『翼をください』をはじめ幾多のヒット曲を生み出した作曲家であり、レコード会社アルファレコードの経営者、プロデューサーでもあった村井邦彦さんと、EPICソニー設立者で日本のロックを確立した丸山茂雄さん。村井さんの著書『 音楽を信じる We believe in music! 』刊行を機に、日本のポップミュージックをけん引してきた2人による対談が実現した。後編は、レコードの普及から配信の時代へ、インターネットの登場とともに変化した音楽活動やレコード会社のあり方について語り合う。
前編
「村井邦彦×丸山茂雄 盛田昭夫と同じ『大正リベラリズム』の匂い」
『翼をください』は第二の国歌
丸山茂雄さん(以下、丸山) イタリアの作曲家ヴェルディのオペラ『ナブッコ』第3幕に『行け、我が想いよ、黄金の翼に乗せて』という有名な合唱曲が出てくるけど、それと村井さんの『翼をください』がすごく重なると思ってる。なぜかというと『行け~』はイタリアの「第二の国歌」といわれるくらい誰もが知っている曲で、『翼をください』も2002年の日韓W杯で日本代表の応援歌になったでしょ。
村井邦彦さん(以下、村井) 実は『翼をください』は、日韓W杯の前に佐賀県の鳥栖にあるサッカーチームが歌い始めたのが最初なんです。日本が初めてW杯に出場したのが1998年で、その前年のマレーシアでの代表決定戦のとき、日本から来た2万人ぐらいのサポーターが『翼をください』の歌詞を変えて応援歌にして歌っていたんです。それ以来サッカーと『翼をください』が蜜月関係にあって、日韓W杯まで続いたという背景があります。
丸山 応援歌として定着すればよかったのにね。
村井 そうね。でも僕はスポーツイベントとは割と縁があるんですよ。札幌オリンピック(1972年)のテーマソングを書いてるし、『翼をください』についていえば、長野オリンピック(1998年)のときに「赤い鳥」のじゅんこちゃん(山本潤子)が歌って、この間の東京オリンピック(2021年)のときにもスーザン・ボイルっていうスコットランドの歌手が英語詞版を歌ったんですよ。
作曲家、プロデューサー
丸山 まさに国民的な曲だよね。『翼をください』の作詞は山上(路夫)さんでしょ。僕、山上さんが好きなの。お世辞ではなく、山上さんと村井さんの組み合わせは品がいい。
村井 ありがとうございます。僕たちもそう思っています(笑)。お互いにこの人とやっていると楽だなって思う。
ガミさんは僕より9歳上なので今88歳。内容はまだ発表できないけれど、先週(取材当時)も最新作を録音してきたところ。僕が先にメロディーを書いて渡したら、すごくいい詩を作ってくれた。
他にも2人で書いた未発表の作品がたくさんあるから、1~2年のうちにきちんと作品として残したいと考えている。なので、ソニーの若い人たちに応援するように言っておいてくださいよ(笑)。
レコードを作らないレコード会社
丸山 でもね、もうほとんどレコード会社の時代って終わってるんですよ。今音楽活動をしている人たちは、レーベルに所属する必要性を感じていない。
1960年代半ばぐらいまでの日本の音楽業界は、作詞家も作曲家もレコード会社の専属社員だった。服部良一や古賀政男がコロムビアで吉田正がビクターという具合に。彼らは専属社員だから他のレコード会社は手を出せない。でも「いや、それはおかしいんじゃないか、フリーで仕事をするぞ」って動き始めた人たちが出てきた。その最初の世代が村井さんたちだった。
村井 そうね。僕、筒美京平、すぎやまこういち、鈴木邦彦……。
丸山 作詞家だと、なかにし礼、阿久悠、山上路夫、橋本淳……。そういうフリーの先生たちが音楽を作ってくれたおかげで、CBS・ソニーはレコードが出せていた。
村井 じゃあ今、ソニーはあんなに社員がいるけどみな何をしてるの?
丸山 いわゆるレコードを作っているセクションはものすごく減ってしまった。今は音楽ビジネス、エンタテインメントビジネスのソリューションを手掛けているんです。プレスを請け負います、ジャケットを作ります、コンサートをお手伝いします、Tシャツとかのグッズも作りますって。前だったらクリエーティブハウスがやっていた音楽に関連するいろんなことを一括で引き受けている。
村井 へぇ、そうなんですか。
丸山 スタジオでのレコーディングも、音楽プロデューサーとミュージシャンが作って、あとはエンジニアがいればできてしまうでしょ。だから僕、社員に注意したことがあるんですよ。お前らがやってるのは弁当とお茶の手配だけだろ、そんなことでこの先何十年も生きていけると思っているのかって。1995年ぐらいだったかな。
村井 1995年の段階でそう言ったの? ずいぶん早かったね。
丸山 早かったね。社員からは嫌われたけど、事実だものね。昔と今とでレコード会社が決定的に違うのはディストリビューション。昔だとメジャーのレコード会社は基本的にアメリカかヨーロッパにあって、そこで作ったものが世界中に売れていった。売れるということは、結局誰かがレコードやCDを箱に詰めてトラックに載せて日本全国津々浦々まで運んでいたってことだから、その「肉体作業」を組織したレコード会社は強かった。
でも今は配信の時代だから、そういうのはだんだんいらなくなってくる。だからレコード会社の中には、もうモノづくりという機能が存在していないんですよ。
村井 さっき1995年の段階で社員に注意したと言っていたけど、音楽の世界でアメリカでのナンバーワン=世界中のナンバーワンだった時代が終わったのも、やっぱりその頃、1990年代後半くらいなんだよね。
丸山 そうなの?
村井 僕たちが若い頃はアメリカの影響力が強かったでしょ。例えばイギリスのビートルズだってエルトン・ジョンだって、アメリカに来てそこからブレークして全世界に広がった。当時の日本の音楽市場の洋楽と邦楽の割合は50:50くらいだったのに、それが今は邦楽85:洋楽15とかになってる。
そうなった理由の一つは、もう重いものを運ばなくても音楽が世界中に届くということだよね。それでアメリカの主導力が落ちてしまった。今は各ローカルマーケットで、フランスの人はフランスの音楽、アメリカの人はカントリー&ウエスタン、日本の人は日本の音楽ってふうになっている。
音楽も含めて全部そうだけど、インターネットの普及やデジタル化で世界中のいろいろなことがガラッと変わったよね。そんななか、丸山さんがロックに目を付けてうまくいったということは、ビジネス的にそういう時代の潮流とかを分かっていたということだよね。
丸山 ロックが商売になるとは当時まだ誰も思っていなかった。そもそも僕がロックに目を付けたのは、人に頭を下げるような仕事はしたくないというのがきっかけだったし。
当時は海外の音楽の流れがロックのほうに向かっていた。1960年代のアメリカでいえば、反戦運動とか公民権運動が起きて、若者のエスタブリッシュメントに対する反抗みたいな時代の流れがあって、それを日本でやるにはどうしたらいいかということを考えていたんだよね。
村井 僕も同じようなもので、人にお願いして回るのではなくて、もう自分たちだけでやってやるぞっていう考え方だった。時代の流れを読むとか、自分たちが時代を呼び寄せたとかじゃなくて、その時その時を一生懸命やってきただけなんだよね。
丸山 村井さんには、自分の好みの音があるんだよね。そこが純粋で、村井さんの素晴らしいところだと思うよ。
文/橋口いずみ 構成/苅山泰幸(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
村井邦彦著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)
丸山茂雄著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)





