タワマン文学の旗手で兼業作家の麻布競馬場さんが、「おじさんはパーカーを着てはいけないのか」どうか、会う人会う人に意見を聞いてみました。手土産は、バニラたっぷりのクッキーです。果たしてその結論は……(編集部より)

(イラスト=副島あすか)
(イラスト=副島あすか)

おじさんはパーカー着ちゃいけない?

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 すみません、すっかり更新が滞っていました。サボっていたわけではなく、次に出す小説の準備(プロットを書いたり、取り急ぎ作ったそれをベースにとにかく第1話を書いたりします)に年末から専念しており、延々と自宅に引き籠もっていました。

 そんなわけで、大好きな「人と会う」という予定も極力入れずに日々を過ごしていた。それでも、どうしても会いたい人には会うし、どうしても行きたい店には行く。そういう機会の有難みをより一層感じるタイミングでもあったから、生まれてから三十余年経ってようやく、手土産が生活の一部になった。つまり、手土産というものが仕事のために仕方なく買うわけでも、誰かへ媚びるために自慢の逸品を取り寄せるわけでもなく、ただ単に「特に理由はないけど、あげたいからあげる」というものに(いい意味で)成り下がったのだ。

 それで、最近僕が愛用している推しの手土産が、南麻布にできたテロワール・バイ・ダイチオクノのバニラ入りクッキー『ヴァニーユクリスタル』。つまんだ指先から一生バニラの芳醇な香りがしそうなほどのリッチなクッキー。8個入りの小袋もあれば18枚入りの缶もあって使い勝手がよく、僕はちょっとしたホームパーティーにシャンパーニュと一緒に持って行ったりもする。もちろん右党にも喜ばれる味で、ご家族ウケも大変いい。デザインにもしっとりとした高級感があり、久々に完璧な手土産を発見したという実感がある。今のところ店頭でも買えるから、急な用事が出来たときは駆け込んでみるといいだろう。

 さて、2度目の冬が終わった。何の冬かと言うと、パーカーおじさんにとって2度目の冬だ。冬が終わったとて春が来るだけで、パーカーが棲息可能な季節はまだ続く。

「おじさんだからパーカー着ちゃいけないよね」

 1度目の冬から現在に至るまで、そのセリフを僕は西麻布でいったい何度聞いただろう?
 それなりに服装に気を配っているから、人様から後ろ指さされることはないだろうと油断しきっていた人たちが、突如として名前も知らないインターネットの人たちから一斉に尖った指をさされたのだ。みんな茶化したような口調で言っていたが、心底怯えていたんじゃないだろうか。

 今となっては相当湿気たネタだろうが、詳細について触れることは一応避けておく。とにかく、「おじさんはパーカーを着るな」という意見があり、その批判に対して強烈に反応した人たちがおり、最終的にはインターネットを飛び越えてテレビなんかにも飛び火して国民的論争になったのか、ならなかったのか、とにかくちょっとしたボヤくらいにはなっていた。

 結果、港区の良識的なおじさんたちはみんな、パーカーを着ることを避けるようになった。中には「パーカー全部捨てた」と思い切った意思決定をした人もいた。

 かく言う僕自身も、これまでは取材で自信満々に着ていた黒いパーカーを完全封印して、最近は急いで買ったセットアップばかりを着ている。服装に関して元々ポリシーらしいポリシーもなく、ただ何となく「変なルートで作家になった作家」というイメージに似合う服をユニクロやGUで買い揃えた結果、襟があるような服よりもお行儀の悪いフードのついている服の方がフィットしたというだけにすぎなかったから、そこから別のそれらしい服に逃げることに何ら抵抗はなかった。

 周りの人たちも同じような心理だったのだろう。別に、みんな服で表現したいことなんて最初からない。もし火の粉が降りかかるなら避けた方がいい。その火の粉がどこから飛んでくるかなんて、深くは考えない。とにかくなんかヤバそうならやめておく。それがSNS時代のリスク管理の実態だ。

実際のところ「どっちでもいい」

 じゃあ、おじさんはパーカーを着てはいけなかったんだろうか?

 今更ながらアンケートをとった。普通に昼間働いている人はもちろんのこと、作家同業者に経営者、あるいは夜職系まで、とにかく僕が話を聞ける人たちから話を聞いて回った。結果は見事に半々という感じで、別に属性に左右されることなく、世界の半分は肯定派で、半分は否定派だった。

 いや、実際のところ「どっちでもいいけど」から始まる意見こそが最大多数派だった。言われてみれば当たり前の話だが、おじさんの服装に喜んだり怒ったりする人のほうが少数派であって、せいぜい「パートナーが着てるなら何か言うけど」というのが世間の本音だろう。致死量のおじさんと日常的に接し、彼らに対して炎のような親愛または憎悪を燃やしてくれる人なんて、ほんの少数派にすぎないのだという事実を、僕たちはつい忘れがちだ。

 では、なぜおじさんたちは、ああもパーカーを忌避してしまったのだろうか? そのヒントを、僕は例のバニラ入りクッキーと引き換えに得ることになった。

 「へぇ、これおいしいなぁ」
 「おいしいでしょう。南麻布で買えますから、ぜひ買って誰かにプレゼントしてください」
 「プレゼントなぁ。こういうのって、誰にあげればいいか分からないんだよなぁ」

 少なからざる機会で、僕はそんな回答を聞くことになった。みんな、仕事で人にあげる手土産は秘書さんに任せっきりにしているし、付き合いの長い友達にはわざわざ何かあげずとも関係が続くしで、近しい人たちに対する意味のないプレゼントからすっかり縁遠くなってしまっているようだった。

 そのくせ、みんなインスタには「このクッキーまじで常識外れにうまかった」だなんて写真をあげるのだ。特に親しくもない数千、数万のフォロワーに向けて、単にちょっとした自慢をするために。

 ああ、これが原因だったのか、と僕はすんなり腹落ちした。

結局、知らない人の意見にすぎないのだ

 現代における人間関係は、相当の比率をインターネットに奪われてしまっている。それは、与えるという点だけではなく、受け取るという点においてもそうなのだろう。目に見えない人たちの意見に、目に見えない人たちの賛同が乗っかり、ものすごく大きな声に見えたりする。でも実際のところ、それは結局、知らない人たちの意見にすぎないのだ。

 あなたがパーカーを着たとして、それを現に目撃する人はいったい何人いるのか?

 もし目撃する人がいて、あなたがバニラ入りクッキーを渡したいと思う相手はそのうち何人いるのか?

 もちろん、第三者の意見こそ大事だ。利害関係者は本音を言ってくれないから、真実は案外遠くにこそあったりもする。事実、カップルがささやかなお祝いをするようなフレンチレストランに、制服のごとくダボダボのロゴドンパーカーを着た港区おじさん集団が押しかけて下品に騒ぐような光景が港区では結構見られる。ああいう悪ノリに一石が投じられたという点では、あの騒動が存在する意義は相当大きかっただろう。

 一方で、おじさんが何を着るかなんて、世間にとっては世界で一番どうでもいい話題にすぎないのだ。なら、勝手に好きなものを着ればいいし、他人の意見が気になるんだったら、せめて手土産でも持って近しい人たちに聞いて回ればいい。真に聞くべき声というのは、利害関係者の中にこそあったりするんじゃないかと、僕は祈るように信じている。

 春服が気になる時期になってきた。改めて言うが、あなたがパーカーを着ようが着まいが、世間は正直どうでもいいのだ。あなたのパーカーに怒る人は、確かにSNSには無数にいたが、彼らのうち何パーセントと実際に会って親交を結ぶ機会があるだろうか?

 SNSを気にするのは、僕たちがスターになってからでも遅くはない。大きく聞こえる声があるな、と思った時に、まずは南麻布にバニラ入りクッキーを買いに行って、それを直近会う人に配るところから始めてみてはどうだろうか。

日経ビジネス電子版 2026年3月9日付の記事を転載]