日本中の乳幼児のハートをわしづかみにし続ける「アンパンマン」。スーパーマンのようないでたちとは裏腹に、アメリカン・ヒーローとは全く異なる哲学を持つ「アンパンマン」はいかにして誕生したのか、やなせたかしさんの背骨になっている、「おなかが減っている人に食べ物をあげることは絶対の正義」という信念はどこから生まれたのか、『アンパンマンと日本人』の著者・柳瀬博一さんに聞きました。

柳瀬博一(やなせ・ひろいち)
1964年、静岡県浜松市生まれ。東京科学大学教授(メディア論)。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP)入社。2018年から現職。『国道16号線』『カワセミ都市トーキョー』『上野がすごい』(滝久雄氏と共著)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二氏と共著)など著書多数。やなせたかし氏への思いは熱いが、血縁関係はない。

商業デザインを学んだプロ

 実はアンパンマンは最初から大人気になったわけではありません。ハードルとなったのが親でした。乳幼児にコンテンツを与える親がいいと思わない限り子どもには届きません。そして、アンパンマンのストーリーは、当初幼稚園や保育園の先生、親にウケなかったのです。子どもたちが絵本に夢中になることで、次第に大人にも人気が伝わっていったのですが、テレビ放送が始まるまで15年かかっています。

 作者のやなせたかしさんは、舞台装置の制作やラジオの脚本、雑誌の連載、作詞、テレビ出演、映画のキャラクターデザインなどジャンルを問わずさまざまな仕事をやっています。頼まれたら断らず、永六輔氏からはミュージカルの舞台装置制作を、宮城まり子氏からはリサイタルの台本書きと衣装デザインを、羽仁進氏からはドラマのシナリオと主題歌の作詞を、手塚治虫氏からは長編アニメーション『千夜一夜物語』のキャラクターデザインを依頼されています。共通しているのは、依頼者がクリエーティブの天才たちで、依頼内容が誰もやったことのない仕事であることです。いつも頼まれたらやるという姿勢を貫いていました。自分にできるかもしれないと思ったらとりあえず引き受けて120%で応える。

 やなせたかしさんにはそれができた。なぜなら、プロフェッショナルなデザイナーの訓練をされているからです。

 彼が進学した東京高等工芸学校は、戦後は千葉大学工学部になりましたが、もともと東京工業大学(現・東京科学大学)前身である東京工業学校の工業図案科でした。1914年に工業図案科が廃止、東京美術学校(東京芸術大学の前身)に移管統合され、東京高等工業学校に残った先生たちが、工業とデザインを学ぶ場が必要だと東京高等工芸学校を作ったのです。やなせさんはこの学校を卒業後、現在の田辺三菱製薬に就職して商業デザインの仕事をします。徴兵されて中国に行き、戦後帰ってきて高知新聞社で雑誌の編集をしました。表紙デザイン、イラスト、執筆、デザインまで何でもやり、ここでエディトリアルを学んだ。商業デザインのプロなのです。オーダーされた仕事に応える訓練がされている。そのマインドセットがあったから、エディトリアルやデザインを請け負って、頼まれた仕事に120%で応えていたのだと思います。

 一方、自分が好きなこと、自分がやりたいことは人から何を言われても絶対曲げないでやる頑固さ、妥協しない強さも持っていました。それがアンパンマンです。「顔が食べられて欠けてしまうのは、幼児が見るのに残酷」と言われても、「ばい菌をモチーフにしたキャラクターなんて商品化しにくくなる」と意見をされても、聞き入れませんでした。アンパンマンには彼の思いが詰まっているからです。

『アンパンマンと日本人』(新潮新書)/画像クリックでAmazonページへ
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「恨まない」思想と母への愛

 NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」でご存じの方も多いと思いますが、やなせたかしさんは父を亡くした後、母は再婚して出て行ってしまうんですね。母親であっても子どもへの愛情がない人はいます。しかし逆はない。生き物としての赤ちゃんはお母さんがいないと死んでしまうから、絶対に好きなんです。例外はない。

 とはいえ、成長過程で母との関係が変わり、母親が憎くてしょうがないという人も出てきます。やなせさんの根っこにあるのは、お母さんとの極めて特殊な距離と感情ですが、振り向いてくれなくてもとにかくお母さんのことを悪く言わない、ずっと好きでいると決めたのではないかと思います。悔しいとかつらいとかはあるけれども恨まない、これが後のやなせさんの思想に重きを成している。アンパンマンには、「見返りを求めず人助けをする」という、人間にある普遍的な利他性が込められています。そこに至る本質の一つは、お母さんに対する一方的なやなせさんの愛情ではないでしょうか。

 もう一つが、戦争体験です。やなせさんが軍隊に召集されたのは1941年、22歳のときです。42年から45年までの中国で過ごした3年間、最も地獄だったのは、重労働でも訓練で毎日殴られることでもなく、食べるものがないことだったのです。正義のための任務と言われて従軍しましたが、敗戦が決まるとあっという間に価値観がひっくり返る現実を目の当たりにしました。正義とは相対的なものにすぎず、時代や立場によって変わりやすいものである一方、空腹は絶対的な苦しみであることを、身をもって知ったのです。

 父が早くに亡くなり、母を失い、弟を戦争で亡くした。戦争、飢え、孤独を体験したやなせさんは「正義とは何か」を問い、正義の定義は時代や社会によって変わってしまうけれども、おなかが減っている人に食べ物をあげることは絶対の正義だと気が付いた。時代や価値観が変わってもこれだけは確実に言えると。この真理こそおなかが減った人にあんぱんを食べさせるアンパンマンの誕生につながるのです。

アメリカン・ヒーローへのアンチテーゼ

 アンパンマンといえば、ボディスーツの胸にトレードマーク、マントを翻し空を飛ぶ、スーパーマンそっくりのいでたちながら、やなせさんは、スーパーマン的正義にはっきりと異議を表明しています。

 1973年に出された、最初の絵本『 あんぱんまん(やなせたかしのあんぱんまん1973) 』(フレーベル館)の「あとがき」にそのことがはっきりと書かれています。

 「子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです
 ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。(以下略)」

『あんぱんまん(やなせたかしのあんぱんまん1973)』(フレーベル館)/画像クリックでAmazonページへ
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 やなせさんが注目したのは、従来のスーパーヒーローたちの矛盾でした。彼らは激しい戦闘を繰り広げても衣服一つ汚れることなく、その戦いは本当に誰のためのものなのかということすら曖昧だと。現実世界で人々を苦しめているのは、人の形をした明確な悪役ではなく、貧困や飢え、物価高だと。本が書かれたのは70年代前半ですから、まさに公害やオイルショック、ナイジェリアで起こったビアフラ内戦など、食糧危機や貧困が世界的に問題になっていた時です。

 実はこの絵本の出版前に、中年のアンパンマンを書いています。1970年に山梨シルクセンター(現・サンリオ)から出した『 十二の真珠 』という短編童話集の一編で、リアルな人間の顔をして汗だくでよたよた飛んでいる太っちょのおじさんアンパンマンは、スーパーマンやバットマンたち正義の超人たちから、偽物呼ばわりされてバカにされるんですね。

『十二の真珠』(やなせたかし絵・文/復刊ドットコム)/画像クリックでAmazonページへ
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 さらに1973年に「詩とメルヘン」(サンリオ発行、やなせたかしさんが創刊号から03年まで編集長を務めた)の創刊号に合わせて、大人のメルヘン、短編童話集『アリスのさくらんぼ』が発行されました。その中にも「飛べ!アンパンマン」という作品があります。今のアンパンマンに近いのですが、このときのアンパンマンは一人称が俺です。やなせさんはこの作品の中で、アンパンマンの哲学を明確に語らせています。

 あんぱんは世界で一番おいしいお菓子というわけじゃないけれど、あんこの入ってるパンっていうのは素敵じゃないか、それだけでも生きていける。生きるということは、ぜいたくを言わなければ食べていけるということではないか。しかし現実には世界中で餓死している子どもたちがいるのに、テレビや漫画のヒーローたちは彼らを助けたことが一度もないと。

 このように、スーパーマン的正義は単なるナルシシズムですよと、何度も書いています。本家のスーパーマンやバットマンは、9.11米国同時多発テロ事件でアメリカが攻撃されて、自分たちの正義の相対性に気づいた。それが現れているのが2010年代のクリストファー・ノーラン監督ののバットマン3部作や、『マン・オブ・スティール』、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』といった作品で描かれた葛藤するヒーロー像で、やなせたかしより40年、50年遅いわけです。

 大人のメルヘンとして書いた2作のアンパンマンでもきっちり伝えていることを、もう一度、子どもに読み聞かせをするお母さん・お父さんや幼稚園・保育園の先生に宛てて書いたのが、絵本の「あとがき」のメッセージです。大人のメルヘンとして誕生し、キャラクター設定は変えないで絵本とした。『やさしいライオン』もそうです。やなせたかしさんは、子どものための作品は作るけれど子ども向けにすることはしていない。それが0歳児を夢中にさせる。やなせたかしにしかできない、ウォルト・ディズニーにも手塚治虫にもできなかったことだと思います。

詩人・やなせたかしの世界を知るなら

2013年に亡くなられたやなせさんの絶筆と言っていい1冊です。父を亡くし母と別れ、複雑な家庭環境で共に育ち、22歳という若さで戦死した弟への思いをつづった詩画集。朝の連続テレビ小説「あんぱん」にお母さんが白いパラソルを差して去っていく場面がありましたが、まさに、そのシーンは現実であり、この本に描かれています。静かな描写とほのかなユーモアを通して、2人の幼い兄弟の切なさがいっそう胸に迫ります。

取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/佐々木睦