TBSドラマ日曜劇場で注目を集めている『ザ・ロイヤルファミリー』。そのリアルな描写はどのように生みだされるのでしょうか。今回は原作者の早見和真さんに、執筆前の取材方法や人間関係の構築、作家を目指した理由などを伺いました。
「取材力」で生み出す小説
前回は『 ザ・ロイヤルファミリー 』誕生の経緯をご紹介しました。今回は物語に登場する馬主・山王耕造についてお話ししたいと思います。
『ザ・ロイヤルファミリー』を読んだ方や、ドラマを見た方から、「山王耕造のモデルは故・関口房朗さん(人材派遣業のベンチャーセーフネット元会長で、『フサイチ』の冠名で知られた馬主)でしょ?」と言われることがあるのですが、結論から言うと山王耕造に実在のモデルはいません。
ただ、外見は特捜のエースから弁護士に転身し、裏社会の人物を弁護して「闇社会の守護神」といわれた田中森一さんをイメージしました。僕は25歳のときに半年間ぐらい密着取材をしたことがあり、そこで触れた田中さんの生き方、孤独感、ずんぐりむっくりとした容姿、「望むものすべてをつかみ取れそうなほど分厚い手」などはイメージをお借りしています。
内面に関しては、十数名の馬主さんに会って話を聞いて作りあげました。僕の作品は『ザ・ロイヤルファミリー』だけでなく、いろいろな方へ取材したことを生かして書くことが多いです。『アルプス席の母』や『八月の母』もそうでした。
おそらく僕は人と会って話をするのが小説家としては得意なほうで、自分でいうのもなんですが「人たらし」の一面があります。1時間という限られた取材時間で相手に「こいつ、面白いな」と思ってもらえるかどうか。執筆中に疑問点が出てきたとき、直接問い合わせできる関係性を築けるかどうかが自分の仕事です。
『ザ・ロイヤルファミリー』の取材でも話をうかがった多くの方が、次の馬主さん、次の調教師、次のジョッキーというふうにつないでくださって、いざとなったらすぐに話を聞くことができる人間関係をつくることができました。
ただ、取材後すぐに書き始めると、そこで聞いた特定の人物に寄ってしまうという思いがあり、半年ぐらいかけて印象に残った言葉や人生観を煮詰めて人物像をつくりあげていったという感じです。取材のメモや音声を録音してそれを起こすこともしませんでした。「山王耕造」という人物もこうしてできあがったキャラクターです。
『ザ・ロイヤルファミリー』では、最後に山王耕造の職業をどうするか迷い、僕の担当をしてくれている税理士に「ワンマンで豪腕をふるう馬主がいるのは、どの業界が多い?」と聞いたら、「人材派遣業だね」と即答でした。そのときはまだ、僕は関口房朗さんが人材派遣業の経営者だとも知らなかったんです。
僕は「馬主」という人たちに、小太りで、金歯、口取り式(レース勝利後の記念撮影)で派手な女性を連れているといったうがったイメージを持っていました。
実はこの姿、僕が大学時代に見ていた馬主そのものなんです。僕にとっては命にも等しい数千円の馬券を外し、涙ながらに足を運んだウィナーズサークルで口取り式に臨んでいたのが、まさにそんな馬主でした。当時は逆恨みと理解もせずに、僕たち若者から搾り取ったお金でいい思いをしているオジサンというイメージを持ちました。
そんなこともあり、当時の僕にとって馬主は「許せない」という憎しみの対象でしたし、正体のよく分からない存在でもありました。
だからこそ、知りたい、書きたいという気持ちが芽生えたのですが、実際に執筆にあたっていろんな馬主さんにお目にかかり、話を聞くうちに、彼らが抱えている寂しさや人への不信感が見えてきてしまったんですよね。究極的には馬のことしか信用していないと感じさせる人もいました。「馬はレースで負けるし、一番裏切るんじゃないですか?」と尋ねると、馬は一生懸命走っているだけで充分。それだけで裏切ったことにはならないって答えるんです。『ザ・ロイヤルファミリー』内での山王耕造のイメージの変遷は、僕自身の馬主に対する見方の変化と合致している気がします。
僕は2008年の6月25日に小説家デビューし、以後は競馬をやめていました。自分の人生をすべて賭けて本を書いて、世に出すことに勝るギャンブルってないなと思ったんです。そこですっぱりと競馬から足を洗っていたんですけどね…。『ザ・ロイヤルファミリー』を書くに際して、意図的にまた始めたところから今日までずっとやっています(笑)。
怪物・高橋由伸に打ち砕かれた「無敵感」
僕はごく普通の家庭で育ちましたが、野球推薦で桐蔭学園中学に入学しました。神奈川県のいわゆるお坊ちゃん学校で、中には父親が馬主という人もいました。一緒に競馬場に連れて行ってもらい、そこで目にしていたのも「ザ・昭和」な馬主たちでした。
その後、エスカレーター式に進学する桐蔭学園高校の2歳先輩に高橋由伸さんがいました。
僕は野球少年で、小学6年生の時に身長が180センチ近くあり、投手として130キロのボールを投げていました。噂を聞いてプロ野球のスカウトが見に来たという噂もよく聞きました。そこで神奈川県有数の強豪校である桐蔭学園が声をかけてくれて、中学から入学することになったのです。
中学2年生になった時に「高校に高橋由伸という怪物が入学したらしい」と聞き、高校野球部が練習するグランドに見に行ったんです。
そこで目にした「怪物」の姿は衝撃的でした。実力を見せつけられ、傷つき、「自分は圧倒的に偽物だ」と突きつけられてしまった。野球少年だった僕の人生はあの時点で終わった。今、小説を書いている理由の半分ぐらいは高橋さんと出会ったことにあると思っています。
「あの人がどれだけすごかろうが、自分もプロになればいい」とは当時の僕には思えませんでした。「野球を簡単に諦めてしまった」という悔いを、同じように憧れた小説の仕事に持ち込みたくないという思いもずっとあります。
野球の道を諦めた僕は、大学時代は誰よりも本を読んだと自負しています。『 百年の孤独 』(新潮文庫、ガブリエル・ガルシア=マルケス著)は3回ぐらい読み、文章を書き写しました。文章の世界に引き込んでくれたのは沢木耕太郎さんの『 テロルの決算 』(文春文庫、リンクは新装版)。小説、ノンフィクション、学術書に漫画…と、ありとあらゆるジャンルの作品を読みました。
そこからは書く仕事をしたいと思い、新聞記者を目指しました。しかし、新聞社から内定を得たのに、山のように単位も残してまた留年してしまった。内定を取り消されて腐っていた頃、知人の集英社の編集者が「小説を書いたら」と勧めてくれたのです。
つい最近、彼に「なぜ、小説を書くように言ってくれたのか」を聞いたら、「早見くんの家に遊びに行ったとき、こんなに本を読んでいるんだと感心した。なおかつ、本のラインアップがよかった」と教えてくれました。「記者志望と言っていたけれど、新聞記者よりも、物語に生かされる人間だと思った」とも。
余談ですが、僕も誰かの家に遊びに行くと、つい本棚を見てしまいます。本棚と人間性はリンクしていますよね。ある作家の全集を前面に置いている人間は総じて見栄っ張りという持論が僕にはあります。
当時、僕の屈折の原点が高校野球にあると話したら、その編集者は「それを小説に書いてみなよ。結局、書いていく人間は書くことでしか人生が切り開かれないから。書いている間はたまに会社に顔を出して。自分が責任を持ってアルバイト料を出すから」とまで言ってくれました。
僕としても「もう、これが人生最後のチャンスだな」と覚悟し、1年半かけて書いたのがデビュー作の『ひゃくはち』です。
今になって振り返ると、当時、その編集者は35歳ぐらい。そんな若い人が25歳の留年中の学生に助言しているというなんだか妙な話です。でも、その後に『ひゃくはち』でデビューが決まり、人のご縁って素晴らしいな、と思います。
前回も言いましたが、僕は書き手としては才能がない。
「そんなことないですよ」と言ってくださる方もいますが、どんな称賛も自分を支えてはくれません。他の天才小説家が家から一歩も出ずに書き上げられるところを、僕は人に会い、たくさんの言葉を引き出して書くしかないと思っています。
取材・文/三浦香代子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/鈴木愛子




