為末大さんは、なぜたくさん本を読むのか。本から何を得ているのか。「変わらなければいけなくなった自分との向き合い方、変化する自分のつくり方」をもとに、読書の意味に迫ります。

若くしてトップになる人生は幸せか?

 かれこれ7、8年前になるでしょうか、「2度目の東京オリンピック」が決まったときも、僕は本を読んでいました。

 当時は、僕が代表を務める社団でオリンピック選手のセカンドキャリアのサポートをしていました。そのこともあって、東京オリンピックが決まったとき、めでたいとか、うれしいとか…それだけではなくて、「自国開催で多くの選手が出場したら、開催後に燃え尽きる選手もまた、たくさん出てしまうんじゃないか」と思ったんです。それで、何か得られるんじゃないかと、開いてみた本があります。

 オリンピック選手のその後を追った本は、いくつか出版されています。1964年の東京オリンピックの日本選手12人の軌跡を追った『五輪の十字架』(西所正道著、NHK出版)もその1冊です。

オリンピックの東京開催が決まったとき、為末さんが読んだ本(本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店などで入手、図書館で読むことができます)
オリンピックの東京開催が決まったとき、為末さんが読んだ本(本書は品切れ・重版未定です。古書店、インターネット書店などで入手、図書館で読むことができます)
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 この本に描かれているのは、「選手たちがオリンピックに向けてつくっていったメンタリティーが、いかにその後の人生を邪魔するか」という、厳しい現実でした。

オリンピックの強い光に照らされた選手が抱く闇

 僕もそうだったのですが、オリンピックのような大舞台となると、競技者というのは、勝負用のプログラムをインストールされたような感じになるんです。勝負が終わって引退したら、そのプログラムをアンインストールする必要があります。でも、それがなかなかうまくいかない。

 その本で描かれている12人の選手たちも、その後の人生がみんな幸せだったとは言いづらいものでした。行方不明者が4人いて、自殺した選手もいた、と書かれていました。

 陸上競技は1人で戦うという基本哲学があります。競技場に立ったら、コーチに助言をもらうことも認められていません。そのため、すごくコンペティティブ(競争心が強く)になるんですが、その反動で、引退後もずっと、1人で戦う癖が抜けなくなってしまう。

 “普通の人”として暮らそうとしても、地域のちょっとしたスポーツ大会のレベルでも勝利にこだわり過ぎて周りの人とギスギスしてしまったり、それじゃいけないんだと自分を無理に変えようとして過剰な自己否定をしてしまったり。でも、周囲からは、「オリンピアン」として扱われるわけです。そうしたことがひとつひとつ積み重なって、いつか、耐えられなくなってしまうんですね。

 1人で戦う癖を抜く大変さは、僕自身も経験しました。引退して初めてビジネスに関わったとき、「そうか、ビジネスは1人でやるのではなく、他の人と一緒にやることに慣れなければいけないんだな」と。

「変化が求められるとき、自分には何ができるのか。僕も、一人で戦ってきた自分を変えるために苦労したんです」
「変化が求められるとき、自分には何ができるのか。僕も、一人で戦ってきた自分を変えるために苦労したんです」
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 オリンピックで勝つために身に付けたはずの癖を自覚し、変えようとし続けるのは、なかなかしんどいことでしたが、幸いなことに僕は好奇心が強いタイプでもあったので、新しいやり方に触れるたび、「なるほど、こういうやり方があるのか」と思うことができて、今につながっています。

 もちろん、1回目の東京オリンピックと2回目の東京オリンピックとでは、時代も違えば、オリンピック選手に対する世間の目も違います。それによって味わう苦労も比較になりませんが、それでも引退したらすぐ、世間が一個人として見てくれるわけではありませんでした。

 僕にとって本当にツラかったのが、「すごかったですね」と言われることでした。

「残りの人生が消化試合に思えた」

 「すごいですね」ではなく「すごかった」。過去を称賛されるたび、「オリンピック後のあなたの人生は消化試合です」と言われているような気がしました。

 「すごかったこと」だけではいずれ食っていけなくなることは目に見えていて、でも、オリンピック以上か同じぐらいに目指すものは簡単には見つからない状態。常に現役時代のあの時と比べてしまっていました。

「残りの人生は、ずっと下り坂なんじゃないかと悲しくなったこともありました」
「残りの人生は、ずっと下り坂なんじゃないかと悲しくなったこともありました」
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 でも考えてみると全てのつらさはどこと比較して今の自分を見ているかというだけなんです。もっとずっと昔に遡って考えれば、無名で何も持っていなかった時代もあったのに、そのことは思い出さないわけです。

 「本当は、引退して単にゼロに戻っただけのことだ」――そのことを、つどつど思い出すようにしました。何かの拍子に、「俺はオリンピックに出てるんだぞ! メダリストだぞ!」という思いが湧いてきたら、もう1人の自分が自分に「あなたの問題はそれですよ」と指摘し続ける。

「きょうから始める」で始めたこと

 そして、毎日「きょうから始める」という意識を持つようにしました。過去の記憶と比較するとこじれるので、きのうまでのことは忘れて「きょうから始める」と思うわけです。

 それで、僕が実際にしたことは、「電車に乗ること」でした。

 現役時代は、なんとなく有名人というのはタクシーとか自家用車で移動するものだと思っていて、そうしてたんですね。人に見られるのも嫌だという意識もありました。

 でも、実際に電車に乗ってみたら誰も気が付かないんですね。びっくりするぐらい。それを悲しく感じた時もありますが、これが現実なんですから合わせるしかないかと、毎日「今日から始める」という意識で慣れていきました。要するに役割が変わったんだからそれに合わせて自分も変わればいい、それだけなんですね。それを最も邪魔しているのは他人ではなく、自分自身の記憶と思い込み、つまりプライドです。

 それなりに決意が必要なことではありますが、「きょうから始める」を行動に移すと、必ず成長する。ExcelやPowerPointの使い方にしても、引退直後はちんぷんかんぷんでしたが、誰かに聞いて教えてもらえば使えるようになりますよね。なんでも、「きょうから始める」をすれば、ゼロが1になる。

 「きょうから始める」を続けると、変わることができる。僕が柳川範之さんとの共著で出した本 『Unlearn(アンラーン)』(柳川範之氏との共著、日経BP) にも、その方法が書いてあります。

「アンラーンとは『学ばない』ことではない。過去の学びから、クセやパターン、思い込みをなくすことで、 新たに成長し続けられる状態に自分を整える技術なんです」
「アンラーンとは『学ばない』ことではない。過去の学びから、クセやパターン、思い込みをなくすことで、 新たに成長し続けられる状態に自分を整える技術なんです」
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 読書の話からは少し離れてしまいましたが、自分自身の体験だけではなく、本を読むことで他者の視点を疑似体験できる。過去の自分より「ひと回り大きな自分」になるために――。読書を続けてきたからこそ、今の僕の考えがあると思っています。

取材・文/茅島奈緒深 構成/宮本沙織(日経BP 第1編集部) 写真/尾関祐治