葛飾区の町工場の3代目で、2020年から毎日、SNSで統計データを発信している小川真由氏による書き下ろし『 経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金 誰かの犠牲に支えられた「サービス過剰」を終わらせよう 』(日経BP)が指摘する、今の日本経済と働く人が直面している現状とは。『資本主義と、生きていく。』(大和書房)の著者で、「COTEN RADIO」を運営する株式会社COTENの品川皓亮氏に、本書の書評を寄せてもらった。
「はたらけど はたらけど猶(なほ) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」
――本書を読み進めるうちに頭に浮かんできたのは、明治の詩人・石川啄木の歌だった。彼の「はたらけど」の歌は、百年以上の時を隔ててなお、日本の働き手の実感を驚くほど正確に射抜いている。
なぜ、真面目に働いているのに生活は楽にならないのか。本書が対峙(たいじ)するのは、まさにこの問いである。
中小企業の経営者であり、経済統計データを独自に研究し続けてきた筆者の主張は明快だ。日本の閉塞感の根本には、「人の仕事の価値」を安く見積もりすぎる取引慣行や価値観がある。低賃金は、経済政策の失敗や企業努力不足だけでは説明できない。「安くて良いもの」を当然視し、無償対応や過剰サービスを美徳のように扱ってきた社会構造の帰結なのである。
筆者は、日本経済の奇妙さは、安く高品質なモノやサービスに囲まれているにもかかわらず、生活満足度や幸福度が決して高くない点にあるという。むしろ、人の仕事が安売りされるほど、働く人の余裕は失われ、社会から寛容さが消えていく。売り手は疲弊し、買い手はさらに安さを求める。その悪循環が、日本経済の「そこはかとない閉塞感」を生んできたのだ。
だからこそ本書は、「仕事の価値」を正しく認め、付加価値に見合った適正な対価を支払うことの重要性を訴える。これまでの〈よいモノを、より安く、よりたくさんつくる〉「規模の経済」から、〈ニッチな領域で多様な需要に応え、付加価値を増やす〉「多様性の経済」へ。買い手も売り手も、「適正な取引価格」と「仕事へのリスペクト」を取り戻さなければならない。
その主役として筆者が期待を寄せるのが、日本の中小企業である。中小企業こそ、身軽に動き、小さくニッチな仕事に応え、一人ひとりの能力を活(い)かしながら、新しい付加価値を生み出せる。この指摘には、中小企業の現場を知る人間ならではの説得力がある。
本書の魅力は、統計データに虚心坦懐に向き合う冷静さと、中小企業経営者としての切実な現場感覚が同居している点にある。しかも、「日本企業は投資不足だ」「生産性が低いのは働き方が非効率だからだ」といったクリシェ(常套句)に安易に寄りかからず、独自の視点を貫徹している。数字と現場、理論と実感をつなぎ直し、「働くことの値段」を根本から問い直す一冊といえるだろう。
私たちが「ぢつと手を見」た後に次の一歩を踏み出すための勇気を、本書は静かに与えてくれる。
