昨今、身の回りのものの値上がりを実感する機会が増えました。多くの企業では賃上げが行われているものの、実質賃金は低下しているともいいます。現在の物価上昇は、世界的に見て、実際はどの程度「異常」なのでしょうか? そして、「働いても働いても豊かにならない現状」から脱却するには、どうしたらよいのでしょう? 葛飾区の町工場の3代目で、2020年から毎日SNS(旧Twitter、X)などで統計データを発信し続けてきた小川真由(まさよし)氏の著書『 経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金 誰かの犠牲に支えられた「サービス過剰」を終わらせよう 』(日経BP)から解説します。

日本の価値だけ「安いまま」で取り残されたわけ

 日本の経済が停滞し続けてきた裏で、世界各国は大きく成長を続けてきました。世界における日本の存在感もジリジリと低下しています。
 それだけでなく、日本は「安い国」へと変化しています。相対的な労働者の給与水準の低下もそうですが、日本のモノやサービスも国際的に見て安くなっているのです。
 悲しいことに「安い日本」というワードも近年よく聞くようになりましたね。

 それが端的にわかるのが、国際的な物価の高低を表す「価格水準指数」です(図1-10)。

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 物価とはその国のモノやサービス全体の価格を総合したものです。
 たとえば、スイスは物価の高い国と認識している人が多いのではないでしょうか。このような、「国ごとの相対的な物価の高低」を表したのが価格水準指数です。
 価格水準指数は、米国の物価を基準として、その国のモノやサービスの価格が全般的に米国よりも割安か、割高かを示します。100を超えれば割高、下回れば割安と考えてください。
 日本は1990年代に非常に高い水準に達し、1995年には米国の2倍近く割高な国でした。その後はアップダウンしつつも下落傾向が続き、2024年には米国の6割程度の割安な国へと変化しています。
 価格水準指数が低いということは、見方を変えれば他国の物価が相対的に高いということです。逆に価格水準指数が高いと、他国の物価が安く見えます。近年は米国の物価高によって他の国も下がっていますが、日本ほど乱高下してはいません。

 1990年代の日本から見ると、他国は非常に割安な国だったのです。当時は米国の有名なビルを日本企業が購入したなど、羽振りの良い話が多くありました。欧州への旅行なども今よりももっと気軽で、日常的だったそうです。今からすると、うらやましい限りです。
 裏を返せば、当時の日本は、他国にとって現在のスイスのような物価の高い国に映ったはずです。
 一方で、近年はiPhoneの日本での販売価格が他国と比べて急激に値上がりするなど、他国のモノやサービスが割高に感じるようになっていますね。外国への旅行も、昨今の原油高の影響を差し引いてもなお高くなったといわれます。日本で1000円程度のチェーン店のラーメンが、海外では3000円相当にもなる、といった話もよく聞くようになりました。
 すでに日本は、国際社会に占める位置という意味では、1970年代と同じくらいの物価水準に逆戻りしているのです。1990年代以降のデフレで物価の停滞が続くうちに、国際的には安い国になり続けてきたことになります。

 当時の日本を知る人からすると信じ難いことかもしれませんが、バブル崩壊以降の日本しか知らない若い世代は、「安い日本」をすでに当たり前の事実として受け止めているようです。
 少し寂しいことですが、日本はすでに国際的には安い国になっている、という認識を出発点として、改めてビジネスを捉え直していくことが必要なのかもしれません。

ついに訪れた世界トレンドの物価上昇 そのとき日本は

 さて、2022年以降は日本でも急激な物価高が進み、価格が上がる日常が到来しました。
 ここ数年で様々なモノが値上がりし、2025年は「令和の米騒動」とまでいわれるほどコメの値段が高騰したのは記憶に新しいところですね。ビジネスでも、中東での戦争の影響もあって原材料費を中心とした仕入価格の値上がりを実感している人も多いのではないでしょうか。多くの人が未経験の中で手探りしていかなければいけない状況へと変化しつつあります。

 統計データを見ると、2020年頃を境に、それ以前と以降で、異なる局面に入っていることが確認できます。日々の生活だけでなく、仕事の価値や給与とも密接に関わる物価についてのファクトも確認していきましょう。

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 上のグラフで示した物価指数とは、個別のモノやサービスの価格ではなく、私たちの購入するモノやサービス全体の価格を1つの指標として表したものです。具体的には、消費者物価指数やGDPデフレータが知られています。 近年、ニュースなどでもよく聞くインフレ(インフレーション)とは、つまり購入するモノやサービスが全体的に値上がりしている状況を意味します。一方で、デフレとは、その反対に物価が継続的に低下する現象です。

 デフレは、「需要に対して供給が過剰となる状況」と説明されます。
 供給過剰だと、企業は値段を下げることで売れ残りを避けようとするため、業績が悪化し、その結果賃金が下がるとされています。
 このような状況下では、企業は機械・設備や従業員などの固定費を抱えていますので、それらを賄うために、値段を下げてでもできるだけ売りさばこうとするのが合理的な判断となります。つまり、供給過剰な状況では、企業はできるだけ賃金を安く抑え、たくさん生産し、安く売ろうとします。
 消費者にとっては購入するモノやサービスが安くなりますが、労働者からすると、自分たちが生み出したもの、すなわち仕事の価値を安く売られた上に、それ以上に賃金も下げられるわけです。
 さらに、賃金が下がった労働者は消費者でもありますから、みんなが安いモノを求めるデフレマインドが加速し、消費が冷え込み、さらなるデフレが進むデフレスパイラルに陥りやすいともいわれます

 一般的には経済活動全体の物価を表すGDPデフレータが下がり続けると、デフレと判断されます。
 日本のGDPデフレータは1994年または1998年を境にして低下傾向が続きました。2013年を底に上昇に転じるまで少なくとも15年程はデフレだったことになります。これだけの長期間デフレが続くというのは、世界的にもなかなか見られない現象だそうです。
 近年は物価が上昇していますので、デフレではありません。ただし、主に資源・エネルギーなどの高騰によって全体的な物価は上がっても、まだまだ労働者の給与がその物価以上に上がらないので、デフレマインドが払しょくされてはいません。
 私たち消費者が購入するモノやサービス全体の物価を表す消費者物価指数も、GDPデフレータと同様に1998年を機に低下しますが、低下傾向は緩やかです。どちらも2010年代から上昇を始め、2022年以降急激に上昇しています。

企業間取引で特に顕著な日本のインフレ

 図1-11でさらに注目したいのは、BtoBの企業間取引の物価を表す「国内企業物価指数」です。
 実は消費者物価指数が停滞を始めるよりも20年程前の1980年から、すでに停滞が続いているのです。およそ40年もの間、企業間取引の物価が停滞を続けてきたわけですが、それが2022年から急激に上昇に転じています
 特にBtoBの取引価格は「前値据え置き」が基本です。何十年も前から同じ価格で提供している仕事が多いですね。あるいは「毎年10%の値引き」という慣習が根付いた業界もあるくらいです。価格据え置きや値引きが当たり前の商習慣が、グラフの形にも表れていますね。
 私の仕事でも、近年では高齢職人の引退に伴う取引先切り替えのご相談が増えているのですが、これまでの実績価格を聞くと「何でこんなに安いのだろう?」と感じる取引金額がほとんどです。
 当社の値付けは決して高くないのですが、その3分の1~5分の1といった金額が多いのです。事情を聞くと、40年以上価格を変えてこなかったという話も珍しくありません。いかに日本の商取引では、長期にわたり価格据え置きが前提とされてきたかがわかります。

 それが2020年ごろから急激に動き出したわけですから、状況の激変ぶりがわかるのではないでしょうか。

 一方で、モノやサービスの輸入物価を表す輸入デフレータを見ると、1980年代後半に一旦大きく下落した後は、1990年代からアップダウンしながらじりじりと上昇傾向が続いてきました(図1-11①を参照)。国内物価が停滞するなかでも海外からの輸入品が少しずつ値上がりし、2020年以降、国内物価に先行して急激に跳ね上がった様子が読みとれます。
 このような原材料費の高騰によって起こる物価上昇は、「コストプッシュインフレ」と呼ばれます。長期間動かなかった物価がついに動き出し、BtoCでもBtoBでも価格が上がるのが当たり前になってきたことが、統計データに表れているのです

この物価上昇は、実際どこまで「異常」なのか

 これまで物価が停滞してきた日本とすれば大きな変化ですが、国内データだけ見ていても他国との違いがよくわかりません。時系列で他国と比較することで、これまでの日本の物価の停滞ぶりがどれだけ特殊だったのかを見ていきましょう。
 経済活動全体の物価を表すGDPデフレータ(1980年基準)について国際比較してみると、日本だけ横ばい傾向が長く続いてきたことがわかります(図1-12上段)。

 
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 40年強の変化で見ると、他国はドイツで約2.5倍、フランスや米国で3倍強、英国は5倍弱、イタリアは6倍強になっています。他国は基本的に物価上昇が継続していて、特に2022年以降はさらなる物価上昇に見舞われています。
 先ほど日本のGDPデフレータは2022年以降大きく上昇したと書きましたが、国際比較すると、それでも日本だけ1980年と大して変わらない物価水準です。日本経済のピークとなった1997年と比べれば、まだ下回っています。
 海外では価格が上がるのが当たり前で、日本だけが異常だったわけです

 国内企業物価指数に相当する「生産者物価指数」を比較しても、日本だけ1980年よりも低下していますが、他国は上昇しています。ドイツで2倍、フランスや韓国で2.5倍強、英国で4倍近くです(図1-12下段)。
 2022年以降の他国の物価上昇も極めて高いことがわかりますね。日本だけでなく、各国で物価がかつてないほどに急上昇したことになります。

 日本では物価が上がらない頃から、他国では物価が上がるのが当たり前でした。このように国際的に見れば、いかに日本のビジネスが価格据え置き、低価格を求めているのか、特にBtoBでそれが顕著なのかがわかりますね。
 私たちにとって当たり前だった、値段が上がらず、「安くて良いものに囲まれた便利な生活」は、世界の中では特殊な環境だったということです。

 そして、長く続いたそのような環境も、急激に変化しつつあります。
 これからは他国と同様に、消費者としても事業者としても購入するモノやサービスの価格が上がりながらも、生活や事業を成り立たせていかなければいけません。
 日本の非合理な商習慣ともいえる「売り手側が犠牲になってでも、安くて良いモノやサービスを提供する」ことを見直すタイミングが来ているのではないでしょうか。

(写真: Ljupco Smokovski/stock.adobe.com)
(写真: Ljupco Smokovski/stock.adobe.com)
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小川真由(著)/日経BP/1870円(税込み)