『SPY×FAMILY』『チェンソーマン』など、手がけるマンガが続々と大ヒットしている名編集者・林士平さん。集英社でジャンプ系の雑誌編集を経て、今は2400万ダウンロードを突破したアプリ「少年ジャンプ+」の編集部に所属しています。デジタル化による環境の変化をポジティブに受け止め、マンガ市場のグローバル化を見据える林さんに話を聞きました。

スマホだから、面白い作品が発見できる

林さんは新卒から16年、マンガ編集者ひと筋。編集者を目指していたのですか。

林士平氏(以下、林):子どもの頃からマンガと小説、映画が好きで、マンガはずっと読んでいました。ただ、将来やりたいことは特になく、就職活動ではいろいろな業界の大手を受けて、結局、条件面を見て集英社に入りました。マンガ編集者になりたいという強い意志はなかったのですが、仕事に全力で取り組むうちに気がついたらこの仕事が楽しくなっていました。

紙の雑誌からデジタルが出てきて、マンガを取り巻く環境は大きく変わっていますね。

:僕は2006年に入社して「月刊少年ジャンプ」に配属され、2年目に「ジャンプSQ.」の創刊編集メンバーに。2018年にアプリの「少年ジャンプ+」に異動するまで、10年ほど紙の世界にいました。年々、紙の雑誌をご購入頂ける読者も部数も減る中、どうにか現状維持を目指して、しんどかったですね。

 風向きが変わったと感じたのは2016年ごろ。電車に乗ると、スマホでマンガを読む人をよく見るようになり、どんどん読者が増えているぞと。

紙の雑誌の頃からジャンプ系の雑誌の編集を手がけ、デジタル化の波を感じていた
紙の雑誌の頃からジャンプ系の雑誌の編集を手がけ、デジタル化の波を感じていた
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スマホで読めるようになったからでしょうか。

:スマホの影響がかなり大きいと思います。紙の雑誌を買ってくれる人は「ファン・オブ・ファン」で、大変ありがたい。ただ、大衆のエンタメになるにはラクに読めることが大事で、マンガはスマホとすごくマッチしています。

 デジタルならシェアしやすいというメリットもあります。「面白いから読んでみて」と気軽に人に言えて、実際に読んでくれる率が高い。面白いものがちゃんと発見され、認められていくスピードが段違いに速くなりました。日本の読者のレベルは、すごく高いんですよ。マンガを愛して、新人のチャレンジングな作品も読んでいただけて広めてもらえる。読者を信頼して面白いものを投げると、数字になって跳ね返ってくるというすてきな状態を、これからも維持することができればいいなと思います。

『チェンソーマン』はデジタル向きだった

「少年ジャンプ+」は毎日更新で、月刊誌とペースが違います。

:日刊・週刊・隔週・月刊と作品や作家ごとに連載ペースを選べるうえに、好きな時に読み切りを載せられるのが最高だなと思います。紙の雑誌はページ数が限られていて、作品を選別するから企画の精度は上がる面もあります。でも、僕個人の考えとして、マンガって、作家さんと編集者が面白いと思えば世に出せて、チャレンジングなことがしやすいメディアだと思うんです。選別があると選ばれやすいものを狙ってくるようになり、とがったエンタメが載りにくい。僕は今、多くの人に愛されやすいものとチャレンジングなものの両方を担当できていて、すごくハッピーに働いています。

ご自身が編集を担当している大ヒット作『SPY×FAMILY』と『チェンソーマン』はどちらもチャレンジングな企画という認識ですか。

:『SPY×FAMILY』は王道のド直球で、どこの編集部に回しても連載が取れる作品だと思います。『チェンソーマン』は読者を選ぶので、ジャンプでよく始めさせてくれたなと感じるタイトルです。

『SPY×FAMILY』
©遠藤達哉/集英社
Ⓒ遠藤達哉/集英社
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凄腕スパイ〈黄昏(たそがれ)〉が引き取った超能力者の娘・アーニャと凄腕の殺し屋〈ヨル〉による、秘密を抱えた家族が織りなす「スパイ・コメディー」。それぞれの日常生活をコメディータッチに描きながらも、東西冷戦時代を感じさせる奥行きのある世界観とスピード感のあるバトルシーンで幅広い世代の支持を得る。アーニャのユーモラスで愛らしいキャラクターも人気。2022年4月からテレビアニメが放送中。
『チェンソーマン』
©藤本タツキ/集英社
Ⓒ藤本タツキ/集英社
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親の借金を抱え、「ジャムがたっぷり塗られた食パンを食べることが夢」だという貧乏生活を送る少年デンジ。“チェンソーの悪魔”ポチタの力を借りて、デビルハンターをしながらなんとか暮らしていた。ある日、裏切りに遭い命を失ってしまうが、“悪魔の心臓”を持つチェンソーマンとしてよみがえる。チェンソーの化身となったデンジの痛快ダークヒーローアクション。2022年10月からテレビアニメが放送中。

デジタルになって、作家さんとのやり取りは変わりましたか。

:作家さんの家に原稿を受け取りに行くことがなくなりました。すごく大変だったんですよ、作家さんごとにお住まいの場所が違うので。深夜まで待って生原稿をもらって、それから印刷所に持ち込んで、また別の作家さんの職場に行くこともあり、終電で原稿を取りに行って、タクシーで戻ってくるということもありました。

 今はデジタルデータで送ってもらうので、効率が良くなりました。どこからデジタルにするかは、作家さんによって違います。キャラペン(マンガのキャラクターを手描きで仕上げること)だけアナログで描いてスキャンして仕上げる方や、初めからフルデジタルの方もいらっしゃいます。

「World Maker」でより多くの人を作家に

デジタルならではの新しい仕掛けを進行中ですね。

:2023年、集英社から新しいアプリ「 World Maker 」をリリースする予定で、2021年9月にオープンβ版をスタートしました。絵を描けなくても、誰でも簡単にマンガを作れる無料のウェブサービスです。こういうのが世の中にあったらいいなと思って企画書を出したら、稟議(りんぎ)がすんなり通って、上司にも「思いっきりやってください」と背中を押してもらいました。

「World Maker」は絵が描けなくても、セリフやあらすじを文章で書くだけで、自動でマンガのコマ割りができる。キャラクターや背景などはパーツになっていて配置するだけで、マンガができあがる
「World Maker」は絵が描けなくても、セリフやあらすじを文章で書くだけで、自動でマンガのコマ割りができる。キャラクターや背景などはパーツになっていて配置するだけで、マンガができあがる
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どんな思いで企画されたのですか。

:マンガを作ってみようと思う人を可能な限り増やしたかったんです。例えば、医師や弁護士など、専門知識と物語が頭の中にある人が「World Maker」を使えば、今まで見たことのない物語がマンガという形で生まれるかもしれません。

すごく面白そうです。

:全世界の人がマンガを作ることができて、それを多くの人が読めるようになります。フランスやスペイン、アメリカにはマンガを描きたいという若者が、きっとたくさんいると思っています。このアプリを世界中にばらまいたら面白いな、変なことが起こるかなと思っています。こんなボールを投げたら、社会はどう変わるんだろうという大人の遊びをやらせていただいている感覚です。

「World Maker」は世界中の新たな才能と出会う場になるという林氏
「World Maker」は世界中の新たな才能と出会う場になるという林氏
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壮大な実験によって、どうなると思いますか。

:マンガを作る人も読む人も増えるのでは。日本では人口に比例して読者も作者も減っていくターンがいつか来るでしょう。しかし、全世界でマンガを作る人が増えたら、きっと読者も減らないのでは。

それは作家さんにとってもいい話ですね。

:作り手が「めちゃくちゃ幸せ」「この仕事は最高だよ」と言えない業界は、絶対に先細りしてしまいます。だから、僕はマンガ家さんにはめちゃくちゃ稼いでほしいと思っています。こんなギャンブリングな商売を選んで、人生を懸けてるんだから、最大限稼いてくださいと言ってます。幸せになるマンガ家さんが増えれば増えるほど、マンガ家になろうとする人が増えて、僕ら編集者の仕事も楽しくあり続けられるんですよね。

(3月23日公開の 後編 に続く)

取材/木村やえ(日経BOOKプラス編集部) 構成/佐々木恵美 写真/中西裕人