2025年3月に慶應義塾大学SFCを定年退職した、認知心理学者の今井むつみさん。今井さんは、同大学で専任講師として講義を担当し始めた1997年から28年にわたり、「認知心理学」の授業を受け持ってきました。その最終講義を収録した新刊『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(日経プレミアシリーズ)から抜粋して、人間の認知能力の特徴を解説します。3回目は、情報処理能力や記憶力の制約が生み出した、人間独自の思考スタイルについて。なぜ私たちが「創造的な思考」ができるのかを考えます。
人間は、アブダクション推論で思考する
人間は、さまざまな限界を持つ生き物です。情報処理能力や記憶力にも、限界があります。そういった制約を乗り越えるために思考のしかたを進化的に発達させてきた生き物だと思います。
限界や制約が、人間を独自の思考スタイルに導いた。ですからこの思考スタイルは、動物、そしてAIとも異なります。
では人間は、いったいどのように思考しているのでしょうか。
それは、スキーマに頼った「アブダクション推論」です。
このアブダクション推論が、人間の非常に特徴的な推論のしかただと私は考えています。
アブダクション推論は、なかなか定義が難しいものですが、特徴としては「正解が一義的に決まらない、論理の跳躍を伴う推論」であるといえます。ある種の非論理的な推論です。
みなさんの中には、電車の中で気分が悪くなるなどして、どうにもならない状況で遅刻をしたことがある方がいるのではないでしょうか。そのときのたった1回の遅刻のために、「だらしない奴だ」という烙印(らくいん)を押されてしまったことがあるかもしれません。
これもアブダクション推論の一種であり、これには「過剰一般化」と名前がついています。
1人が何かをしたときに、それを集団全体にあてはめてしまうのも、アブダクションによる典型的な過剰一般化です。
たとえば外国人が犯罪を起こして逮捕されたとき、「外国人はみな、犯罪者だ」というようなリアクションをする人がいます。
政治家の中にも、ごく一部の事例を持ち出して、あたかもそれが全体のことのように語る人がいますね。こうした偏見は先ほども述べた「代表性バイアス」といわれるバイアスですが、これもまたアブダクションの一種です。
このように、アブダクションは結論を導くために論理の飛躍があるため、思い込みや偏見の源にもなりがちで、いいことばかりではありません。しかし、いいか悪いかは置いておいて、非常に人間的な推論のしかたであるといえます。
不完全、不正確な情報を補い、正しい結論に導く
何より、人間にとってアブダクションは、絶対に必要な推論です。
『100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集』(福井県立図書館編著、講談社文庫)という楽しい本があります。これは福井県立図書館の司書さんたちが、利用者の「書名の覚え違い」を集めた本です。
その中で、
「村上春樹『とんでもなくクリスタル』はどこですか?」
という質問が紹介されていますが、村上春樹さんの作品に限らず、『とんでもなくクリスタル』という作品はどこにも存在しません。図書館の検索システムで、このように間違ったタイトルと作者名を入力してしまうと、「そのような本は見つかりません」と返ってくるでしょう。しかしこのとき、司書さんは、
「そんな本はありません」
で終えたりはしません。『100万回死んだねこ』には、次の2つの候補が紹介されていました。
・村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)
・田中康夫『なんとなく、クリスタル』(新潮文庫)
先ほどのように完全に間違ったタイトルを言われても、「実は、これじゃないか?」と推論できるのは、とてもすごいことだと思いませんか。しかも、この推論は、単なる当てずっぽうでも適当でもありません。書名も著者名も間違っているにもかかわらず、この2つのどちらかではないか、と思いつくことができる。シャーロック・ホームズみたいですよね。
ちなみに、ホームズがしている推論はまさにアブダクション推論です。ホームズは、普通の人が目に留めないようなものに注目します。犯行現場に残されたものに注目し、そこから「犯行はこのように行われたのではないか」「この人が犯人なのではないか」ということを、論理を積み重ねて考えていくのです。
アブダクション推論は、コミュニケーション成立の鍵
ホームズのように特別な能力のある人でなくても、司書さんのように膨大な本の知識がなくても、私たちは普段からアブダクション推論をしています。「実はこうなのではないか?」と考えて、欠けている情報を補い、推論する。そういった能力を持っているのです。
そもそもコミュニケーションは、アブダクション推論がなければ成立しません。
人はコミュニケーションにおいて、まず「今、自分と相手の人は、何について話をしているのか」と、状況を読んでいます。そして、そこから相手のことばの一つひとつの意味を推論し、相手の心を読み、行間を埋めているのです。
たとえば相手から「ウサギ」ということばが出てきたとして、みなさんの頭の中に単語の意味が収められた辞書があり、それが紙の辞書のように「ウサギ=ウサギ科の哺乳類(ほにゅうるい)の総称」のように記されていたとしても、その会話における「ウサギ」の意味はわかりません。
その会話の中で、「ウサギ」ということばを、相手がどういう意味で使っているのか。それがわからなければ、会話は成り立たないわけです。相手が話す「ウサギが好き」の「ウサギ」は、ペットかもしれませんし、食材かもしれません。比喩(ひゆ)的に特定の人(たち)のことを指しているのかもしれません。
ですから人は、単語一つを使うにしても、あるいは理解するにしても、全体の状況や文脈の中から、単語の意味を推論しなければなりません。そして相手の心を読み、行間を埋めていく。そういったことをしなければ、コミュニケーションは成り立たないのです。これも立派なアブダクション推論です。
実際に、生活のいたるところで、私たちはアブダクション推論をしています。コミュニケーションとアブダクションについては、『
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?
』(日経BP)で詳しく説明しています。
今井むつみ著/日本経済新聞出版/990円(税込み)


