日本のエンタメ史に輝く伝説のヒット作はいかにして生まれたのか。エンタメ社会学者の中山淳雄氏がテレビ、マンガ、ゲーム、音楽などのプロデューサーたちにインタビューした最新刊 『エンタの巨匠 世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち』 から一部を抜粋する。第2回は『ドラゴンボール』『ドラクエ』を仕掛けた「漫画のミダス王」鳥嶋和彦氏。
中山:自己紹介をお願いします。
鳥嶋:鳥嶋和彦です。集英社で少年ジャンプの編集を長くやってきまして、鳥山明さんの『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などに関わっていました。2015年に白泉社の社長に就任して、その後この1年は顧問として残っておりましたが、今年(2022年)の11月でそれも終わり。完全にサラリーマンを辞めて、さてどうするかという感じです。
就活は48社を受けて内定は2社。配属先は不本意なジャンプ編集部
中山:そもそも集英社にはどうして入社されたのですか?
鳥嶋:オイルショックの翌年で就職不況だったんですよ。行きたかった文藝春秋も、テレビ局や電通なんかも募集をストップしていた。慶応大学で、この成績だったら結構どこでも入れると高をくくっていたのに、ふたをあけたら48社受けて受かったのは2社だけ。集英社と生命保険会社だった。
中山:決して就活勝者ではなかったんですね。生命保険会社との2択ですか。
鳥嶋:文芸の編集者、特に集英社の『月刊プレイボーイ』をやりたかったのでそちらを選んだんです。でも内定して、まともに調べていなかった集英社から送られてくる「集英社の本」の見本はマンガばかり。だんだん嫌な予感がしてたんですよ。
内定者研修が終わって、ついに配属が決まるんです。研修後に人事が新入社員全員を連れて、ビルの上から該当部署に配属していくんです。ほとんどの同期が集英社ビルで配属されて、残ったのが私ともう1人だけ。当時、もう1つだけ別ビルがあり、そこに入っているのは『月刊プレイボーイ』編集部と『週刊少年ジャンプ』編集部。これは天国か地獄だなと思いながら連れられて、もう1人の同期が最初にプレイボーイ編集部に置かれていった時点でゲームセット。
「読みやすいマンガ」の特徴に気付き、読者アンケートが急上昇
中山:マンガが好きではなく、不本意な配属からのスタートだったんですね。当時はどんなモチベーションでやっていたんですか? ちばてつやさんのマンガをもとに、ものすごい分析をされていたお話を聞きましたが。
鳥嶋:少年ジャンプのバックナンバーを読んでもちっとも面白くなかったから、くさってましたね。僕は残業したくないし、編集部にいると余計な仕事をふられるから、やることやったらいつも小学館の資料室で昼寝してたんですよ。当時、集英社の隣のビルだったので。その資料室でマンガを読み始めてみたら、竹宮惠子さんとか萩尾望都さんのマンガに出会ったんですね。この人たちのマンガは知性もあるし、尖っていてとても面白かった。
それで気付くんですよ、「マンガがつまらないんじゃなくて、つまらないマンガがジャンプに載ってるだけなんだ!」って。
中山:しょっぱなから辛口すぎます(笑)。
鳥嶋:それで自分なりにどんなマンガがあるんだろうと、片っ端から読んでいくと、明らかに「読みやすいマンガ」と「読みにくいマンガ」がある。それぞれ見比べて読みやすいものを残していった結果、最後の最後まで残ったのがちばてつやさんの『おれは鉄兵』だった。1話19ページのすべてのコマについて、なぜこのコマ割りで、なぜこのアングルなのか、とにかく徹底して読み込んだ。50回くらい繰り返し読み込むと、コマ割りという「マンガの文法」に気付くんです。
中山:「マンガの文法」を自分で編み出したんですね! そういう大事なことって、ジャンプ編集部で伝承されているものかと思っていました。
鳥嶋:なにも教えてなんかくれないです。皆勝手にやってるだけ。僕も自分なりに考えだした「マンガの文法」を実践で使ってみようと、1人1人の新人マンガ家でそれを応用していった。するとみるみるマンガらしくなって、読者アンケートの結果も目に見えて上がっていったんですよ。それでマンガ編集って面白いじゃないか、と思えるようになったんです。
『ドーベルマン刑事』へのアドバイスと1位復活
中山:それがマンガ編集者としての最初の成功体験なんですね。その時期に平松伸二さんの『ドーベルマン刑事』の編集にあたられますよね。
鳥嶋:『ドーベルマン刑事』も面白くなかった。コミックス1巻も読み切れなくて、途中で投げ出したくらい。キャラの描き分けができてなくて、キャラクターが全員面長で似たような顔になっちゃっていた。僕が担当になって武論尊さんの原作に綾川沙樹という新しい女性キャラが出てきたんだけど、それも同じような顔立ちで、これは違うよなと思ったんです。
でも最初からそれは言い出せなくて、そのあと完成原稿まで全部あがってしまって、編集部に戻って入稿するタイミングになってから……どうしても気になって「やっぱりこれじゃ違うんじゃないか」と思った。ただ、何もなしに描き直してくれっていうのもあまりに失礼だったんで、何かないかと探したときに見つけたのが集英社の芸能雑誌『明星』の人気投票。第1位が榊原郁恵。このイメージで描いてくれないか、と平松さんにお願いをしました。そこから徹夜で平松さんが自分で描き上げてくれました。結果、読者アンケートの人気がググっと上がりました。
中山:平松さんの自伝マンガ『そしてボクは外道マンになる』でその経緯を拝見しました。『ドーベルマン刑事』はハードボイルドな刑事路線だったのに、担当になった鳥嶋さんがいきなり「江口寿史さんの『すすめ!!パイレーツ』のようなポップでライトな感覚を取り入れないとダメ」「こんな女性じゃダメ」「ラブコメ要素を入れないと」などとアドバイスして、平松さんが不信感でいっぱいだった話が描かれてました。実際はもうちょっとマイルドだったわけですが、でもよく平松さんも修正を受け入れてくれましたね。
鳥嶋:当時人気がなかったので気を使ってくれたのかな、平松さん。あとで聞いたら、編集部はあと数か月で連載を終了させようというタイミングだったみたい。僕自体が上から「仕事ができない新人」と思われてましたからね(笑)。
1952年生まれ。慶応義塾大学を卒業し、1976年に集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属される。鳥山明を見いだし、アニメ視聴率36%をたたき出した『Dr.スランプ』や、マンガ界に絶大な影響力を及ぼした『ドラゴンボール』を世に送り出した。編集者として人気作を手掛けると同時に、ジャンプ誌面でゲーム特集を展開し、『ドラゴンクエスト』や『クロノ・トリガー』などゲームの金字塔となる作品の創作にも影響を及ぼしている。1993年に『Vジャンプ』の創刊編集長となり、1996年からは週刊少年ジャンプの6代目編集長。2004年から集英社取締役。2015年に白泉社社長となり、6期連続赤字だった同社をV字回復させて黒字転換。会長、顧問を経て2022年に退任し、各社の顧問として活躍している。
「仕事できない新人」と「マンガを描いたことのないマンガ家」が大ヒット連発
中山:鳥嶋さんが「仕事ができない新人」とみられていたのは信じられませんが、いつごろからその見方は変わったんですか?
鳥嶋:やっぱり『Dr.スランプ』でしょうね。新人作家と新人編集者で大ヒットを生んだので、社内的にも急に見られ方は変わりましたね。
中山:入社5年目のときに大ヒットを飛ばすわけですね。作者の鳥山明さんって、全然マンガも読まないし、マンガ家を目指していた人ではないんですよね?
鳥嶋:鳥山さんは京都の広告代理店でイラストレーター兼デザイナーだったんですが、零細企業だったので撮影のカメラマンすら雇ってもらえなくて、自分でなんでもやっているような働き方をしていた。
そうした中、朝起きるのが苦手だったのと、後から入ってきた後輩と給料が変わらなかった、という事実に怒って会社を辞めちゃったんですよ。遅刻でいつも減給になってたから、まあ本人が悪いんですけど(笑)。
辞めて毎日親から500円もらってダラダラ生活していたんだけど、いつまでもそんなことはやってられない。そんな時、喫茶店でパラパラとマンガ雑誌をみてたら、マンガ賞の応募があって賞金がもらえると。そこで初めてマンガを描くんですよね。
作家には、忖度なく、読者がどう感じるかを率直に伝えた
中山:鳥山さんの『Dr.スランプ』がヒットするまで、原稿が500枚もボツになった話も有名です。
鳥嶋:あれだって、「あとから数えたら500枚くらいになってましたよ」と鳥山さんがこぼした話がまわりまわっただけですね。
僕は「厳しい」って言われますけど、厳しいのは僕じゃなくて読者ですからね。作家におもねって安易な妥協をしたって、後で後悔するって知ってるんですよ。結局、読者は知らないうちに勝手に離れていく。だから僕は、忖度なく、読者がどう感じるかを率直に伝えていく。読者アンケートの結果を作家に見せない編集もいますけど、僕はすべてオープン。事実を事実として受け止めたうえで、作家の話に面白い部分があれば、それをバックアップして伸ばしていきます。
中山:そしてなんといっても鳥嶋さんと鳥山さんのコンビで生まれた『ドラゴンボール』ですよね。ジャンプの代名詞にもなりました。1991年にはジャンプの1000票アンケートで史上最高の815票を得票するほど、独占的な人気を誇ります。1999年には米国のカートゥーンネットワークの局の視聴率記録も樹立しました。ただ、この作品も序盤から盤石だったわけではなくて、20話を過ぎたあたりは人気低迷で苦しんだそうですね。
鳥嶋:ヤムチャとかプーアルとか牛魔王とかいろんなキャラが出る中で、悟空が目立たなくなっていた。悟空のキャラが立っていなかった。読者アンケートの順位も10位以下まで落ちるようになって。このままじゃまずいと悟空以外のキャラを一度全部捨てたんです。
「悟空ってどういうキャラなの?」と聞いたら「強くなりたい」が一番のキャラだと鳥山さんは言う。それならと対照的な性格のクリリンというキャラを作り、亀仙人と3人だけにして、いったん読者の目線をそこだけに絞っていった。そして修行の成果を見せるために天下一武道会という悟空のための舞台も用意した。ドラゴンボールの骨格が決まったタイミングでした。
面白がってやれないものは仕事じゃないと思ってた
中山:マンガ編集をやりながらのゲーム特集やゲーム作品への関与には、反対の声もあったと聞きます。
鳥嶋:ジャンプにはマンガ第一主義みたいな勢力がいたからね。いろいろ言われました。アンケート結果が流出するから、外部の人間を入れるなんてとんでもないとか。マンガ雑誌なのに、鳥嶋は何ヒマなことやってるんだよ、とか。
でも狭い視界の中でやっていて、「子供のため」とか言いながら子供をみていない感じがして、「どうなんだろう」とずっと思ってました。こちらからすると「子供が面白いものなら、何を載せてもいいじゃないか」と思ってやっていた。
中山:たしかに。鳥嶋さんは、縦横無尽に動かれながら、そのいずれも歴史的な成果に結びついた。神がかっているかのようにも思えます。
鳥嶋:面白がってやれないものは仕事じゃないと思ってた。僕は、イチバン嫌いなのは我慢とか努力なんだよね。
会社のお金を使って、会社の人間とご飯を食べて、会社の文句を言っている、という人間が多くて、なんてつまらないんだろうと思っていた。だったら会社のお金を使って、外の人間と面白いことをやろう。そればっかり考えてた。だからマンガ雑誌なのにゲームをやるのは云々とか、ジャンプだからこそ、みたいなことは考えてませんでしたね。
ユーザーだけを見て、才能を育てる。この2つだけやればいい
中山:鳥嶋さんの仕事のモチベーションって、どういうところにあったんでしょうか?
鳥嶋:「こうしたい」というのがあったわけじゃないんですよね。目の前に才能が出てくると気になって、もっと世の中に知ってもらいたい、この人とこの人を組み合わせたらどうなるかというのを面白がってやり続けてきた結果として、こうなっている。
クリエイターには、頑張ったからには預金通帳の残高を上げてほしい。クリエイターがお金で時間を買えるようになってほしい。無駄な仕事をしないでほしい。それだけですね。
中山:プロデューサーという仕事は、どういったことが大事なのでしょうか?
鳥嶋:子供って自分では発言しないでしょ? 常にサイレントマジョリティだから怖いんですよ。ユーザーだけを見て、それに向けてリスペクトすべき才能をもつクリエイターを育てる。これ以外は全部、余計なことなんですよ。プロデュースするということは、この2つのことだけ気にかけていればいいんです。
鳥嶋さんに学ぶポイント
「ブランドに価値はない。流行ってるものこそが王道」
企業や作品のブランドではなく、それを生み出す人・才能に興味をもつ。王道の組織やブランドは存在せず、そのときに流行っているものこそが王道。
「目の前の才能を面白がる。才能に尽くす」
すごい才能に出会ったときに、どこまでも足を運び、人をつなぎ、結果を楽しむ。才能がお金で時間を買えるように儲けさせる。お金のためだけにやるエンターテイメントは必ず滅びる。
「現場の皮膚感覚を忘れない」
編集者なら読者、経営者なら社員を知る。仲介を介さずに、自らの手で現場の皮膚感覚をつかみ続ける。
「人事も数字もオープンに。クリエイターとユーザー以外はすべて余計なこと」
「現象」だけを中途半端に分析することなく、クリエイターとユーザーに向き合う。
土屋敏男(『電波少年』の元・日テレプロデューサー)
鳥嶋和彦(『ドラゴンボール』『ドラクエ』の元・少年ジャンプ編集長)
岡本吉起(『ストⅡ』『バイオハザード』『モンスト』のゲームクリエイター)
木谷高明(『BanG Dream!』『新日本プロレス』のブシロード創業者)
舞原賢三(『仮面ライダー電王』『セーラームーン』の映画監督)
齋藤英介(サザン、金城武、BTSの音楽プロデューサー)
中山淳雄(著)、日経BP、1980円(税込み)