英国の医師であり小説家であるA.J.クローニン著の『城砦』、かつては日本の医師の誰もが読んでいたともいわれる1冊でした。その後、絶版となり、簡単に目にすることはできなくなっていた名著を夏川草介氏が翻訳。学生時代に旧訳を愛読、『城砦』が自身の人生を変えたという鎌田實氏と夏川氏の医師2人が、その魅力やパワーについて語りました。
前編 「夏川草介×鎌田實 復活の名著『城砦』に見る、変わらぬ医師の苦悩」
鎌田さんは『城砦』の旧訳を高校時代・大学時代に読み、今回、夏川さんの新訳も読まれて、どんな印象をお持ちですか?
鎌田 夏川先生の翻訳で雰囲気が全然違うものになりましたね。僕が学生時代に読んだのは竹内道之助さんの翻訳で、誰かに貸して本棚にはなく、すでに絶版で手に入らなかったため、夏川先生の担当編集者に新潮文庫の中村能三さんが翻訳したものを送ってもらいました。中村さんの翻訳は時代もあるのでしょうが、無声映画の活弁で盛り上げていくような文章だなと感じました。夏川さんの訳は非常に簡潔で、分かりやすく美しい。同じところを読んでもらうと分かります。
夏川 実は竹内さんの翻訳を読んで驚いたことですが、原作にない描写やエピソードがあったり、人物の設定を大きく変えたりもしています。竹内さんは翻訳の大家で、そのなかでも『城砦』は当時から名訳として有名だったと聞いています。実際、今でも竹内訳の『城砦』には多くの愛読者がいるとのことなので、原作と竹内訳の違いをどうすべきかずいぶん悩みましたが、最終的には竹内訳を踏襲せず、原作に忠実な翻訳を目指しました。以前、別のインタビュー記事でうまく伝えられなかったので、少し細かな説明になってしまいますが、今回の翻訳は、多彩な描写を追加した竹内訳から距離を取って、クローニンの原作に立ち返ったのが特徴です。
一方で、文章そのものについては、若い人たちが気軽に読めるように、短めでリズムのよい文章を心がけました。そういう文体が、主人公アンドルーの情熱的な性格ともうまくかみ合ってくれたように思います。また、中学生くらいから読めるように、既訳で見られた難解な単語や、医学の専門用語についても、できるだけ分かりやすいものを用いて、補足も加えています。このあたりは、作家としても医師としてもやりがいのある仕事でした。
鎌田 「城砦」という言葉が出てくる一番大事なところがあるでしょう。報われない医師の暮らしから、金銭的な成功を求め変節していく主人公に対して、奥さんが違うんじゃない? っていうことを言おうとしているところ(*編集部注 ‘Don’t you remember how you used to speak of life, that it was an attack on the unknown, an assault uphill – as though you had to take some castle that you knew was there, but couldn’t see, on the top—’)。新潮文庫版では「おぼえていらっしゃらない? 人生というものは、未知のものに対する攻撃、苦しい肉弾戦だと、いつも言ってらしたわ――あることだけはわかっているけど、眼には見えない城砦を、是非にも奪わなきゃならないとでもいう様子だったわ。そしてその上には――」とある。
もちろん、時代背景もあるのでしょうが、ここに「肉弾戦」という単語が出てくるのは今の時代に読むと違和感があります。同じところを夏川さんは「昔、あなたが人生について話してくれたことを覚えてない? それは未知に対する戦いだって、ひどい上り坂を諦めずに上っていくことだって言ってた。―頂上には砦がある。目には見えないけど、あることだけはわかってる。その城砦を絶対に打ち破らなければいけないって言ってたじゃない」と、すっきりと訳されている。なぜ『城砦』というタイトルになったのかここで分かってきて、最後にアンドルーが大きな試練を乗り越えていったときに、本当の城砦が見えてくると思うのです。
夏川 自分の翻訳の感想を聞く機会はあまりないものですから、そう言っていただけるとうれしいですね。
原文では水曜日の翌日が水曜日だったり、3年たっているのに西暦が1年しか進んでいなかったりしました。校正という概念があまりしっかりしていなかった時代なのかもしれません。そうした時系列も確認しながら訳しました。
医師が訳したリアリティー
鎌田 もう1つは、旧訳ではやはり訳者が医療者でないから分かっていない部分がどうしてもありますよね。総合医のことを万能医としていたり、甲状腺の治療薬のことを甲状腺と呼んでいたり。詳細に描写しているからこそ、あれ?と思う箇所もありました。
夏川 確かに脳梗塞の所見を記述している文章が、情緒的な顔の表情の描写として解釈されているところもありましたね。ある場面を表現している単語が、一般用語として使われているのか、臨床の専門用語として用いられているのかが判別できるのは、医師が訳した強みなのかもしれません。
訳しながら、アンドルーとご自身を重ねるようなことはありましたか?
夏川 上巻はある程度気持ちよく読める展開ですが、下巻はガラッと雰囲気が変わります。そちらのほうに重なる部分がありました。
今、病院の内科診療は外科に比べ、亡くなる患者さんが多いのです。特に地域の病院は高齢化が進み、患者さんの平均年齢が80~90歳ぐらいになり、治すというよりはいかに看取るかという医療になってきている。当初はモチベーションがあった若い医師たちも、精神的につらくなって辞めて開業していく人も多い。その結果、ただでさえ多忙な病院の勤務医たちの生活がさらに苦しいものになっていく。こういう流れを見ていると、葛藤を抱えつつも堕落の道に落ちていくアンドルーの姿が、とても胸を打つんですよね。もうちょっと、報われてもいいんじゃないかと共感をする部分はありました。
私自身、外来、病棟、往診に内視鏡検査をこなしながら、ほとんど休みなく働いて、数日に1度は夜も呼ばれ、それでも多くの人が亡くなっていくという日々を20年以上過ごしました。あるとき、体力的にも精神的にも自分の限界が来たことに気付き、異動を願い出ました。
鎌田 夏川さんぐらいの年齢のときに、僕はミッドライフ・クライシスを経験しました。病院の再生に成功し、はたからはすごくうまくいっているように見えたであろう、絶頂期と言ってもいい頃でした。48歳で症状が出て、冷や汗や発作で夜も眠れない。一時期は睡眠薬を飲みましたし、発作性の頻拍を抑える薬を飲んだりしました。完全に抜け出すのに4年かかった。不調から抜け出せたのは、チェルノブイリ原発事故後の支援活動や難民キャンプに診療所をつくるなどの活動が救いになったのかなと思いますね。
夏川 一見、かえって大変になりそうですが。
鎌田 むしろ、病院の経営とか若い医師を集めなくちゃいけないとか悶々(もんもん)としながら日本中を飛び回っているよりは、別の場所で別の時間を持つことが自分のバランスを保つことになってよかったのかもしれません。それと、精神的に疲れたら休みを取るだけでなく、筋肉をつくるトレーニングもいいですよ。僕は奥さんとジムで最初はトレーナーに指導してもらって、今では僕は72.5キロのバーベルを担いでスクワットしています。筋肉をつくると少しポジティブになってきます。
お2人にとってご自身の「人生における未知との戦い、打ち破らなければならない城砦」とはなんですか?
鎌田 私の家は、母が重い心臓病を患っていましたし貧乏でしたから、お話しした通り高校生のときに大学進学を反対されました。最後には父が、そんなに勉強したいなら、入学金も授業料も全部自分で考えてなんとかするなら、自由にやっていい。ただし、1つだけ約束しろと言われたのです。「うちみたいな貧乏な患者が医師にかかるときにどんな思いでいるか忘れるなよ。弱い人のことを忘れるな」と。それが僕にとっての城砦なのかなと思いますね。
父の言葉に合った生き方をしていけばいいんだと思って、生きてきた気がします。立て直しが必要な病院に赴任することも、チェルノブイリの汚染地域の子どもたちを助けることも、イラクの難民キャンプに診療所をつくることも、困っている人がいるということは、自分の城砦につながることだと思ってやってきています。
夏川 私はいくつかの小さな病院で働いて、先ほどお話ししたような厳しい労働環境のなかでずっとやってきたのですが、でもそれによって救われている人は確かにいる。その事実は自分にとって大きな励みになります。困っている人がいたら助ける、誰かのためになる行動をとる。親から教わったこの原則を、私自身、いつしか子どもたちに伝えるようになっています。それがやはり私にとって城砦に通じるのかなと思いますね。
現在は異動して、以前とは少し違う立場になっているのですが、『城砦』を訳すなかで、まだまだ医療の最前線に立ち続けたいという活力が生まれてきました。この年齢で、どこまでやれるかは分かりませんが。
失ってはいけない人間のあり方を描きたい
当初は、「自分の哲学と異なる物語であれば、お断りしようと思っていた」と以前のインタビュー 「医師兼作家の夏川草介、初翻訳で絶版の名著『城砦』を復活」 で話されていました。最後に、作家としての哲学についてもお話しください。
夏川 憎悪や復讐心といった、人間の負の側面を描くことも文学の1つの役割だとは思いますが、誰かのために過酷な場所に踏みとどまって、弱い人たちに手を差し伸べようとするかっこいい人を描きたいという思いをいつも持っています。
数年前、新型コロナウイルス感染症関連の小説を書きました。私が働いていた病院では第一波のときにクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の患者さんを受け入れました。横浜、東京圏で受け入れる病院が少なく、長野県まで7時間かかる距離だったのですが、当時は新型コロナの罹患(りかん)者に救急車が使えませんでした。普通のワゴン車で、サイレンも鳴らせずに信号では止まりながら必死に患者さんを搬送してきた方々がいた。こういう人たちを描きたいと思ったのです。現場からは、もっとつらかったじゃないか、もっと悲惨だったのに、あまりにも我慢強く書き過ぎていると怒られたのですが。
このスタンスはクローニンに通じるものがあるのではないかと思っています。クローニンの作品全体について言えることですが、鎌田先生がおっしゃったように、弱い人にちゃんと手を差し伸べる。困っている人がいたら助ける、人間としての美しい姿が描かれています。アンドルーは、自分を金もうけの道に引きずり込んだ友人に対してさえお前は友人だよと言える。お前のせいでこんなふうになったというようなことは決して言わない。自分の反省すべき点は人のせいにせず自分で受け止めて、弱い人たちに手を差し伸べる。失ってはいけない人間のあり方が描かれている作品だと思います。
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/柳沢克吉 取材協力/蓼科高原 バラクラ イングリッシュ ガーデン



