いまの職場では、厳しいことは言われず、ほめたりやさしい言葉をかけられたりして、いい気分にしてもらえるかもしれないが、力がつかず、心は折れやすく、成長していくのが難しくなっている。これがやさしい時代と言えるだろうか。このような時代には、自分自身で自分を奮い立たせることができる人物しか伸びていくことはできないし、立ちはだかる壁を乗り越えることはできない。新刊『じつは残酷な「ほめ育て社会」』(日経プレミアシリーズ)より抜粋・再構成して紹介します。
鍛えてあげる教育によって凡人でも育てることができた
仕事でも、勉強でも、芸術でも、スポーツでも、何でもそうだと思うが、ほんとうによくできる人は、上司や先輩、先生、コーチなどから頑張るように発破をかけられなくても、自分から率先して頑張る。頑張らずにはいられない衝動が、絶えず自分の中から湧いてくるのである。
そして、もっともっと力をつけようとして、自分のやり方や成果を振り返り、評価し、どこがうまくいっていてどこがまだダメかを見極め、修正し、改善していくことができる。つまり、元々モチベーションが高い上に、メタ認知(編集部注:自分を俯瞰する能力)もうまく機能している。
それに対して、勉強でも、芸術でも、スポーツでも、何につけ今イチな人は、人から発破をかけられないとなかなかモチベーションが高まらず、人から指摘されないと自分のやり方のダメなところや足りないものがわからず、どこをどう修正し、改善していったらいいかがわからない。自分からやる気を出したり、自分の現状を評価しながら改善点を見つけようとしたりしない。つまり、元々モチベーションが低い上に、メタ認知もほとんど機能していない。
そのような人でも、上司や先輩、先生、コーチなどから厳しく注意され、改善するように発破をかけてもらえれば、何とか力をつけ、成長していくことができる。
かつては、そのような厳しい注意や指導が、学校でも職場でも、ごくふつうに行われていたため、元々モチベーションが低く、メタ認知がうまく機能していない人も、周囲からの圧力によって成長していくことができた。
言ってみれば、厳しく鍛え上げる教育ができた時代には、相手が凡人であっても戦力に育て上げることができたのである。
ところが、今の時代、そのような厳しい注意や指導ができなくなったため、凡人は取り残されることとなった。
厳しいことは言われず、ほめたりやさしい言葉をかけられたりして、いい気分にしてもらえるかもしれないが、力がつかず、心は折れやすく、成長していけない。これがやさしい時代と言えるだろうか。
厳しい対応をしてもらえないことによって、かえって厳しい状況に放置されていると言えないだろうか。
自分で自分を奮い立たせる人しか壁を乗り越えられない
厳しく注意されず、鍛えてもらえない甘い環境においては、元々モチベーションが高く、メタ認知がうまく機能している人なら、何の問題もなく伸びていくが、元々モチベーションがあまり高くなく、メタ認知もうまく機能していないような人の場合は、自分を成長へと駆り立てる力が内側から湧いてこないため、停滞し、伸び悩むことになる。
かつてなら、そのような人も周囲から厳しく駆り立てられ、必死に頑張らざるを得なかったのだが、今ではそのような周囲からの圧力は期待できない。
学校の先生も、職場の上司や先輩も、傷つけてはいけない、ほめないといけないといった時代の空気に逆らってまで圧力をかけることはできない。
そんな時代ゆえに、生徒・学生の頃から厳しい指導を受けてきていないため、厳しいことを言われると、反発して「傷ついた」「パワハラを受けた」と騒ぎ立てたり、落ち込みすぎて心が折れてしまったりする若手が増えている。
なかには甘いことばかり言っては相手のためにならない、気づきを促してできるようにさせなくてはと思う人がいないわけではない。しかし、パワハラだと糾弾されるリスクを冒してまで、部下や後輩を鍛えてやろうという奇特な人は、ほとんど見られなくなっている。
このような時代には、自分自身で自分を奮い立たせることができる人物しか伸びていくことはできないし、立ちはだかる壁を乗り越えていくことはできない。つまり、元々モチベーションが高く、メタ認知もうまく機能しているといった素地がある人物しか成長していくことができなくなっているのである。
榎本博明著/日本経済新聞出版/990円(税込み)

