『LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる』 の監訳者でエール取締役の篠田真貴子さん。無類の本好きの篠田さんの本棚には、数々の引っ越しをくぐり抜けて残っている、子どもの頃から大切にしている1冊の本がある。それは、児童文学の『モモ』。「改めて読み返すと、主人公のモモは、素晴らしい『聞き手』」だったんです」。いったいどういうことでしょうか?

「聞く力」を発揮するモモ

 私が紹介したいのが、児童文学の 『モモ』(ミヒャエル・エンデ著、岩波少年文庫) です。

 この本は私が6年生の終わりごろに買ってもらった本なので、1979年(昭和54年)、1980年(昭和55年)頃の本でしょうか。家族でお出かけをして、「本を買ってあげるよ」ということで買ってもらったような記憶があります。今はもうこの箱入りのものはなく、岩波の少年文庫から出ているようですね。

 この本は、度重なる引っ越しをくぐり抜けて残っている一冊で、本棚の中の神棚的な所に並べてある永久保存したい本です。

当時から大切にしている箱に入っている『モモ』を持ってきてもらった
当時から大切にしている箱に入っている『モモ』を持ってきてもらった

 もしかしたら、子どもの頃の愛読書というのは、自分の芯を捉えている本だったりするのかもしれません。もちろん、昔好きだった読んだ本を改めて読み返してみたら、「こんな本だったっけ?」とがっかりしてしまうケースもあると思いますが。この『モモ』のように新たな発見があることもあるのも本のおもしろさです。

 表紙に「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」とあるように、この本のテーマは「時間」です。

 私もずっと、そう思っていました。しかし、3年ほど前に改めて読み返したら、主人公のモモが素晴らしい「聞き手」として描かれていることに今更ながら気づいたのです。

 家族もいなければ身よりもないモモは、町外れの廃墟となった円形劇場の一角に住みつきます。モモは特技があるわけでも、とりたてて頭がいいわけでも、気の利いたことが言えるわけでもありません。

 ですが、何かがその町で起こったとき、みんなが「モモのところに行ってごらん!」と言うほどなくてはならない存在でした。いったいモモはなぜ特別な存在だったのでしょうか。

 本の初めのほうで、モモについての人物描写がされている部分を読んでハッとしました。そこには「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした」とあるんですよ。

 モモはいい考えを引き出すようなことを言ったり、質問したりするわけでもなく、ただ、注意深く聞いているだけ。でも、モモに話を聞いてもらっていると、いい考えが浮かんできたり、自分の意志がはっきりしてきたり、勇気が出てきたりするのだと書かれています。

 これは、まさに「聞く力」そのものです。

「この一節を読んだとき、ハッとしましたね」
「この一節を読んだとき、ハッとしましたね」

 私が監訳した『LISTEN』にも、聞く力の効能として出てきますね。私が子ども時代にこの本を読んでいたときには、「モモには不思議な力があるんだな」としか思っていなかったので、大人になって読んだとき、こんなテーマだったんだと改めて驚きました。

「聞きなさい」の本当の意味

 「優れた聞き手としてのモモ」を意識しながら、改めてこの本を読んでいくと面白いことに気づきます。

 相手の話にじっくりと耳を傾けるモモの姿が何度も繰り返し出てくるのです。子ども時代には分からなかったのですが、この本は「聞くこと」をテーマにした本でもあったのです。

 物語のあらすじは、「モモが時間どろぼうからみんなの時間を取り返す」といったファンタジーです。ただ、大人の視点で読み返すと、モモは「聞く力」だけで問題解決を行い、リーダーシップを発揮しているようにも読めます。

 本の中に、ある印象的な場面があります。それは、以前はゆっくりとおしゃべりを楽しんでいた食堂のおじさんが、時間どろぼうのせいで、回転率の高いカフェテリア方式のレストランの経営者となってしまったシーンです。おじさんは、とても忙しくてモモと話をする時間がとれません。

モモはこのとき、「聞く力」を発揮するんです。
モモはこのとき、「聞く力」を発揮するんです。

 おじさんは、お盆に食べ物を乗せて並んでいる人たちの会計に忙しくしています。モモはおじさんと話をするため、並んでは一言二言話し、また列の後ろに並び直す、ということを何度も何度も繰り返して少しずつ話を聞き出します。モモが、今何が起きているのかを理解しようと、懸命に「聞いて」回っているのだということが分かるシーンです。

 また、時間どろぼうに取り囲まれたモモが脅されるという場面があります。そのとき、モモは寒さに凍え、もうろうとなりながらも、勇気を振り絞って拒否をはっきりと口にします。

 私はこの場面で、『LISTEN』にあった「『聞きなさい』と言われる話は『会話』ではない」という一節を思い出しました。

 私たちは「聞く」ということと「命令に従う」ということとを混同しがちです。「言うことを聞きなさい」は「命令に従いなさい」と同じ意味であり、ほんとうの意味で「聞く」こととは異なります。

 モモは勇気を出して、振り絞るようにしてノーと言いました。モモは本当の意味で「聞き」続けたことで「仲間を助けたい」という自分の本心に気づき、それを行動に移せるまでに成長したのです。友達をつくるのも、敵を倒すのも「聞く力」でやってのけたのがモモなのです。

まさか子どもの頃から大切にしていた本と『LISTEN』が根底でつながっているとは
まさか子どもの頃から大切にしていた本と『LISTEN』が根底でつながっているとは

「聞く」ことは「自分の時間を取り戻すこと」

 当然ながら、作者のミヒャエル・エンデは、「聞く」ということがどういうことなのか、分かって書いているわけで、世界的な児童文学の名作にこんな視座があったことを再発見し、非常に驚きました。

 作者は「時間を自分たちのものとして取り戻す」ということと、「聞く」ということが、かなり近いところにあるものと捉えていたのかもしれません。

取材・文/井上佐保子 構成/中野亜海(日経BOOKプラス編集部兼第1編集部) 写真/山口真由子