自然は美しく、恐ろしい。そして、そこに暮らす人々にもまた、深く、計り知れない部分がある――。
作家・池井戸潤氏の新作『
ハヤブサ消防団 森へつづく道
』(集英社)では、シリーズ第1作から3年近くの歳月が流れた八百万(やおろず)町が舞台。消防団員として活動しながら執筆を続けるミステリ作家・三馬(みま)太郎の日々が描かれる。作家として順調な彼に訪れる、大きな転機。文学賞への初のノミネート。同時候補となった人気作家・北原未南(みなみ)との運命的な出会い。思わぬところから湧いた、彼女の作品への重大な疑惑。そして、町で起こった怪死事件の謎は、さらに謎を呼び……。
のどかな町での異変と、文壇の裏舞台が交錯し、終盤に向けて思いもかけない怒濤(どとう)の展開を迎える物語は、いかにして生まれたのか。作者インタビュー後編では、文壇と日本中に衝撃を与えた作家・東野圭吾氏逝去の報を受けた池井戸氏が、作家と作家の絆(きずな)についても語った。

答えは、書きながらでしか見つけられない
シングルマザーの不審死に、町長選挙以降、町内に起こった不穏な変化。そして太郎とともに文学賞候補となった作家・北原未南に持ち上がった、ある重大な疑義。これらが交錯しながら、物語は後半、怒涛(どとう)の展開を見せます。執筆でもっとも困難を感じたのは、どの場面でしたか?
池井戸潤氏(以下、池井戸) 未南の作品にまつわる疑惑を解明することです。ここについては正直、当初はあまり深く考えていなくて、編集者からの「なぜなんですか?」という質問を受けて、「それはそうだよな」と思い、考え始めました。
意外でした。この部分は、他の要素も加わって、後半の肝になる部分なので……。
池井戸 最初から決まっていれば、楽なんですけどね。自分でも、うすうす疑問に感じていたとは思います。でも、人から言われることで、はっきりすることもある。僕は小説を書くときにプロットを作らないのですが、たとえプロットを作ったとしても、その通りには進まないし、解像度も粗いので、やっぱり書きながらでないと見えてこないものがあると思います。
もうひとつは、冒頭で起こったシングルマザーの不審死事件の謎が、なかなか解けなかった。これは、本当に最後の最後になるまで真相が分かりませんでした。自分で書いておきながら謎が解けない、そういう不可解なことが、小説を書いているとたびたび起こるんです(笑)。
でも、その謎の連鎖から、物語がかなり突っ込み気味に進んだので、結果として小説全体にスピード感が出たのではないでしょうか。

「兄貴」のようだった東野圭吾さん
未南の作品に感銘を受けたこともあって、疑惑を追わずにはいられない太郎。彼が未南と対話する場面からは、作家同士の絆のようなものもうかがえました。ご自身でも、そうしたシンパシーを作家仲間に感じたことはありますか?
池井戸 作家同士だから感じる連帯感というようなものは、あまり持たないですね。もちろん、パーティーで同席したりと、いろんな場面で一緒に時間を過ごすことはありますが、その際も、お互いの作品については、あまり踏み込まないようにしている気がします。
シリーズものの映像化作品があるという点で、僕にとってもっとも話しやすい人は、東野圭吾さんだったのかもしれません。
7月23日にご逝去。突然の訃報は衝撃でした。
池井戸 僕も報道で知りました。5つ年上の東野さんは、僕にとっては、江戸川乱歩賞でデビュー、直木賞受賞という、いわばエンタメ畑の直系の先輩。兄貴のように感じる人で、たまに会ったときは、いろんな話をしました。
例えば、自作の映像化の際、脚本にどのようにタッチしているかといった話は東野さんとしかできないことでしたし、お互いが今、どんなふうに本を書き、売っているかということについても、意識しあっていたと思います。
東野さんはずっと、自分は100冊本を書くんだと話されていました。僕は、どちらかというと1冊1冊に時間をかけて向き合いたいタイプ。そういう創作スタンスの違いも、とても参考になりました。
偶然ですが、この『森へつづく道』の発売日は、東野さん106冊目の著作で最後の作品となった『 永遠の記憶 』(文藝春秋)と同じ日でした。目標を達成され68歳で旅立たれましたが、自分はいつまで頑張れるかなど、あらためて人生の残り時間について考えさせられています。
本を売り、読者に届けるスキルが必要
エンタテインメント作家として、どうあるか。『森へつづく道』でも、太郎や未南、それぞれの担当編集者が作品観を語る場面がありますが、エンタメだから届けられるメッセージがあるという信念は通底しています。
池井戸 もちろん、何を書いても読者に届くものはあると思いますが、本に値段をつけて売るのであれば、やはりたくさん売れたほうがいい。それは当たり前のことで、売れなくてもいいなんて作家が言うべきではないし、出版社だってそう思っているはずです。そのためには、作家にも本を売るためのスキルが必要だと感じています。
スキルとは?
池井戸 作家には届ける先、読者というお客さんがいる。その人たちにどうすれば喜んでもらえるか、それを考えるスキルです。自分は文学者であり、それだけで意味のある存在なのだという考え方は、僕とは相容(い)れないし、たまたま売れることはあっても、狙って売ることはできないでしょう。僕はそこに挑戦したいと思っている作家です。なかなか上手(うま)くはいかないけれど、たまには上手くいったりする。試行錯誤を続けています。
読書は無駄で純粋な行為。だから、すばらしい
2026年9月には初のミュージカル化作品『民王』が開幕し、続く10月には『俺たちの箱根駅伝』のドラマが放送開始となります。多忙な毎日を送っておられると思いますが、最近、どのような本を読まれましたか?
池井戸 『詳説世界史図録 第5版』(木村靖二、岸本美緒、小松久男、橋場弦監修/山川出版社/2023年4月)。この本、実は事務所のトイレから持ってきました(笑)。トイレに入るたびに適当にページを開いて読んでいるのですが、ほとんどのページに戦争の記述があることに、あらためて驚いています。高校時代、僕は世界史選択で、わりと詳しいつもりだったんですが、知らなかった戦争もたくさんあり、発見でした。人類史というのは、つくづく、戦争の歴史なんだなと思いますね。

もう1冊は、『 西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか 』(エマニュエル・トッド著/大野舞訳/文藝春秋/2024年11月)。世界情勢についての本は、政治家や評論家、外交官などが書くことが多いのですが、著者のエマニュエル・トッド氏は人口統計学者。歴史的な人口動態など、ごまかしようのないデータの動きに基づいて将来を予想し、大国の力関係や産業の盛衰を予測しているところが斬新です。彼の本は何冊か読んできましたが、毎回新しい視点を提供してくれるのが、とても勉強になっています。
こうした読書が、次の作品の参考になったりもするのでしょうか?
池井戸 そういう期待はまったくしていません。読書は、商売抜きで楽しむ主義です(笑)。「タイパ(タイム・パフォーマンス)」なんて言葉があるくらいですから、本からも何か役立つ知識を得たいと思う人が多いんでしょうね。無駄なことはしたくないと。
でも、読書なんて、僕に言わせれば、無駄以外の何ものでもない。とくに小説は、純粋な娯楽。そこがいいところなんだと思っています。お金もそれほどかからず、たった数千円で何時間でも、何週間でも楽しめるんですから。
構成/大谷道子 写真/尾関祐治
