2025年3月に「サステナビリティ開示基準」が公表されました。これは、これまでも上場企業に開示が求められていたサステナビリティ情報を、今回作成された基準にのっとって開示しなければならなくなるものです。早くも2026年度にも適用が義務化される予定で、企業は早期の対応が求められます。情報開示をすることで、企業価値は上がるのでしょうか。そうでなければ何のための開示でしょうか。基準の設定にも関わった著者が解説。『日経文庫 サステナビリティ基準がわかる』から抜粋・再構成してお届けします。
情報開示をすると企業価値は上がるのか
「情報を開示すると企業価値が上がるのですよね」とは、サステナビリティ情報開示に関わる人からよく聞かれる言葉です。「情報開示をいかに企業価値向上につなげるかが大事だ」という言い方がされることもあります。しかし、基準にのっとって有価証券報告書を作成してきた人からすると、この言葉には少し違和感があるかもしれません。資本市場に居続けるために情報開示は必須条件ですが、開示の仕方によって企業価値を上げ下げできるのでしょうか。
将来のキャッシュ・フローを判断する
情報開示をすると企業価値が上がるのかは、奥の深い問題です。それはまず企業価値とは何かという問いと関わります。もし企業価値を「企業の経済的価値」と捉えるなら、市場で評価された株式の価値の総額、すなわち時価総額か、それに負債総額を加えたものということになるでしょう。その値は、理論的には企業が生み出す将来キャッシュ・フローの総額を資本コストで割り引いた現在価値に等しくなるはずです。
将来のキャッシュ・フローを左右するのは企業の実際の活動です。情報を開示したからといって、キャッシュ・フローが増えたり、減ったりするとは思えません。ただし、十分な情報開示がなければ、将来のキャッシュ・フローを的確に予測したり、評価したりすることができませんから、投資家は情報の開示を求めます。情報が不十分な場合には、投資家がそれをリスクと捉えて株価を低く評価するディスカウントが起こります。
気候変動への対応なども企業価値向上になりうる
例えば気候変動等に関わるリスクと機会、ガバナンスやリスク管理の状況などは、将来のキャッシュ・フローを左右する情報です。それらの情報を開示することで企業と投資家の間の情報格差を埋めることは、市場で適正な評価を得るのに役立ちます。それは、厳密に言えば企業価値を高めるというより、市場の評価を本来の企業価値に近づけることかもしれません。ただ、将来のことは予測に過ぎませんから、適切な開示によって投資家の期待が高まり、株価などの市場の評価が上がることを「企業価値の向上」と呼ぶというのも一つの考え方でしょう。
一方、企業の価値はもっと広く、社会的な価値や存在意義があるという見方もあるでしょう。例えば雇用の維持や働きやすい職場環境、従業員の生活や成長の場、豊かな生活や文化の創造、地域社会への貢献、脱炭素、自然との調和など、多様な側面が考えられます。それらも市場で正しく評価され、株価に織り込まれるべきだという意見もあるかもしれません。
それは、消費者や投資家など、誰かが、その社会的価値に対してプレミアムを払うことを意味します。サステナビリティ情報の開示を企業価値向上につなげると言うとき、このような観点から市場での評価を高めることを意図している場合もあります。情報をきちんと開示して説明すれば市場の評価を高められるというのは、何ら義務のない中で企業に自主的な開示を促すためのロジックだったと言ってもいいでしょう。
気候変動の進行がビジネスに与える影響は計り知れません。この課題への取り組みを有価証券報告書の中で基準にのっとって開示することが、2026年度から一部義務化される予定です。本書は最新の基準について、基準の開発に関わった著者が解説します。
阪智香・水口剛著/日本経済新聞出版/1320円(税込み)

