このコラムでは日経BPのメディアを率いる編集長に聞いたおすすめ本を紹介します。「専門性×編集長 の人となり」が垣間見えるセレクト、お楽しみください。今回は 日経ビジネス電子版 の原隆編集長です。

画像のクリックで拡大表示

●『レポートの組み立て方』(木下是雄著/筑摩書房)

 筆者が高校生の頃、「人間学」という授業があった。この授業で推薦図書として渡されたのがこの 『レポートの組み立て方』 という本だ。大掃除や引っ越しといった危機を乗り越え、30年たった今でも自室の本棚に大切に並べている。

 本の初版は1990年。著者は物理学者で学習院大学名誉教授だった木下是雄氏だ。文系の学生に向けてレポートの書き方をまとめた本である。今でも時々、この本を開く。ぱらぱらとめくると高校生の自分が引いた赤線に目が留まるが、決まって読み返すのは本に出てくるこの例文だ。

『レポートの組み立て方』
『レポートの組み立て方』

①ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった
②ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった

どちらの文が事実の記述か、もう1つの文に述べてあるのはどんな意見か、事実と意見とはどう違うか。


 これは著者の木下氏が米国から帰国した友人に見せてもらった米国の小学校5年生の国語の教科書に記されていたものだという。そして、教科書にはこのような解説が書かれていたそうだ。

 「事実とは証拠をあげて裏づけすることのできるものである。意見というのは何事かについてある人が下す判断である。他の人はその判断に同意するかもしれないし、同意しないかもしれない」

 1970年代の米国では小学生から「事実」と「意見」を切り分ける教育をしていたということになる。自身の経験を振り返ると、小学生の頃の国語の課題は感想文をはじめとする、主観的で、情緒性を育む目的の作文が多かったように思う。

 著者は従来の日本の国語教育の重要性を認めつつ、言葉によって事実や状況を正確に伝え、自身の考えを整然と主張する言語技術の教育・訓練も必要ではないかという主張を展開している。

 なぜ、この本が現代のビジネスパーソンにも有用かというと、世の中において「何が事実で、何が事実でないのか」を問う声が日増しに高まっていると考えるからだ。

 背景にあるのはツイッターをはじめ、数多くの人が情報を発信できるツールが生まれたことにある。巷では「フェイクニュース」や「ファクトチェック」といった言葉が飛び交っているものの、根底で必要とされるのは事実と意見を切り分ける力だと著者は考える。自分と異なる意見を事実と異なると主張したり、自分と似通った意見を事実と信じ込んだりすることが世の中でいかに多いことか。

   この本はレポートの書き方を通じて、事実と意見の切り分け方を教えている。だが、同時に世の中の情報を読み解く力も教えてくれるはずだ。

●『植物はなぜ動かないのか 弱くて強い植物のはなし』(稲垣栄洋著/筑摩書房)

『植物はなぜ動かないのか』
『植物はなぜ動かないのか』

 「日経FinTech」という金融とテクノロジーの専門誌を2016年に創刊してしばらくした頃、ある金融機関からハッカソンの審査員の依頼があった。ハッカソンとはエンジニアなどが集まり、短期間で集中的に開発するイベントのこと。詳細は省くが、そのハッカソンでは極めてマニアックな課題が参加者に与えられており、実践的な催しだった。

 参加したのは現役の大学院生が多かった。その中のひとりのプロフィールに目が留まった。大学院で金融とは全く異なる植物の研究をしていたからだ。「あなたは植物の研究をしている。金融業界のハッカソンに参加して何を感じたか?」と問いかけた。

 彼の回答はこうだった。「植物は動かないが、人は動く。それが最も違う点で最も難しかった点だった」。彼の言葉がなんとなく脳裏にこびりついたまま、その週末に本屋で見つけたのがこの本 『植物はなぜ動かないのか』 だ。

 あとがきを見る限り、中学生や高校生といった若い世代に向けたものらしい。喫茶店に入って一気に読んだ記憶がある。だが、その後、何度も読んだ。短期間で何度も読み返す本は自分の中では珍しい。読むたびに、全く異なる感想をもたらしてくれる珍しい本だった。

 最初に読んだときは、植物の生存戦略が企業の生存戦略かのように映った。植物の生存戦略の成功例として「CSR戦略」という分類があるそうだ。「C」は「Competitive(競争型)」で、とかく競争に強い種の生存戦略を指す。競わせれば勝つという、弱肉強食を地でいく強い種の戦略だ。

 では、弱い種は滅びる運命かというと植物の世界ではそうではないという。

 「S」は「Stress tolerance(ストレス耐性型)」で、生育に不適な環境要因でこそ力を発揮する種の生存戦略だ。他が生きられない環境、例えば砂漠のサボテンや標高の高い山で生き延びる高山植物が分かりやすい。「R」は「Ruderal(攪乱適応型)」。環境の変化にめっぽう強い種の生存戦略を指すという。今の勝者は今の環境下においての勝者であって、環境が変わった後も勝者で居続けられるとは限らない。

 動かない植物に生存戦略があるように、企業にもまたさまざまな生存戦略が存在する。

 次にこの本を読んだとき、この本はダイバーシティを深く考える1冊に姿を変えていた。本の冒頭では「Hatena(ハテナ)」と属名がつけられている、動物から植物へと変化を遂げてしまう種が登場する。植物的な生き方と動物的な生き方をしているこの種は、発見された当初、あまりにも不思議すぎて「はてな」という愛称で呼ばれており、そのまま属名となったそうだ。

 本来であれば一切境界線のないはずの自然界に、人は理解しやすいように線を引いて分類している。男性、女性と見た目だけで線引きをしてきたことで無理が生じ、「LGBTQ」という言葉が出てきたことからも分かるように、本来であれば境界線がないところで人は便宜上の区分を設け、設けられた側は窮屈に感じる。植物と動物の境界線すらあいまいな世界で、人に線を引くことの愚かさをこの本は教えてくれる。

 身近な植物について考えを巡らせることで、自らの生き方や人間社会を考えるきっかけになってくれるはずだ。

● 『仕掛学 人を動かすアイデアのつくり方』(松村真宏著/東洋経済新報社)

 現在のデジタル庁が挑んでいる課題はとてつもなく大きい。自治体ごとにばらばらにつくられたシステムをどう共通化していくか。コロナウイルス禍で日本のデジタル後進国ぶりが改めて浮き彫りとなり、この難題を解決すべく粛々と作業が進められている。

 自治体とIT。このテーマを考えるとき、筆者が今でも思い出す人がいる。今から20年ほど前、自治体のIT化を取材していた筆者は、ある県知事のもとへよく通った。その県は全国の自治体の中でも行政サービスのIT化で他の都道府県と比べて頭1つ飛び抜けていた。だが、あるときその県知事が筆者に言った言葉が忘れられない。「本当にITが必要なのか。都度、是々非々でそれを見極める必要がある」。

 当時、多くの自治体はITベンダーに多額の税金を投じてシステム開発を進めていた。電子行政という名の下、ITベンダー業界はバブルの様相を呈していた。その県知事はこうした状況に警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。この県知事の何気ない言葉をきっかけに、筆者はITはあくまでも課題解決のための選択肢の1つであり、決してIT化自体を目的にしてはならないということを強く意識するようになった。

 この思いをさらに膨らませてくれたのが 『仕掛学』 という本だ。著者は大阪大学大学院経済学研究科で教授を務める松村真宏氏で、世の中の数多くの“仕掛け”を収集している。なぜ、地面に斜めに線が引かれているだけで人は自転車をきれいに止めるのか。なぜ、男子トイレの小便器に的をつけると汚れが減るのか。

 人が知らず知らずのうちに動かされる「仕掛け」の事例を多く紹介しつつ、その設計と効用について触れている。驚くべきは、その多くの仕掛けにコストがほとんどかかっていないこと。にも関わらず、目的となる課題を見事に解決している。

 テクノロジーの進化が著しい現代だからこそ、目の前に課題が立ちはだかるとすぐにテクノロジーに頼りたくなるもの。この本は、一度立ち止まり、考えることの重要性を教えてくれる。

 DX(デジタルトランスフォーメーション)に出遅れた日本だが、無駄な投資を繰り返す余裕はもはやない。目的は何か、その上で取るべき手段は何か。それらの選択肢を異なる観点から広げてくれる1冊と言える。

イラスト/shutterstock イラスト加工/髙井 愛



  日経ビジネス電子版 は、日経ビジネスが運営するビジネス情報サイトです。企業のトップやリーダーに向け、経営・経済に関するコンテンツを平日毎日提供します。編集部がおすすめするデジタルブックの読み放題サービス「日経ビジネスBOOKS」も始まりました。毎月1日に、新しいデジタルブックを追加します。この他、記事やオンライン/オフラインのイベントなどが連動する「日経ビジネスLIVE」には著名な経営者や識者をはじめ、注目の人物が登壇します。