「データから真実を見抜く力は投資やビジネスにも共通する」。「ひふみ」シリーズを運用するレオス・キャピタルワークス会長兼社長の藤野英人さんがお薦めするのが『マネー・ボール〔完全版〕』。統計データを駆使したチーム改革で、メジャーリーグの弱小球団を強豪に押し上げたゼネラルマネジャーの手腕を描いた傑作ノンフィクションです。
最弱・最貧チームが強豪に激変
3回目は僕が大好きな作家、マイケル・ルイスの 『マネー・ボール〔完全版〕』(マイケル・ルイス著/中山宥訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 。を紹介します。この本はブラッド・ピット主演で映画化されたので、ご存じの方も多いでしょう。
マイケル・ルイスはプリンストン大学で美術史を専攻し、学士号を取得したという異色の経歴の持ち主です。その後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の修士号を得てソロモン・ブラザーズに入社、債券セールスマンとなります。その経験を生かして執筆したのがデビュー作の『ライアーズ・ポーカー』(東江一紀訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)です。
その後もヒット作を生み出し、最近では『最悪の予感 パンデミックとの戦い』(中山宥訳/早川書房)という本も書いていますね。
僕がマイケル・ルイスを好きなのは、独特の視点があるからです。金融業界にいたのですが、資本主義礼賛でもないし、かといって否定派でもない。人間についても、「素晴らしい存在だ」と見るロマンチストでもないし、性悪説にのっとっているわけでもない。
すごく冷静に、ファクトに基づいて物語を描いていくのですが、類いまれな文章力があるために、ぐいぐい引き込まれていきます。その観察眼の鋭さは、金融業界で人間の深層心理に触れてきたからかもしれません。
安打の数よりも重要なこと
『マネー・ボール〔完全版〕』は1990年代末、資金不足のために戦力が低下し、成績も低迷していたメジャーリーグのチーム、オークランド・アスレチックスが舞台です。
そこにやって来た新任ゼネラルマネジャーのビリー・ビーンは、元メジャーリーガーで、体格に恵まれ、足も速く、強打で、かつて将来を嘱望されていました。
でも、選手としてはまったく芽が出ませんでした。それは、なぜか。感情の起伏が激しく、コントロールできなかったからです。チャンスの場面で打てず、グラウンドを去らざるを得なかった。そんな彼が、メジャーリーグの最貧・最弱チームを、金持ちで強いニューヨーク・ヤンキースにも匹敵する強豪チームへと変貌させていくというストーリーです。
では、なぜビリー・ビーンはアスレチックスをプレーオフの常連となるような強豪チームに生まれ変わらせることができたのか。それはデータの真実を突き詰めていったからです。統計の専門家をチームに招き、「セイバーメトリクス」という客観的データから選手を評価する手法を取り入れました。
例えばこの本には、太っていて、足も遅く、ヒットが多いわけでもない選手が登場します。ただ、ものすごく選球眼に優れていて、無駄にバットを振らないからフォアボールで出塁する。足は遅いんだけれども、出塁率が高いから得点率も高いんですね。でも、「あいつは太っているし、足が遅いから役に立たない」と、球団からは評価されていませんでした。
他にも、球は遅いけれどもハートの強さで勝てる投手など、他球団では戦力外と見なされていたような選手たちをビリー・ビーンは安い年俸で獲得します。統計データの噓と真実を見極め、チームを改革していきました。
常識を疑う ファクトを見る
この本のように、「統計データの噓や真実を見抜く力」はビジネスにも投資にも重要です。例えば、選球眼という才能は、投資先を見極める力にも似ている。「太っていて走れないから役立たず」「球が遅いからダメ」といった表面的な材料にとらわれず、真のデータを見抜く力は、企業戦略を分析することにも通じます。
何よりも正当な評価をされていなかった人が活躍する、ドラマチックな逆転が起きる例は人生や投資そのもの。時には常識を疑う、そして疑うだけではなく、奥底に隠されたファクトと数字をきちんと見ようという示唆にあふれています。
最初にこの本を見たときは、「金融ノンフィクションを書いていたマイケル・ルイスが、なぜ野球の本を出すのか」と不思議に思いましたが、読んでみて、野球を題材にした経済本だと分かりました。ストーリーとして面白いのはもちろん、学ぶところが多いのでお薦めです。
取材・文/三浦香代子 写真/鈴木愛子