『翼をください』をはじめ数々のヒット曲を生み出した作曲家であり、レコード会社アルファレコードの経営者、プロデューサーでもあった村井邦彦さんと、EPICソニー設立者で日本のロックを確立した丸山茂雄さん。村井さんの著書『 音楽を信じる We believe in music! 』刊行を機に、旧知の2人による対談が実現。前半は2人の出会いからお互いの印象について改めて語り合う。
アルファレコードの衝撃
丸山茂雄さん(以下、丸山) 僕は生まれが1941年だから村井さんより少し年上だけど、音楽業界に入った時期とかレーベルを立ち上げた時期はほとんど同じなんだよね。
僕たちの最初の接点はグループサウンズのアダムス。僕がCBS・ソニーレコードに入社したのは会社設立と同じ1968年で、その年に会社の第1号アーティストとしてアダムスが『旧約聖書』というシングルでデビューしたのだけど、それを作曲したのが村井さんだった。村井さんはすでに前の年にデビューしてヒットを飛ばしていたから、きっと『旧約聖書』もめちゃくちゃ売れると思っていた。そうしたらあんまり売れなかった(笑)。
村井邦彦さん(以下、村井) そうですよ、全部当たるわけじゃないんだから(笑)。
丸山 会社全体が素人だったから『旧約聖書』は初版で5万枚つくったんです。当時僕は仙台の営業所にいて、契約しているレコード店の数がすごく少なかったから1つの店舗に500枚ずつ置いてきちゃった。これが最初ですよ。そのあともずっと村井さんが活躍する様子は知っていて、そうこうしているうちにアルファレコードを立ち上げましたね。
村井 そうです。1977年です。
作曲家、プロデューサー
丸山 すごく華々しく設立されたイメージがありました。あの頃、何かの週刊誌に見開き2ページ半くらいの広告が載って、そのビジュアルワークが半端じゃなかった。とんでもなく高いクオリティーだったのを覚えています。
村井 初期のアートディレクターには脇田愛二郎という彫刻家を起用しました。だから広告といっても、いわゆる「コマーシャル」ではなくて「アート」でした。この広告は海外でも結構好評で、アメリカのアトランティックレコードの創業者がわざわざ電話をかけてきて「アルファのグラフィックがすごくいい」とほめてくれました。
丸山 確かにあれはショックだった。そのときはまだ僕にEPICソニーを立ち上げるという話もなかったから、ただただものすごい驚きだった。
村井 その頃、丸山さんは何をしていたの?
丸山 僕はCBS・ソニーに営業職で入社して、そのあと販促課に異動になった。ところが、邦楽のプロモーションのあまりの面倒くささに嫌気が差した。テレビ局や芸能事務所の人、それからレコード大賞の審査員に「うちの○○をお願いします」って頭を下げるような仕事なんてやってられねえと思って人事に異動を懇願していましたね。
村井 そうでしたか。僕が覚えている丸山さんとの出会いはね、キャピトル東急ホテルで一緒にステーキを食べたこと。
丸山 一緒に? 覚えてないな。
村井 ルネ・シマールというカナダの歌手が第3回東京音楽祭(1974年)に出ることになって、僕が彼のデビュー曲を書いてソニーから発売した。そういう経緯から一緒にご飯を食べたの。
そのあと強烈な印象として記憶に残っているのは、腰痛の話。僕たち2人とも腰痛持ちだった。丸山さん毎週サンフランシスコに行っていた時期があったでしょ(1996年)。僕もその頃、パリ、ロサンゼルス、東京を飛び回っていたけど、「やっぱり飛行機に乗り過ぎるっていうのは、腰に絶対悪いよね」という話をしていた。覚えてない?
丸山 それも覚えてない(笑)。
村井 話をしていて、丸山さんって本当にすごい人だなと思ってた。普通の人は毎週日本とアメリカの往復なんてしないよね。
「大正リベラリズム」を身にまとう
丸山 今回、村井さんの本『 音楽を信じる We believe in music! 』(村井邦彦著/日本経済新聞出版)を読んで思ったけれど、村井さんは大正リベラリズムの匂いが残っている時代をうまく生きたよね。
村井 そうですね。僕自身も若い頃から大正時代の感じが自分に合うなと思っていたし、年齢に関係なくそういう雰囲気のある人たちとも出会っていた。
丸山 そういう人と出会えたということは、村井さんが大正リベラリズムの雰囲気が残る最後の時期にうまく浸ることができたっていうことだね。
村井 おかげさまで。
丸山 作曲家でフリーランスかつ若いときに成功していたから、それなりに自由にできる環境と財力を持つことができた。それは大きなアドバンテージだったよね。
村井 僕は自分で会社をやっているから、何の制約もなく自分の好きにできた。一番いいホテルに泊まって一番高いレストランに行って、いつもトップの人と付き合うことができた。丸さんは会社の規定があるから何かと大変だったんじゃない?
丸山 僕はサラリーマンだったからね。村井さんは20代で欧米の音楽業界のトップと会っていたけれど、僕はそういう人たちと対等に会えるようになるまでには、まず自分が上がっていく必要があったからずいぶん時間がかかった。
村井さんと同じ経験をしているのは、ソニーで言えば大賀(典雄)さんと盛田(昭夫)さん。しかも村井さんには盛田さんよりも優位なところがあった。それは何かというと、村井さんはフリーランスで作曲家だったから時間があったということ。だから20歳も違うのに村井さんは盛田さんと同じかそれ以上のことができた。やっぱり村井さんは素晴らしい時代を生きてこられたなと感じるんです。
村井 盛田さんとは父親くらい年齢が離れていましたが、気が合っていました。いろいろな人を紹介してくれて、ずいぶん楽しくお付き合いさせていただきました。
丸山 大賀さんも盛田さんも大正リベラリズムの匂いを身にまとっている人たちで、僕は村井さんにもそれと同じ匂いを感じていたんだけど、この本を読んでなるほどやっぱりと腑(ふ)に落ちました。
大正リベラリズムは文化というより教養で、教養とはヨーロッパの文化をなんとか身に付けようとした僕らの先人の努力じゃないですか。そうした努力が村井さんにはギリギリ残っているんですよ。
村井 丸山さんのベースにも大正リベラリズムの部分があると思うよ。『 黒子のリーダー論 丸山茂雄 私の履歴書 』(丸山茂雄著/日本経済新聞出版)にも出てくるように、「丸山ワクチン」を開発したお父様とか、当時としては最もモダンな同潤会アパートに住んでいて、お隣同士と相当多彩なお付き合いをされていた。そういう環境で育った丸山さんはやっぱり自由人だと思う。
丸山 だからこそ村井さんのすごさが分かるわけ。僕はミュージシャンでもなんでもなくて、いわゆる典型的な日本のサラリーマンとして配属されたところから上がっていったじゃないですか。村井さんはフリーランスとして自由にやってきた。だから演歌くさくないというか。そういう人はあまりいないよ。
村井 大嫌いだからね、そういうの(笑)。
(後編に続く)
文/橋口いずみ 構成/苅山泰幸(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
村井邦彦著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)
丸山茂雄著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)






