「便利なAIサービス」が次々と誕生する中、人間の価値観を軸に据えた新しいAIの姿を思い描くのが、孫泰蔵さんだ。人間を監視・統制する「ビッグ・ブラザー」として恐れられるAI(人工知能)に、人間はどんな力を持てるのか。2023年刊行の著書『冒険の書 AI時代のアンラーニング』から2年半、AI進化の最前線を全2回で語ってもらった。今回は2回目。
「ビッグ・ブラザー」に対抗する「リトル・バディ」
前回 では、SNSはパーソナルAIが投稿する時代になり、「私のAI」同士が会話して人間のセレンディピティ(偶然の幸運)を生み出すという未来を語りました。そんな世界になったら、コミュニケーションのあり方もすごく変わりそうです。
孫泰蔵氏(以下、孫) 例えば、「私が誰かに感謝していること」、逆に「誰かが私を評価していること」が、自分の主観だけでなく、他者の視点としてパーソナルAIの日記に編み込まれる。そうすることで、関係性の“解像度”が上がっていきます。これは、人と人が感情を伝え合うハードルを下げる可能性があると感じています。もちろん、本人が望まない情報の共有はしない前提で、アプリシエーション(理解、感謝)を丁寧に橋渡しできる仕組みもAIなら可能です。
そして、長期記憶を持ったパーソナルAIは、クラウド上の巨大な“箱”ではなく、手元にある小さな“箱”に置かれることが重要です。僕は、それを「リトル・バディ」と呼んでいます。いわば、自分だけの相棒AIですね。
これまでのAIは、巨大で匿名的な「ビッグ・ブラザー」のように振る舞うことが多かった。大量のデータを中央集権的に吸い上げ、常に「あなたを見ている」存在として恐れられてきました。ジョージ・オーウェルの小説『 一九八四 』に登場する「Big Brother is watching you(ビッグ・ブラザーが見ている)」という言葉は、その象徴でしょう。
確かに、AIに監視され、支配されるのではないかという不安は拭えません。
孫 でも、僕はその逆のAIが登場すると思います。自分のそばにいて、自分のデータを守り、必要な時だけ大規模言語モデルの力を借りる。つまり、日常の記憶や感情はリトル・バディの中に閉じていて、基本的にビッグ・ブラザー側には渡らない。AIの分野では「Federated Learning(連合学習)」と呼ばれる、データをローカルに置いたまま活用する仕組みに近い考え方です。技術的にはスマホやローカル端末に実装され、個々人が自分のバディを持つイメージです。長期記憶はローカルにあり、クラウドにあるのは計算資源を提供するだけ。その構造なら、安心感にもつながります。
さらに、リトル・バディは単なる“ミニ版ビッグ・ブラザー”ではありません。むしろ、自分自身が育てていく存在であり、自分だけのクセや世界観が投影されていく。写真や文章、声、会話の履歴を通して、自分らしい「小さなAI」をつくる感覚です。ビッグ・ブラザーがグローバルな知識や強大な演算力を持つ一方で、リトル・バディは「私」固有の記憶と感情を持つ。両者をうまく使い分けることで、AIがますます賢くなっていく時代にも、「私」に軸を持つことができるのではないかと考えています。
ユーザー自身が、自分のリトル・バディを手元で育てるのですね。
孫 そうです。AIがますます強力になる時代だからこそ、自分の側に立つ相棒的としてのAIを持つことが重要になると思っています。万能ではないけれど、自分の人生を記憶し、感情に寄り添い、必要な時だけ世界最大の知能を呼び出す。その構造こそが、AIと人間が本当に協働する未来をつくると信じています。
「便利なAI」を追求する動きが加速していますが、違う方向のAIに期待しているんですね。
孫 シリコンバレーでは、毎週のように新しいスタートアップが「ちょっと便利なAI」を掲げて登場しています。営業の効率化ツール、メール自動整理、会議文字起こし、画像生成の小規模アプリ……。登場直後は話題になっても、結局はGoogleやOpenAIなど巨大プラットフォーマーに買収されるなどして、類似機能が本体に組み込まれて消えていく。“ブラックホール”の近くでどんなに良いものをつくっても、あっという間に吸い込まれてしまうんです。
だからこそ、もっと遠い軌道に「価値」を置く必要がある。単なる便利さではなく、人間とは何か、僕たちは何を良しとするのか。「ちょっと便利なAI」には寿命があるけれど、価値観の問いを軸にしたプロダクトは、長生きする可能性があると考えています。
AIに「本当のクリエイティブ」はできない
普段はどんなふうにAIを活用していますか。
孫 1日中「壁打ち」していますね。生成AIで1つのトピックを同じスレッドで掘り続けながら、仲間とは人間同士でも議論します。AIには“広く速く”案を出してもらい、人間で“狭く深く”絞り込むイメージです。
例えば、「ChatGPTに聞いたらこう出てきたけど、自分もこっちの方がいいと思う。どう思う?」と仲間に投げる。すると「なるほど、でもこういう見方もあるよね」と返ってきて、もう一度AIに聞く。「じゃあ、こういうことかもしれない」「なるほど、これ思いついた」とまた気づく。この繰り返しです。AIと仲間、それぞれと対話しながら考えることで、自分だけでは届かない視点を発見できる。僕はそんな感覚で、ずっと壁打ちを続けています。ちなみに、仲間もそれぞれ自分のPCで、生成AIと議論しています。
最終的には、どんなふうに意見をまとめるのですか?
孫 AIは「A・B・C、いずれもできます」と列挙してくれる一方で、「どれを良しとするか」は価値判断であり、そこに正解はありません。提案の長所や短所を美しく整理することには長(た)けているAIですが、価値観を「装う」ことはできても、「感じる」ことはできない。そこに「説得力」を持たせることは、人間にしかできません。
クリエイティブな制作には上下関係はなく、価値観同士のせめぎ合いです。最後に「私はこうしたい」と旗を立てる役割は、AIがどれだけ進化しても人間からなくならない。そうした意味では、「本当のクリエイティブ」はAIにはできないのです。
「プロンプト」にこだわる時代はもう終わった
日常的にAIを駆使している泰蔵さんが改めて、「これは便利!」と思った使い方はありますか?
孫 「画像の読み取り」ですね。チャットのログ、あるいはスライドのキャプチャーを生成AIに1枚渡して、「このトーンで資料をつくって」と依頼すれば、体裁・文体・分量まで整えてくれる。もはや、細かなプロンプト術にこだわる必要はありません。画像は文章よりも情報密度が高いので、構成・レイアウト・語り口の空気感まで含めて“読み取らせる”のがコツです。プロジェクトに関する入り組んだ図解を見せても、「これが長期記憶システムですね」「このピンクの箇所は未実装領域ですね」と驚くほど的確に返してくれます。
日常の例でも、スターバックスのカップ写真からサイズ・残量・概算カロリーまで推定する。世界中のやり取りが強化学習を押し上げて、AIの自問自答はほぼ一瞬で収束する段階に入りました。だからこそ、人が担うべきは問いの設計と、価値判断なんです。理解力の高い相棒に、何を問うかで結果を左右するのです。
「AIネイティブ世代」がつくる新たな価値
これからは、子どもの頃からChatGPT、あるいはパーソナルAIなどに触れ育つ「AIネイティブ世代」も誕生しそうですね。
孫 自分専用の「ドラえもん」を全員が持つ時代になります。AI同士が連携し、「私」が気づく前に「欲しかったのはこれでしょ?」と成果を運んできてくれる。すると、人はより形而上の探究——哲学、芸術、倫理、物語——に時間を使えるようになるでしょう。古代ギリシャの市民が文化を花開かせたような現象が、10億人規模で起きる可能性があると考えています。例えば、紀元前5世紀頃のアテネの人口は約17万人、スパルタでも8万~9万人ほどだったと言われています。それでも哲学や芸術の基盤をつくった。もし同じことが現代に起きれば、桁違いの規模で文化や知のフロンティアが開かれていくはずです。
ものすごい時代になりそうです。
孫 だからこそ、僕が『冒険の書』で書いたようにこれからは「好きなことだけやっていけばいい」と思うんです。裏を返せば、好きでもないことをやっても、何の通用もしない。AIの方がはるかに上手にできてしまうからです。嫌々やっていることには意味がなくなっていく。
よく「我慢してやることで忍耐力がつく」と言われますが、果たしてその忍耐力はどこで使うのでしょうか。例えば、PCのキーボードをひたすらたたいて指を鍛えても、その「鍛えた指」自体に意味はない。本当にそれが自分の好きなことだったのか、常に問いかける必要があります。楽しくないのなら、やめてしまえばいい。
AIネイティブの世代は、それを感覚的に理解するでしょう。だから最初から「好きなこと以外はやらない」という態度が当たり前になっていく。一方で、僕らが生きてきた時代はそうではなかった。「嫌いなことをやらなくていいのだろうか」「好きなことだけやって大丈夫だろうか」と不安になる。しかし、AIネイティブ世代にとっては、その不安自体が理解できない感覚になるかもしれません。
見方によっては「わがまま」とも取れそうですが、その感覚も変わってくるでしょうか。
孫 少し余談ですが、僕が子どもの頃、「真面目」という言葉は皮肉のニュアンスで使われていました。「君は真面目だね」と言われると、ばか正直に近い意味で、あまり褒め言葉ではなかったんです。でも今では「真面目」は立派な褒め言葉に変わっている。時代によって、言葉の価値は簡単に逆転するんです。
ただ、この変化の激しい時代に、真面目に言われた通りにやっていたら、「悪いけど、もういりません」と言われてしまうかもしれない。例えば、必死に単語帳をめくって「いい国つくろう鎌倉幕府」と暗記したけれど、鎌倉幕府はかつて「1192年」と習ったものの、今では1185年成立説が有力視されていますし、源頼朝の肖像画も「実は頼朝本人を描いたものではなかった」と判明しました。そんなことを真面目に覚えていても、損をした気分になるわけです。
かつて「わがまま」は悪い意味で使われていましたが、これからはむしろ肯定的に捉えられる可能性の方が高い。僕は、そういう社会の方が楽しそうだなと思います。
文/金澤英恵 写真/小野さやか 編集/中川ヒロミ
数々の問いを胸に「冒険の書」を手にした「僕」は、時空を超えて偉人たちと出会う旅に出ます。そこでわかった驚きの事実とは――。
起業家・孫泰蔵が最先端AI(人工知能)に触れて抱いた80の問いから生まれる「そうか! なるほど」の連続。迷いが晴れ、新しい自分と世界がはじまります。
孫泰蔵(著)/あけたらしろめ(挿絵)/日経BP/1760円(税込み)


