「AIは誤った情報を出すから、子どもには使わせるのは危険」という意見をよく聞きます。しかし、小学校の元教諭で、道徳教育とAIリテラシーの専門家である安井政樹さんが指摘するのは、「AIはときに間違えるからこそ、教育的価値が高い」「ハルシネーションと人間のウソの根本的な違いを理解させることが大事」ということです。どういうことでしょうか。近著『 「考える力」と「好奇心」をぐんぐん伸ばす AI×学び入門 』(日経BP)から抜粋して紹介します。
「AIの出す誤情報」に騙されて損をしないために
子どもがAIを使うことを危惧(きぐ)し反対を述べる方の多くが気にしているのが、「ハルシネーション(幻覚)」です。AIが、事実とは異なる情報をさも真実であるかのように堂々と出力するこの現象は、たしかに今の技術では起こってしまうことでもあります。
しかし、だからといって、
「ほら、やっぱりAIはウソをつくじゃないか。危なくて使わせられない」
と子どものAI利用にブレーキを踏むのはちょっと待ってください。実は、「AIが正しいことを言うとは限らない」というのは、子どもの学びにとって大きなチャンスでもあります。なぜなら、
「このAIが言っていること、本当に合っているかな? ちょっと確認してみようか」
という、最高の教育に踏み出すことができるからです。
この思考は批判的思考(クリティカル・シンキング)といわれるもので、物事の本質を見抜くために不可欠な思考力です。
また、文部科学省の「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関するガイドライン」にも、
「生成AIと人間との関係を対立的に捉えたり、必要以上に不安に思ったりするのではなく、生成AIは使い方によって人間の能力を補助、拡張し、可能性を広げてくれる有用な道具にもなり得ることを理解した上で、発達の段階や情報活用能力の育成状況に十分留意しつつ、リスクや懸念に対策を講じた上で利活用を検討すべき」
とあり、AIに無条件に従うのでもAIを危険なものとして極端に避けるのでもない付き合い方が示唆(しさ)されています。
AIが何か答えを出力したとき、それを鵜呑(うの)みにせず、まずは一緒に疑ってみる。その裏付け(エビデンス)を探しにいく。この「ファクトチェック」の共同作業は、情報過多の時代において、何よりも優先して身につけるべき「生きる力」そのものです。ときに「間違い」があるからこそ、AIは思考力を鍛える役に立つのです。
「AI も間違える」ことを子どもにどう教えるか?
一方で、AIの出力した答えを正しいものとして扱ってしまうと、待ち受けているのはそれこそ大事故です。
AIは圧倒的なスピードで私たちを目的地(答え)へと運んでくれますが、スピードが出れば出るほど、正確なハンドル操作と強力なブレーキが必要になります。AIを使いこなすことは、高性能なスポーツカーに乗るようなものなのです。
「アクセル(AIによる効率化)」だけで突き進めば、いつか必ず間違いという壁に衝突します。だからこそ、途中で立ち止まって考える力を親子で身につけていかなければなりません。
「この情報は、どこから来たものだろう?」
「違う考え方はないかな?」
「特定の意見に偏っていないかな?」
こうした問いかけを、日常生活のなかに忍ばせてみてください。特に、一歩の間違いが致命的になる受験勉強においては、この「確認する作業」がそのまま「得点力」に直結します。
「ハルシネーション」と「人間のウソ」の根本的な違い
AIの「ハルシネーション」と、人間がつく「ウソ」には決定的な違いがあります。人間のウソには意図があり、背後に感情や動機があります。一方、ハルシネーションは単なる確率論的なデータ処理の誤りに過ぎません。そもそも心を持っていないAIは、ウソをつこうと思っているわけではありません。「ウソをつく」と擬人化しているだけで、そもそも人格もないわけです。
この違いを教えることは、これからの時代、極めて高度な道徳教育です。
「AIさんはわざとウソをついたわけではない。ただ、知らないことを知っているふりをしてしまっただけなんだ。でも、人間がウソをつくときは、誰かを守りたいとか、自分が得をしたいとかの気持ちがあるよね」
情報の正誤(真偽)を判断する力を養うと同時に、その背後にある「心(意図)」を読み解こうとする。画面に表示された文字が「真実」かどうかを疑うだけでなく、その情報を発信した主体に「誠実さ」があるのかを見極める。
その羅針盤を授けることこそが、ネット社会を自律して歩くための必須条件です。
AIというエンジンを最大限に生かしつつ、人間というドライバーがしっかりとハンドルを握る。このバランスを保つことが、AI時代の「賢さ」の新しい定義です。
それでも「AIはウソをつくから信用できない」という人へ
今、「AIが間違えることは実は学びのチャンスだ」とお伝えしましたが、それでもなかには、「さも合っているかのように間違えるものは、子どもには与えられない」と考える方もいると思います。
その方に、ひとつお尋ねしたいことがあります。それは、
「私たちが昔習った教科書の内容は、今もすべて『正解』のままでしょうか?」
という質問です。
実は、社会科、特に歴史の教科書を見れば、かつての定説が新しい発見によって覆されている例は枚挙にいとまがありません。
代表的な例でいえば、鎌倉幕府の実質的な成立年は1192年から1185年になりました。ほかにも、士農工商は江戸時代の固定的な身分制度だと習った人が多いと思いますが、近年は流動的な職業分類であったことが判明し、教科書から削除される傾向にあります。英語で自己紹介するときは「My name is ○○.」と言うと教わった人も多いでしょうが、今は「I'm ○○.」と、よりネイティブに近い言い方に変更されています。
「正しいことだけが書かれている」と思われている教科書であっても、そうとは限らないのです。「正しいことだけが書かれているべき」「正しいことを必ず答えるべき」という姿勢は、「教科書に書いてあるから正しい」「テレビで言っていたから本当だ」という考え方につながります。この考え方は実は、AIの「ウソ」を信じ込んでしまう危うさと何ら変わりません。
AIの間違いがもたらす「人としての深い学び」
大切なのは、教科書を含む書籍や特定のメディアやツールを鵜呑みにするのではなく、「真理をつねに追究し続けるスタンス」を自分自身が持っているかどうかです。
「昔はこう言われていたけれど、今は違うことがわかってきたんだね。面白いね」
「ネットにはこう書いてあるけど、本ではどう書かれているかな?」
親がそんなふうに学問や情報の更新と多面性を楽しむ姿を見せれば、子どもも自然と「情報を疑い、自ら検証する」ことを学びます。そして、
「そもそも正しいってなんだろう?」
と問えるようになれば、もう立派な哲学者。これからの時代に必要な、学び続ける人になっていくはずです。
AIの間違いを「ダメなもの」として切り捨てるのではなく、それをきっかけに図書館で図鑑を開いたり、信頼できるニュースソースを探しにいったりする。そのダイナミックな探究のプロセスこそが、AIに代行させることのできない、人間だけの贅沢(ぜいたく)な学びの時間なのです。

安井政樹(著)/日経BP/1980円(税込み)
