティーチングプロとなる。テキサス大学ゴルフ部のコーチを長く務め、20回もの全国優勝を成し遂げる。レッスンの神様としてトム・カイトやベン・クレンショーなど数多くのトッププロを育てた。(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
ハーヴィー・ペニック(Harvey Penick) 1904年生まれ。バイロン・ネルソンらとツアープロとして活躍した後、全米初のティーチングプロとなる。テキサス大学ゴルフ部のコーチを長く務め、20回もの全国優勝を成し遂げる。レッスンの神様としてトム・カイトやベン・クレンショーなど数多くのトッププロを育てた。(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
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 日本ではアメリカで刊行された翌1993年にマガジンハウスから『奇跡のゴルフレッスン』のタイトルで出版された後、2005年に日本経済新聞出版社で文庫化され、『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』の表題となった。両書とも訳はこのコラムを書いている私が行ったものだが、日経ビジネス人文庫では私がペニックさんに実際に会ったときのことが新たに記されている。このことで読者の皆さんは、よりペニックさんの温かい人柄に触れることができると思う。

 ペニックさんはテキサス大学ゴルフ部監督として何度も同校をナンバーワンにさせ、多くのプロにツアー優勝をもたらした。マスターズや全米オープンにも勝たせるなど、その功績は甚大なものがある。しかし、ペニックさんはそうしたトッププロやトップアマ、有名人などと、一般の普通のゴルファーとをまったく分け隔てしなかった。「ゴルフをする人は皆友達」が彼の生涯の信念だったからだ。

 ゴルフ教師に一生をささげたペニックさんの教えは永遠である。だからこそ、今もなお、彼の言葉を信じて練習しプレーする人は世界中に後を絶たないのだ。

「その人に合った教えを」

 ペニックさんは1904年、テキサス州オースティンに生まれた。8歳のときにオースティンCCのキャディになり、13歳でアシスタントプロ、高校を卒業した1923年にヘッドプロとなる。仕事ぶりが抜群で、クラブのメンバーにこよなく愛されたナイスガイだった。

 ゴルフの腕前も素晴らしいから、プロの試合にも出場していた。ベン・ホーガンやバイロン・ネルソンらとプロツアーで戦ったが、飛ばし屋のサム・スニードが登場して、彼のパワーにはかないっこないと現役を引退、ゴルフ教師になった。年齢的にもスニードらは8歳下で若々しく、ベテランでもあったペニックさんは引き際と考えたのだろう。

 しかし、転向したゴルフ教師はペニックさんの性に合い、才能もあった。瞬く間に全米ナンバーワンのゴルフ教師になっていく。なぜなら、ペニックさんに習えば、アマチュアはすぐさま上達でき、プロなら優勝が達成されるからだ。それは、ペニックさんが相手をよく観察して、肉体的なことだけでなく、心理も読み取って、その人にふさわしい教えを与えるからだ。

 ペニックさんは言う。

「人間は一人ひとり違う。体力も筋力も骨格も性格さえ違う。だから、その人に合った教えをしなければいけない。故に私はグループレッスンは行わないし、その人に対するレッスンを他の人に見せることもしない。ベン・クレンショーのレッスンをトム・カイトに見せたことはない。いくらトムが私に頼んできても許さなかった。なぜなら、あの二人の個性や運動能力はまったくかけ離れたものだったからです」

「人間は一人ひとり違う。体力も筋力も骨格も性格さえ違う。だから、その人に合った教えをしなければいけない」。ペニックさんは自分が確信したレッスン内容を小さな赤いノートにメモ書きしてためていた(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
「人間は一人ひとり違う。体力も筋力も骨格も性格さえ違う。だから、その人に合った教えをしなければいけない」。ペニックさんは自分が確信したレッスン内容を小さな赤いノートにメモ書きしてためていた(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
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 ペニックさんはアマチュアやトッププレーヤーを教える傍ら、前述したように地元の大学、テキサス大学ゴルフ部の監督になる。それはペニックさんが27歳から60歳までの34年もの長きにわたって行われ、NCAA(全米大学体育協会)南西地区では50歳までの23年間で20回もの優勝を成し遂げ、全米チャンピオンの選手も誕生させた。監督を退いた後も教え子のベン・クレンショーとトム・カイト率いるテキサス大は2年連続で全国優勝を成し遂げている。

 トッププロたちはペニックさんの元に駆け寄り、コースだけでなく電話などでもアドバイスを求める。トム・カイト、ベン・クレンショー、ミッキー・ライト、ベッツィ・ロールズ、キャシー・ウイットワース、サンドラ・パーマーなど枚挙にいとまがない。

 トム・カイトは1992年に全米オープンに優勝、マスターズは2位が3度もある。ミッキー・ライトは全米女子プロ4勝、全米女子オープン4勝などメジャー13勝の伝説の強者。ベッツィ・ロールズは全米女子プロ2勝、全米女子オープン4勝などメジャー8勝を挙げ、キャシー・ウイットワースは全米女子プロ3勝などLPGAツアー88勝の最多勝利記録保持者となった。

15本目のクラブはペニックさん

 特筆すべきはマスターズ2勝のベン・クレンショーである。なぜなら1995年の2度目の優勝はペニックさんが亡くなった1週間後。開幕前日にオースティンに飛んで葬儀に参列。亡き師匠の棺を担いだ後、すぐにオーガスタに戻り、試合に臨んだのだ。悲しみのあまり一度は出場を辞退しようと思っていたが、出場することこそ師匠への恩返しと懸命にプレー。するとパターが面白いように決まる。最終日は追いすがるデービス・ラブ三世を振り切って優勝した。最後のパットを決めた後、グリーンで泣き崩れるクレンショー。どれだけの人が一緒に泣いたことだろう。クレンショーは優勝スピーチで言った。

「私のバッグには15本のクラブが入っていた」

ベン・クレンショーがマスターズで2度目の優勝を遂げたのはペニックさんが亡くなった1週間後だった。優勝スピーチでクレンショーは、泣きながら愛すべき師匠への感謝を述べた(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
ベン・クレンショーがマスターズで2度目の優勝を遂げたのはペニックさんが亡くなった1週間後だった。優勝スピーチでクレンショーは、泣きながら愛すべき師匠への感謝を述べた(写真/『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』より)
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 15本目のクラブとは師匠であるペニックさんのこと。ペニックさんが助けてくれたからこそ勝てたというわけだった。クレンショーは子供の頃からペニックさんのレッスンを受けていた。その愛すべき師匠が天国に旅立ってすぐのマスターズ優勝。師匠が神様となってクレンショーを後押ししたというのは、誰もが信じることだった。それほど神がかり的なパットが決まった4日間だったのだ。

 さて、この本の紹介の前編はここまででいったん終了として、後編はこの本にあるペニックさんの教えを具体的に教授しよう。

(以下、後編に続く)