旅行やコンサートのチケットなどは、開催よりもだいぶ前に事前購入することが一般的です。実はこの仕組みは、売り手に、オペレーション準備や売上予測だけでなく、売上最大化のメリットももたらし得るといいます。多くのビジネス慣習は、経済学の視点を持つことによって、理解が深まり、活用の幅が広がります。新刊 『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。 仕事の「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」を終わらせる』 の著者で経済学者の星野崇宏氏と安田洋祐氏が、経済学のビジネス実装に取り組んできた自身の経験から語ります。対談第2回は、事前販売の販売手法を経済学的に読み解きます。

(第1回から読む)

「事前販売」で売り上げを最大化するには?

安田洋祐氏(以下、安田氏):私たちはビジネスに経済学を実装しよう、と取り組んでいるわけですが、多くの業界で慣例的に行われていることにも、実は経済学に関連しているものがたくさんありますね。

 例えば、よくある「事前販売」。旅行やコンサートのチケットは、実際にサービスを消費する日よりもだいぶ前に販売されるケースが多くあります。これを材料に、経済学の見識がなぜビジネスに有用なのかを改めて見ていきたいのですが、いいですか?

星野崇宏氏(以下、星野氏):もちろんです。よくあるマーケティングを、経済学的な裏付けをもってより体系的に理解することで、活用の幅を広げよう、ということですね。

安田氏:その通りです。ここでは、次のように「ツアー旅行の事前販売」で考えてみましょう。

 あるツアーのパックがあって、その旅行を検討している家族が100組います。旅行は、当日になってみないと本当の価値が測れない、不確実な商品ですよね。例えば天気がどうなるかは分かりませんし、体調を崩して楽しめないなんてことも起こり得ます。

 仮に好条件がそろったとき、旅行客は「50万円払ってでも行きたい」となるとして、何かしら悪条件が入ったら「20万円ならば行きたい」となるとします。そして旅行当日、100組のうち50組には「50万円の支払意欲」があり、もう50組には「20万円の支払意欲」しかなかったとします。このとき、当日、あるいは直前に統一価格で売るとしたら、売り上げを最大化する価格はいくらになるでしょうか。

星野氏:20万円にすると100組すべての家族に買ってもらえますが、2000万円にしかならないですから、50万円で50組に売って2500万円にするのがよさそうですね。

安田氏:次に、この旅行を例えば1カ月前に販売するとします。支払意欲が50万円か20万円かは当日になってみないと分からないですが、その確率は半々だとしましょう。期待値を取ると、このツアーは35万円の価値があるということになります。

星野氏:1カ月はどちらの支払意欲かは分からないというリスクを見越した上で、100組が「35万円は払ってもいいか」と思っている状況ということですね。

安田氏:この場合は35万円で100組全員に前売りできますから、35万円×100組で3500万円になります。当日に50万円の支払意欲を持つ50組に売るよりも、売り上げが1000万円も大きくなります。

星野氏:「50万円」は確かに最も高い価格ですが、その分、顧客の取りこぼしが生じてしまうからですね。それならば、35万円で前売りしたほうがいい。

安田氏:そうなんです。これが、今まで慣例的にやってきたマーケティングですよね。

 ところで、旅行日の直前に、すべての旅行客に対して同じ価格を提示する(=統一価格)のではなく、旅行客の支払意欲に合わせて異なる金額をもし設定する(=価格差別)ことができたとしたら、売り上げはどう変わるでしょうか。

 このケースでは、50万円の支払意欲の50組には50万円で、20万円の支払意欲の50組には20万円で、というように2種類の違う価格でうまく売ることができたら、売り上げは2500万円+1000万円の3500万円になる。この金額は、先ほど求めた事前販売の場合と変わりません。

星野氏:そうですね。

安田氏:問題は、当日の市場でこのような「完全な」価格差別を行うことはほぼ不可能だということです。どんなに顧客情報を集めても、売り手は各消費者の支払意欲を正確には知ることは難しいですし、全く同じ商品が異なる価格で販売されていることに気付いた消費者はそもそも安い価格で買おうとするので、価格差別自体が機能しなくなるかもしれない。完全価格差別というのは、利益を最大化する理想的な売り方ではあるものの、いわば絵に描いた餅なのですね。

 それに対して、事前販売の場合にはこうした問題が起こりません。とても現実的な販売方法であるにもかかわらず、売り手にとって最も望ましい売り方である完全価格差別と、同じだけの利益を上げられる仕組みになっているのです。

 この例でいいたいことは、買い手にとっての価値が不確定な段階で売ると、より多くの人に売ることができて、利益を最大化できる可能性があるということなんです。

「損をしない」ための学問の使い方

安田氏:これまでももちろん、事前販売は分析されてきました。ただ、その理由は、あらかじめ消費者の数を把握できたほうが準備をしやすいとか、オペレーションが効率的になるといった文脈でしか捉えられていませんでした。

 それが2000年代に入って、今お話ししたような「売り上げを最大化する事前販売」というのが研究分野として生まれ、発展してきたのです。私はこれをマーケティング関係の論文を読んで知ったのですが、分析には経済学のモデルやフレームワークが使われています。これは経営学と経済学の幸せな融合といえるのではないかと思います。

星野氏:面白いですね。00年代はインターネットで取引が行われてそのデータが取れるようになり、経済学の学問的知見がビジネスで使えることが確認できるようになったこともありますね。

 ちなみに昔から広告代理店は、おそらくそのあたりのことを感覚的に分かっていて、テレビCMの広告枠を事前販売しているんじゃないかと思います。

安田氏:というと?

星野氏:例えば飲料メーカーが、夏に向けてつくった新商品のビールのCMを打つべきかどうかを判断できるだけの売上情報を得る前に、「御社が買わないなら他社に売ります」と一種の競争を起こす形で、CM枠を売り切ってしまうわけです。理論的に見ても、彼らのやり方は売り手としては正解ということなんですね。

安田氏:実際には売り手同士の競争が働くなどして、価格があまり高くなり過ぎないような圧力は働くのでしょうが、確かにこれは、買い手が売り手にギリギリまで便益を吸い取られるというストーリーですね。

星野氏:買い手の視点に立てば、売り手の口車に乗せられないよう、事前販売のカラクリを知った上でCM戦略を立てたほうがいい、という話になるかもしれません。

安田氏:さっきのツアーの話も、同じことがいえますね。事前販売をすることで売り手は最大の便益を得るわけですが、旅行日当日には買い手の半数は「20万円ならば行きたい」状況なのに、事前に35万円を支払っているわけですから。

 売り方を工夫すると、売り手は一切買い手に便益を与えることなく、言い方は悪いのですが、食いものにできてしまうとも言えますね。もし広告代理店などが肌感覚でもうかる仕組みを産業の中で育んでいるとしたら、売り手としては優秀だと言えるかもしれません。

星野氏:現実に起こっていることが、経済分析で裏付けられていますからね。

安田氏:いずれにせよ、マーケティングに少し経済学の視点を加えると、今の話のように、より体系的に理解ができる、様々な事例のつながりが見える、という点が重要ですよね。

ビジネスに生かせる「シニカルな視点」

星野氏:安田さんは新刊『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』で、「ビジネスには経済学のサイエンスとエンジニアリングの両方が必要」とおっしゃっていますね。これは、すごく的を射た表現だと思います。今のマーケティングの話でいえばエンジニアリングの部分はマーケティングが肩代わりした形になっていますが、サイエンスがあることで、そのマーケティングの正当性が明らかになるわけですから。サイエンスを欠いてエンジニアリングだけで物事を進めようとすると、しなくていい失敗をすることになるでしょうね。

 経済学のサイエンスという下地、つまり、入山章栄先生がおっしゃるところのディシプリン(対談第1回参照)が、ビジネスには必要不可欠です。経済学は、細かい事情は捨象して物事の本質的なところを見ていくことが得意な学問ですし、経済学者も少し意地悪な視点というか、斜に構えて物事を見るところがあるというか……。

安田氏:シニカルですよね(苦笑)。

星野氏:だから情報学系ベースのデータサイエンティストと少し違うのは、経済学者は物事を見るときに単なる「相関」では許せなくて、「因果関係」をとことん識別しようとするところですね。

 因果関係が分からなかったら、いくら原因に手を加えても望む結果は得られませんから、見た目の相関だけで判断してはいけないわけです。

安田氏:「何が原因でどう結果が変わったのか」という、因果関係を踏まえて策を打ち出さなくてはいけませんね。

星野氏:さっきのテレビCMの話で言えば、広告会社は「夏にビールのテレビCMを打つと売り上げが伸びますよ」という誘い文句で、夏の広告枠を飲料メーカーに前売りしようとしてくるわけですから。

 もちろんテレビCMには一定の効果があるはずですが、この場合は、「ビールがよく売れる季節にテレビCMを打った」という話なので、テレビCMの効果は簡単には測れない。このように因果がはっきりしない類のデータは、世の中にはゴマンとあります。単なる見た目の相関だけで判断をすると、広告の効果が過大評価されたり、逆に過小評価されたりする、というのは実際、よく起こっていることです。

安田氏:これは要するに広告戦略を見誤るということですから、結果的に、利益減につながりかねません。

星野氏:はい。重要なのは、因果のいろいろな網をきちんと解きほぐして、何をしたら売り上げが増えるのかということをちゃんと見ていくこと。経済学者はそういう訓練を積んでいます。

安田氏:そうですね。エンジニアリングだけではなく、サイエンスをベースにエンジニアリングをすることが重要です。経済学者はサイエンスの発想があるからこそ、エンジニアリングだけでなく、企業の利益追求にも貢献できる。ぜひそんなふうに捉えてもらえたらうれしいですね。

事前販売は「売り手」の独壇場である(写真:pathdoc/Shutterstock.com)
事前販売は「売り手」の独壇場である(写真:pathdoc/Shutterstock.com)
画像のクリックで拡大表示

構成=福島結実子

「経済学のビジネス実装」第一人者の経済学者&実務家が贈る
「現場で使える」ビジネス教養


「経済学は、ビジネスとは別もので、役には立たない」と思い込んでいませんか?
実は、最新の経済学は、マーケティング、データ分析、財務管理などの限られた分野だけでなく、商品開発や企画立案、販売戦略、ESG(環境・社会・企業統治)対策、さらには、日ごろの会議、SNSの新しい活用などあらゆるビジネス現場で活用できる段階に達しています。

経済学がどのように役に立つのか?
実際にどう使えばいいのか?

気鋭の経済学者5人[安田洋祐氏(1章)、坂井豊貴氏(2・6章)、山口真一氏(3章)、星野崇宏氏(4章)、上野雄史氏(5章)]と、ビジネスにすでに経済学を実装している実務家[今井誠氏(終章)]が語る、「ビジネス×経済学」の決定版です。