2025年3月に慶應義塾大学SFCを定年退職した、認知心理学者の今井むつみさん。今井さんは、同大学で専任講師として講義を担当し始めた1997年から28年にわたり、「認知心理学」の授業を受け持ってきました。その最終講義を収録した新刊『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(日経プレミアシリーズ)から抜粋して、人間ならではの認知の特徴を解説します。2回目は「実用スキーマと人間の本当の思考力」について。

思考を助ける「実用スキーマ」

  前回 、ウェイソンの4枚カード問題で、10~30%くらいしか正答できなかったという話をしました。難しいと思われた方も多かったかもしれません。

 では、次の問題はどうでしょうか。今回も、4枚のカードの問題です。
 4枚のカードには、4人の人について、片面には年齢、もう片面にはビールを飲んでいるかどうか、という情報が書かれています。
 この4人の中に「取り締まりの対象となる人がいるかどうか」を決めるには、どのカードを裏返す必要があるでしょうか。読み進める前に、ちょっと考えてみてください。

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 この問題は、前回の「ウェイソンの4枚カード問題」と、まったく同じ論理構造です。しかし、多くの方が「ビールを飲んでいる」と「16歳」のカードを選ぶことができたのではないでしょうか。反対に、今回は「22歳」のカードをひっくり返したくなった人は少ないでしょう。実験での正答率も62.5%と、先ほどよりぐんとアップしました。

 問題の構造は同じなのに、なぜ先ほどの「4」に当たる「22歳」のカードをひっくり返したいとは思わず(どちらもnot p)、「16歳」のカードをひっくり返すべきだとわかったのでしょうか? 急にみなさんが論理的になったのでしょうか? そうではないですよね。

 この正答率の変化は、人間がどのように思考しているかということに対し、非常に深い示唆を与えてくれています。「E」や「7」などの記号だと思考できないのに、「飲酒規則が守られているかどうか」という文脈があると正答できる。それはつまり、私たちが「実用スキーマ」、つまり知識を使って推論しているからです。

 人は、推論や問題解決の文脈では、論理に従うというよりも、目的や文脈に依存したスキーマを用いて考えがちであるということなのです。

スキーマとは何か?

 さて、ここまで何度か「スキーマ」ということばが出てきました。この「スキーマ」ということばは、この授業では毎回必ずと言っていいほど登場しましたし、これまで本書にも登場していますが、ここで改めて説明しておきましょう。

 スキーマというのは、経験を自分で一般化・抽象化してつくった、暗黙の知識のことです。言い換えれば人が無意識に持つ知識であり、知識の枠組みでもあります。実用スキーマというのは、そのスキーマの中でも日常の経験に関連するものを指します。先ほどの飲酒の問題はその一例です。

 私たちは多くの場面で、論理的思考よりも実用スキーマを使って判断をしていますが、一方で、「自分がスキーマを使っていること」に気がついていません。そこが落とし穴です。私たちは、スキーマを使っているということに気づかずに、スキーマのフィルターを通して情報を選択し、行間を埋めて理解し、記憶しています。

 もし、みなさんが自分の欲しい情報、好きな情報、聞いて楽しい情報、言ってほしい情報ばかりを集めてしまうなら、「こうあるべき」というスキーマが、みなさんの中にあるからです。無意識のうちにあなたのスキーマは、周りの情報の選択をしています。
 そして同時に、そのスキーマが、理解するための行間を埋めています。「確証バイアス」というのは、あなたのスキーマが働いている結果でもあるのです。

言語のコミュニケーションはスキーマありき

 みなさんは日本語ができれば、日本語で話されたり、書かれたりしているものは、当然理解できると思っているかもしれません。しかし、実際にはスキーマがなければ、わからないことがほとんどです。
 たとえば私が、みなさんが何の知識も持たない専門用語を並べて、心理学の専門的な知識について講義をしたとします。心理学のことを知らない人であれば、ほとんど理解できないはずです。
 それは他の分野、たとえば化学や物理学、医学、あるいは歴史学などについても同じです。何かを理解するためには、スキーマを使って行間を埋めるということが不可欠なのです。

 なぜなら言語というのは、世界に存在する情報を大幅に圧縮し、切り取ったものだからです。別の言い方をすれば、言語は、ものすごく情報量を減らしているのですね。なぜ情報を減らさなければならないかというと、外界に存在する情報は膨大すぎて、人間にはとても全部処理できないからです。
 言語によって大きく減らされた情報を復元するためには、圧縮されて切り取られた部分を、自分で埋めてつなげていくしかありません。この作業を「行間を埋める」というのですが、スキーマがなければ行間を埋めることができないのです。

 また、スキーマがなければ、記憶することも困難です。なぜなら理解ができなければ、記憶もできないからです。先ほど、人間は言語情報をそのまま文字列として記憶することが極度に苦手だという話をしました。人間は、何かの言語情報に触れると、必ず意味を理解しその意味を記憶します。ですから、意味がわからなければ、記憶もできないのです。

(写真:ColorfulFlowerStudio/stock.adobe.com)
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『言語の本質』『学力喪失』『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の今井むつみ氏による、慶應大学SFC最終講義! 「人は、わかっていても間違え、偏った視野をもち、誤解するもの。だからこそ、どう学び、人とつきあい、社会を生き抜いていくかを考えることが大事。そのために、認知科学からの知恵とエールをみなさんに贈ります。」 認知心理学のものの見方・考え方が、複雑で、正解のない世界と対峙し、判断していくための手がかりとなる。世界的な認知科学者が28年かけてつくりあげた決定版!

今井むつみ著/日本経済新聞出版/990円(税込み)