最新の経済学は、米グーグルや米アマゾン・ドット・コムをはじめ、多くの米国企業で導入されています。しかし日本に目を向けてみれば、直感、場当たり的、劣化コピー、根性論で進められている仕事も少なくありません。なぜ米国企業は、経済学を積極的に採用しているのか。本当に経済学はビジネスの役に立つのか。役立てるにはどうしたらいいのか。 『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。 仕事の「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」を終わらせる』 から一部を抜粋し、著者の1人、安田洋祐氏がビジネスと経済学の掛け合わせによる新しい可能性を探ります。1回目は、従来、近くて遠い存在であった経済学とビジネスの新しい可能性について。

経済学は、本当は仕事に役立つ学問

 「経済学」という学問は、今、日本社会で活用されている以上に、本当はもっとビジネスに役立つ学問です。ただもしかしたら、みなさんの中には「学問は、ビジネスにはほとんど役に立たない」──もっというと「学問は、暮らしや社会には、直接的にも間接的にもほとんど関わりがない」と感じている方もいるのではないでしょうか。

 特に、人文科学や社会科学の場合は、何かしらの学問分野を学び、「賢くなった」「ものの見方や考え方が変わった」という形で、得るものはあっても、それで自分の仕事がうまくいったり、日々の暮らしがよくなったりすることはないんじゃないか。そう感じる方も少なくないと思います。

 学問というのは、机上で学ぶだけでなく、学んだことを実社会のなかで使ってこそ、その真価は発揮されます。一方で、多くの学問について、学んだ内容を役立てるために欠かせない、肝心な使い方まではきちんと伝わっていないようにも感じます。とりわけ、わたしが専門とする経済学は「実社会において非常に役立つ武器であるにもかかわらず、その真価をあまり発揮できていない学問」の最たるものではないか。そう強く感じています。

 ここであえて「武器」という強い言葉を使いましたが、それはもちろん、他人を攻撃したり、何かを破壊したりするという意味ではありません。真意は「暮らしの改善や利益の拡大に役立つ心強いツール」ということです。あと、本物の武器と同じように、ライバルより先に使うと有利になるという意図も込められています。

「経済学は役に立たない」と言われる理由

 武器は、その仕組みや、それが何に使えるのかを知っているだけでは、役に立ちません。当たり前ですが、実際に使ってみて初めて役に立ちます。

 この「使う」という視点は、経済学の教育で乏しいように思います。「知る」とか「理解する」でとどまっているのですね。経済データの扱い方を知るとか、市場の仕組みを理解するというように。いわば教科書できれいなサイエンスを学ぶことで止まっている。そこから一歩踏み込んで、現実の問題を解決していく。実は、経済学はそれができる段階にとっくに達しています。

 もちろん現実で起こる出来事は、教科書に書かれていることと同じではありません。似ているものはあっても、完全に同じものはない。きれいなサイエンスは、現実を把握するための物差しとしては非常に有用ですが、それだけでは対処できないのです。

 例えば、わたしはある野菜の市場設計に携わったことがあります。教科書の市場理論は、もちろん役に立ちます。しかし教科書のなかでは、どんな商品も一緒くたに「財」として扱われてしまう。野菜もボールペンも、どれも「財」として抽象的に扱われるのです。

 しかし野菜の市場設計を考えるためには、野菜ならではの難しさを考慮しなければいけません。具体的には、野菜は放置すると腐るから、受け渡し場所は冷蔵施設があるところにしようとか。決められた納期を守るために、物流もきちんと確保しなければいけないとか。農家のなかにはIT機器の操作に慣れていない人もいるので、ごく簡単な操作で、それなりによい取引ができるルールにしようとか。

 つまり、個別の問題に向き合って解決していく必要があるわけです。これはサイエンスというよりは、エンジニアリングという言葉のほうがしっくりきます。「サイエンスで問題に接近していき、エンジニアリングで解決する」というイメージですね。

 現在の大学の経済学教育では、このエンジニアリングに関する要素が決定的に欠けているように感じます。ほとんど教えていない、という大学も少なくないでしょう。サイエンスは大切ですが、それだけではバランスがよくありません。

 経済学を実社会において役立てるためには、「サイエンス」と「エンジニアリング」の両方が必須です。そして、経済に関する「サイエンス」と「エンジニアリング」を合わせたものが「武器としての経済学」なのです。

日本企業はなぜ経済学者を雇わないのか

 自然科学では、エンジニアリングの重視は当たり前です。経済学は歴史が浅く、本格的に科学となったのはおそらく20世紀半ばくらいでしょうか。最近ようやくエンジニアリングを重視できる段階に入ったのだと思います。

 細かいことをいうと、2002年にアルヴィン・ロス氏という学者が「The Economist as Engineer」という論文を公刊し、それが学界のムードを変えました。

 「えっ、ムードってなに?」と思われるかもしれませんが、雰囲気って大切なんですよ。学問は人間がつくっているもので、自分はどういうものをつくるか、他者がつくったどういうものを評価するかに、学界のムードは大きく影響するんですね。

 ロス自身、エンジニアリングな経済学を発展させてきた人です。彼は腎移植マッチングや研修医制度の設計などで多大な貢献をして、2012年にノーベル賞を授与されています。

 話を戻しましょう。エンジニアリングな経済学の歴史はまだ若いです。特にいま日本社会の中枢にいる年代の人は、よほど学び続けている方でない限り、エンジニアリングな経済学をほぼご存じないでしょう。経済学部出身の方でも、ほとんどキャッチアップできていないのではないでしょうか。厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、だからこそ、いまだに経済学が日本企業の武器になっていないのです。

 わたしが残念に思うのは、もし企業が経済学博士を積極的に雇用したり、ビジネスパーソンと経済学者が幅広く人事交流する機会があったりしたら、エンジニアリングな経済学はもっと早く日本社会に広まっていたであろうことです。

 もちろん、こうした流れを生み出せなかった責任は、サイエンス教育にばかり特化して、エンジニアリングを疎(おろそ)かにしてきた大学にもあります。この点では、日本は米国に少なくとも20年は後れをとっています。では、この状況を変えるためにどうすればよいのでしょうか。

まずは「ざっくりとした知識」で十分

 このようにお伝えすると、「経済のサイエンスとエンジニアリングをいまから勉強する、の……?」と思って、ゲンナリされた方もいるかもしれません。

 ですが、ご安心ください。足りなければ、すでに経済学のサイエンスとエンジニアリングを身につけている仲間を加えればいいのです。「経済学の父」とも呼ばれるアダム・スミスが説いた「分業の利益」を思い出してください。1人で、あるいは自社で全部行う必要はありませんし、それは多くの場合、むしろ非効率でしょう。「サイエンス」と「エンジニアリング」の両面から経済学をビジネスに役立てる、そのために経済学者がいるのです。

 手前味噌に聞こえるかもしれませんが、経済学者を事業チームに引き入れるのは、現状を変える有効な手段です。役に立つ武器をもっている専門家を仲間にして、自分たちで使っていくわけですね。

 その際には、経済学だけでなく、経済学者をうまく使うことが大切です。例えば、『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』の共著者のうち、唯一のビジネスパーソンで、わたしを含む多くの経済学者を使ってきた今井さんは、経済学者とビジネスパーソンとで、「先生と生徒」の関係にならないことが重要だと強調していました。つい経済学者を「先生」のようなポジションに置いてしまいがちですが、そうすると「生徒」側はビジネスの事情や性質を「先生」に教えにくくなってしまうといいます。

 ビジネスパーソンに求められるのは、経済学や経済学者が、個別のビジネス課題に対して、どのような形で役に立つのか、そのざっくりとしたイメージをつかむこと。それができていれば、ニーズが生じたときに、適切な経済学者を見つける「仲間さがし」もきっとうまくいくはずです。

 経済学がビジネスにとってどんな武器となり得るのか、経済学者がビジネスにどんな価値を提供できるのか、という少し具体的な提案は、これからのこの連載で、お伝えしたいと思います。

学知はこれからのビジネスのアドバンテージ(写真:Who is Danny/Shutterstock.com)
学知はこれからのビジネスのアドバンテージ(写真:Who is Danny/Shutterstock.com)
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「現場で使える」ビジネス教養


「経済学は、ビジネスとは別もので、役には立たない」と思い込んでいませんか?
実は、最新の経済学は、マーケティング、データ分析、財務管理などの限られた分野だけでなく、商品開発や企画立案、販売戦略、ESG(環境・社会・企業統治)対策、さらには、日ごろの会議、SNSの新しい活用などあらゆるビジネス現場で活用できる段階に達しています。

経済学がどのように役に立つのか?
実際にどう使えばいいのか?

気鋭の経済学者5人[安田洋祐氏(1章)、坂井豊貴氏(2・6章)、山口真一氏(3章)、星野崇宏氏(4章)、上野雄史氏(5章)]と、ビジネスにすでに経済学を実装している実務家[今井誠氏(終章)]が語る、「ビジネス×経済学」の決定版です。