地球上に約800万種存在するとされる生物の共通点、それは例外なく死ぬということ。生物の存在を「死」を通じて解き明かす、生物学者の小林武彦氏による『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)が16万部を超すヒットとなっている。執筆の背景を聞いた。[日経クロストレンド 2021年12月3日付の記事を転載。一部情報を更新]
──2021年4月に刊行された『 生物はなぜ死ぬのか 』は、科学を扱う新書では異例の10万部超(編集部注 22年6月時点で16万部超)のヒットとなっています。多くの人に読まれた理由は何だと思いますか?
このようなタイトルの本が、なぜ売れたのでしょうか。私にも謎です(笑)。1つ考えられるのは、人は普通、自分がどれくらいの年齢まで生きて死ぬのか、なんとなく見通しを立て、そのゴールに向かって一定のペースで近づいていくような感覚で生きています。それがコロナ禍で、ゴールの方が急に向こうから近づいてきたように感じたのではないでしょうか。多くの人が改めて「死」を意識したことで、本書を手に取ってもらえる機会が増えたのかなと思います。
実は『生物はなぜ死ぬのか』は当初、生物の教科書のような本にしようと構想していました。というのも、私は大学で遺伝学を教えているのですが、学生たちを見回してみると、生物学専攻の学生さんですら、高校時代に生物を学んだことのない人が驚くほど多い。高校で理科を選択する際、受験に有利とされる物理と化学の組み合わせを選ぶのが定石だからです。けれど本当は、生物学こそ若い頃に勉強してほしい科目なんです。この先の社会のためにも、若い感性で環境問題や生物多様性に興味を持ってもらいたい。そこで、生物学を啓蒙する教科書のような本にしようと、当初は科学の入門書シリーズ「ブルーバックス」から出す予定で書き始めました。本書の最初のあたりには、その雰囲気がやや残っています(笑)
生物学の王道の一つは発生学です。卵からオタマジャクシになり、カエルへと変化する。実にドラマチックですが、そのように、普通は発生から始まる生物学を、逆に死の側、ゴールの方から遡って考えていく内容にすれば、若者だけでなく「老い」や「死」といったテーマに関心のある、幅広い層に読んでもらえるのではないかと思いました。なんといっても、親も自分も子供も、1人の例外もなく生まれたら必ず死にます。ゴールを見定めるのは、何事においても大切ですから、そこを掘り下げていけば、多くの人にとって意味のある本になるのではないかと。書き進めるうち、「これは一般向けのシリーズから出したほうが読まれそうだ」と、講談社現代新書から刊行することになりました。
──死なない人はいないという点では、全人類共通の関心事ですね。
人類も含め、この地球上には約800万種の生物がいるといわれていて、そのうち名前が付いているものが約200万種。実際には極小の虫や腸の中にいる細菌類など、種の同定が難しいものもあり、約800万種という数も推定です。ただし、断言できるのは、生物である以上、それらはすべて死ぬということです。
私たちは普通、死を捉えるときには「自分はなぜ死ぬのだろう?」と主体的に考えますよね。けれど、生物学的な観点から見ると、死は「個人の終わり」ではなく、生命全体の連続性や進化のために必要不可欠なものであり、原動力なんです。死ぬものだけが世代交代によって遺伝情報を変化させ、「多様性」を生み出し続けることで、環境の変化が起きても生き延びられる個体を残せた。「変化(多様性)と選択(死)」の繰り返しこそが、生物を作ってきたわけです。
老化の研究とは、「若返り」の研究でもある
──病気になったり事故に遭ったりしない限り、人間は老化によって死を迎えます。そもそもなぜ老いるのでしょう?
人間の体は物からできています。物は消耗品ですから、時間とともに劣化していくのは避けられません。人間の体で言うと、組織や器官を構成する体細胞は約50回分裂すると、死んでいきますが、お風呂で毎日のように古くなった細胞である垢を洗い落としても、腕が削れて細くなったりすることはありません。それは、幹細胞が常に新たな細胞を作ってくれているからです。しかし、幹細胞も年齢を経ていく中で少しずつ衰えていく。この幹細胞の老化が、個体の老化の主な原因の一つになっています。
興味深いことに、酵母菌のような単細胞の微生物にも、老化とその結果としての死があります。酵母菌の母細胞は子どもを産むたびに老化して約20回産むと死にますが、その老化が始まっている母細胞から生まれた娘細胞はまた20回分裂できます。人間もお母さんの年齢にかかわらず、生まれてくるときは「0歳」ですね。考えてみると不思議ですよね。老化した母細胞から生まれるのに、なぜ、どのように老化のカウンターがリセットされるのか。日々、その仕組みについて研究をしています。ですから、老化についての研究であると同時に、「若返り」の研究でもあるんです。
──不老不死は無理でも、健康で長生きしたいというのは万人の願いです。長寿の条件はありますか?
アフリカの乾燥した地域に暮らす、ハダカデバネズミという種がいます。地面にアリのように穴を掘り巡らし、一生を地下で過ごすネズミです。天敵があまりいないので、多くの個体が寿命を全うできるのですが、体のサイズはハツカネズミと同じくらいなのに、寿命は10倍以上も長い30年と、とても長生きです。
ハダカデバネズミが長生きできる理由を考えてみると、まず彼らはがんになりません。狭いトンネルの中で暮らすのに適した弾力性のある彼らの皮膚には多くのヒアルロン酸が含まれ、このヒアルロン酸に抗がん作用があることが最近の研究で分かっています。穴の中の低酸素状態でも生きることができ、体温が低いので食べる量も少なくていい。実に省エネです。
さらにハダカデバネズミは、ハチやアリなどと同じように、集団の中で高度な役割分担をして生きる種です。女王ネズミたった1匹だけが出産をし、子を産まない他の個体は「巣を守る」「食料の調達」「子育て」など細かく分業しています。それによって仕事が効率化し、老化の原因となるストレスが軽減されます。余暇が生まれ、「教育」や「休息」に費やせる時間も多いので、分業がさらに高度化・効率化して、ますます寿命が延びるというわけです。人間が彼らの生態から得られるヒントは実に多そうですよね。
「空気読めない人」がいることにも意味がある
──若者の間では近年、「親ガチャ」「遺伝子ガチャ」といった言葉が広まり、自分の能力や特性について、貧乏くじを引いて生まれてきたように感じて悩む人もいます。社会的に不利だと思われる特性にも、生物学的観点から見れば意味があるのでしょうか。
人の能力や特性は、その時点での社会情勢や価値観によって良し悪しを判断されがちです。しかし、それが10年後、20年後にも同じ価値観かどうかは誰にも分かりません。例えば、少し前の時代には、コンピューターを扱える人は一部の専門家でしたが、今はスマホをはじめ、とても重宝されています。けれど、それも今後、コンピューターがさらに進化して、例えば声による指示で簡単にプログラミングができるようになったら、特別な能力や技能はいらなくなります。
時代の巡り合わせで、たまたま今は不利と思われる特性も、発揮できる時がやってくる。その時代ごとにニーズは変わっていきますが、常に変わらず重要なのは、様々な特性を持つ人がいることに対して寛容であるということです。「生物多様性」という言葉があるように、生物の世界においても、多様性が豊かであるほど生態系や種が安定して存続していけることが分かっています。
扱いにくい奴だと嫌われることもあるかもしれませんが、集団の中には「空気を読まない」発言をする人や、共感性の乏しい人もいなくてはダメなのです。逆に、全員が共感性のある人間ばかりでは面白い会話にはならない。協調性や共感力の高い人が多いのは良いことですが、そういう人ばかりがそろうと、集団として挑戦的な面がなくなってしまう。超個性的な人が1人いると、その人を皆がカバーしてうまくまとまり、かえって挑戦的で活発な集団になるような例もあります。多様性があってこそ、バランスが取れ、なおかつ進歩するのです。
──現在は気候変動などにより、約800万種の生物のうち、少なくとも100万種が数十年以内に絶滅の可能性がある大絶滅時代であると記されています。環境危機を前に人間の知恵は間に合うでしょうか。
端的に言うと、今の状態では間に合いません。人間はそこまで賢くはない。自分という存在は、過去の多くの死の犠牲の下に成り立った結果であり、自分自身も次の世代にチャンスを与えるべき役割を担っていると、多くの人が思えなければ難しい。今後、かなりの自然災害は覚悟しなければなりません。
いくらAI(人工知能)が発達し科学技術が発達しても、私たちの体は、地球という閉鎖空間で食べて出し、生まれて死ぬ。それだけは変わりません。食べるものがなくなれば死に、出したものを処理できなければ、やはり死んでしまう。冒頭の話に戻れば、だからこそ若い人たちに生物学を学んでほしい。自分たちは38億年にわたる死の繰り返しの中で進化し、その結果として存在している生物の一員である。そういう前提を理解してほしいのです。
──最後に、多くの学問の中から生物学の道を選んだ理由を教えてください。
もともとは海洋生物学に興味があったんです。クジラやイルカはとても頭が良く、エコロケーションと言って、自分で発した音の跳ね返りにより岩の陰にいるサメの存在まで感知する。お互いにコミュニケーションを取り、海藻でキャッチボールをして遊んだりもする。人間とは異なる知性を持つ、彼らのことを研究してみたいと思っていました。
けれど、ちょうど私が大学に入った頃、30~40年前は分子生物学の分野が盛り上がり、急速に色々なことがわかってきた時代でした。遺伝子を研究すれば生命の謎がすべて解けるかもしれない。実際にはそんなに簡単ではなく、今でも分からないことだらけですが、当時はそういう幻想を抱かせるだけの熱気がある分野でした。その面白さに触れて、方向転換をしたのです。でも、今でも海は大好きですね。何しろ私たち生命すべての原点ですから。ほぼ毎週末には海に行き、泳いだり釣りをしたりしています。先週は大きなウツボを見つけましたよ。
この定量生命科学研究所ができる以前は、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)に所属していました。海も近いですし、ずっとここで研究を続けていければいいかなと思っていましたが、今はこの東京大学の研究所まで長距離通勤をしています。私がここに異動したのも、東大出身者が多い研究所の中で多様性が必要とされたからだと思います。同じ環境で学び、同じ環境に長くいる人間ばかりが集うと、どうしても考え方の方向性や価値観が均質化していき、学問の発展上、いいことは何もありません。生物が多様性によって存続してきたように、大学でもどのような組織でも、社会全体にもやはり多様性が必要です。
(写真/髙山 透)





