多いときは1日に5時間も本を読む為末大さん。現役時代からそうして独学を続けビジネスを始めた為末さんが、「仕事がやりにくい」と言われたことがきっかけで必要性を感じたのが「アンラーン」だ。経済学者の柳川範之さんと共著で 『Unlearn(アンラーン)』(柳川範之氏との共著、日経BP) を出版。為末さんにとっては、読書もアンラーンの一つ。「人生の喜びの半分は読書」という為末さんの本を読む意味を、深掘りして聞く。

その「記憶」、当てになりません

 僕は、講演などで過去の経験について話す機会も多いのですが、それを何年も続けているうちに、ちょっとした気づきがありました。

 同じエピソードでも、何年も話していると、話している内容が変わったりするのです。この出来事は自分の人生にこんな意味があったと話している部分の意味が変わり、そして次第にそもそも話している出来事自体がすこし変化していくんです。講演でよく話している場所に行った時、記憶の中のその場所と比べて、実際の場所はあまりに小さくて驚いたことがありました。

 そのうち、話している本人すら何が事実だったかを忘れて、無自覚に記憶をつくりかえることもあるかもしれない…。そんな可能性があることを『記憶は嘘をつく』(ジョン・コートル著、講談社)という本で知りました。

(本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)
(本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)
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 この本の出だしは実家にあったギターの上の白い手袋を探すところから始まります。いくら探してもそのギターも白い手袋も見つからない。ある日、祖父が録音の中でギターの上に白い手袋があるという話をしていたことを発見し、著者は記憶の不確かさに興味を持ちます。それは、自分は失敗したと思っているから、その部分を強調して覚えているせいなんですが、そんなふうに、過去の記憶は意外と簡単に脚色されるわけです。

 記憶は、僕たちが思っているよりはるかに当てにならない。これは僕にとって、なかなかの気づきでした。

「自分の記憶に頼らなくなりました」
「自分の記憶に頼らなくなりました」
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 まず、妻との「あれ、どこにやった?」「あそこに置いたよ」というやり取りが減りました(笑)。

 自信満々に「あそこに置いたよ」と答えながら、「待てよ、記憶は確かじゃないんだよな」と思うようになったわけです。逆に、妻が「置いた」と言う場所になくても、「悪気があるわけじゃないから」と寛容に受け流せるようになりました。

 何より大きな収穫は、記憶に縛られなくなったことです。

過去の記憶は人生を縛ることがある

 記憶に自分の人生を縛られることって、たくさんあると思うんです。僕たちは過去の自分の言動や思考と、今の自分に一貫性を持たせようとしますよね。でも、あの時こんなことをやった言ったという記憶自体が、実際の行動ではなく自分の印象で作られています。そしてその記憶自体はどんどん書き換えられていくんですね。

 でも、そもそも記憶は確かじゃないから、過去の自分が「しない」と言ったことを、今の自分がしても、まったく問題ないんです。

 だから自分がしてきたことの点と点を結んで、無理やり線にする必要もない。何しろ事実かどうか分からないのですから。自分自身が変わることを「しょうがないじゃん、そんな気分になったんだから」と肯定的に捉えられるようになりました。

 この、「なぜか自分を一貫させようとする」というのは、人間の面白いところでもあると思います。

セルフプロデュースし過ぎた

 一貫させることで、自分はこういう人間です、というイメージを作り上げているのかもしれません。

 僕の場合、ちょっと自意識が強かったというか、小さい頃から「自分が周囲からどう見られているのか」を敏感に感じるタイプでした。

 足が速かったものだから、どんどん人から見られるようになって、その視線を感じながら競技をするなかで、「自分はこういう人間だ」という、いわばキャラクターの演出みたいなことをするようになったんだと思います。

 そうして自分を作り上げて勝ち進みましたが、あるときから、その自分が保ちきれないと感じるようになりました。例えば「努力して絶対勝つ」ような自分は、最終的に勝てなくなってくると成立しなくなります。「勝てないのは自分が努力していないからだ」と自分を責めるようになっていくんですね。

 それで徐々に瓦解して、「今の自分を生きていこう」と考えられるようになりました。一貫性なんてなくていい、一つの塊にならなくていい、人間ってそういうもんだよね、という自由な感じ。極端なことを言うと、「きょうの僕はこんな感じです」というぐらい自由でいいのかな、と思います。

 僕は人生のすごく早い時期からセルフプロデュースをしすぎたのでしょう。気づいたら自分を縛っていて、それから自分を解放するプロセスが必要になったために、記憶をはじめ、前回までに紹介した脳や心理の本を読んできたわけですね。

為末氏が館長を務める「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」のオフィスにある大きな本棚
為末氏が館長を務める「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」のオフィスにある大きな本棚
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 もちろん、僕にとって読書は、自分の好奇心に素直に従う行為でもありました。僕は、好奇心に従っているのが一番幸せです。

 「好奇心に従う」ということを実践するとしたら、「知りたいテーマの本を読む」か、「そのテーマに詳しい人に会う」かのいずれかです。つまり、読書は僕の人生の喜びの半分を占めることなのです。

「人生の喜びの半分は読書。本を読んでいる時間は本当に幸せです」
「人生の喜びの半分は読書。本を読んでいる時間は本当に幸せです」
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1日5時間の読書習慣ができた理由

 ムラはありますが、週に1冊以上、月に7、8冊は読んでいます。1冊ずつ読み切ろうと思うんですが、難解な本に出合うと他の本を開きがちで、結果、数冊ずつ並行して読むことになりますね。

 読むタイミングは夜、息子を8時か9時に寝かしつけた後の10時から11時ぐらいまで。朝は5時ぐらいに起きて、息子が起きてくるまでまた読む、と。さらに、通勤に往復2時間ぐらいは電車に乗っているので、1日の読書時間は結構あります。多いときは5時間ぐらいでしょうか。

 こうした読書習慣ができたのは、30代前半にアメリカで暮らしていた時です。当時は英語があまり話せなかったので、日本語の本を持って行っていたんです。当時は今よりもっとたくさん読んでいましたね。

読みたい本が広がっていく方法

 本を読むことで、いろんな「世の中の編集法」ができるようになると思います。ある出来事に対して、いろんな見方や切り取り方ができるようになる。世の中を平面的ではなく、立体的に捉えられるようになるでしょう。

 僕の場合は、仕事でその分野の第一人者の方とお会いしたら、おすすめの本を聞いて読むようにしています。さらに、その本の中で引用されている本も読みます。第一人者の方のおすすめしてくれる本はきっと間違いがない、と思っていることもありますし、実際、お話ししていたことへの理解が、紹介してもらった本を読むことで深まっていくのも楽しいんですよね。

 最近だと、言語心理学者の今井むつみ教授に『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』(メアリアン・ウルフ著、小松淳子訳、インターシフト)という本を教えてもらいました。副題にある通り、読書が脳に与える影響について書かれた内容です。

 ただ、おすすめしていただいた本に加えて、その本の中で引用している本も読むとなると、ゆうに10冊は超えそうで……。終わりはありませんね。

取材・文/茅島奈緒深 構成/宮本沙織(日経BP 第1編集部) 写真/尾関祐治