東京・大田区に本社を置くダイヤ精機、そして同社の諏訪貴子社長は、その際立った存在感から「町工場の星」と呼ばれる。ミクロン(1000分の1ミリ)単位の超精密金属加工で国内トップクラスの技術力を誇り、「最高の職人集団」がその強みを磨き続けるダイヤ精機。2004年に主婦から一転、家業を継いだ諏訪社長は、経営難に陥っていた町工場をどう再建し、社員の知恵を結集する「全員参加経営」を築き上げてきたのか。「20年の闘い」を赤裸々につづった著書『 町工場の星 』から、道程の一端を紹介する。3回目は、諏訪社長がパニック障害と向き合う中で学んだことや、自らの成長のために実践してきた「セルフプロデュース」について。
「パニック障害」を発症し、最大のピンチに
ある日の講演会で話している途中、急に息苦しさを感じ、動悸やめまいに襲われてしまった。「聴衆の前で倒れるわけにはいかない」と、この日は台にしがみつきながら、なんとか最後まで話し切った。
だが、次の講演でも、「また途中で動悸やめまいに襲われたらどうしよう」という不安が高まり、同じような症状が出てしまった。今の私の「表の顔」を見ている人には信じられないかもしれないが、私は元来、内向的で引っ込み思案な性格だ。子どもの頃は極度の人見知りで、人前で話すのが苦手なタイプだった。
徐々に性格は変わっていったが、おそらく本質的な部分は残っているのだと思う。この時期、ホルモンバランスや自律神経の乱れとともに、本来持っていたそういう性質が表に出てきてしまったのかもしれない。
それまで、自信満々でこなしていた講演だったが、「もともと私は人前で話すのが苦手だった」と思い出すと、さらに症状は悪化した。病院で治療を受けようと、初めは婦人科を受診した。だが、「大きな問題はありませんよ」「死ぬことはないから大丈夫です」「しばらくすれば治るでしょう」と軽くあしらわれてしまった。
セカンドオピニオン、サードオピニオンを求め、いくつかクリニックを訪ねた。最終的にはパニック障害と診断した心療内科に通い、治療を受けた。カウンセリングを受け、医師から「今まで、1人でよく頑張ってきましたね」と言われた時には涙があふれた。
「自分は大丈夫」と思い込まず、頑張りすぎない
ドクターストップがかかり、決まっていた講演会は薬で何とか乗り越え、先の予定は入れないようにした。知らない人と話すと、動悸が激しくなったりするため、取材なども一切受けるのをやめた。
処方された薬を服用すると、2週間ほどで症状が落ち着いてきた。半年ほど治療を続けた結果、パニック障害は治まった。
私は30代の頃、ストレス耐性テストを受けたことがある。その時、「ストレス耐性が高く、メンタルの不調は出にくい」という結果が出たことから、「自分は強い」「心の病気にかかることはない」という変な自信を持っていた。その私でも、十数年後にはこういう状態に陥った。
経営者にとって心身の健康は何物にも代え難い。メンタル不調は環境の変化、体調などで誰にでも起こり得る。「自分は大丈夫」と思い込まず、頑張りすぎないことが重要だ。
そして、少しでも異変を感じたら、すぐに専門の医師に相談することが大切だろう。私も最初に受診した婦人科の方針に従い、何も治療せず放置していたら、今も不調は続いていたかもしれない。セカンドオピニオン、サードオピニオンを貪欲に求める姿勢を持つことが必要だ。
人生の歩み方を見直し、“卒婚”も
パニック障害という最大のピンチを経験したことをきっかけに、私は自分の人生の歩み方を見直すことにした。人生は一度きり。「今を存分に楽しむ」ことに集中したいと考えた。
“卒婚”を決断したのはこの頃だ。
私は性格的に几帳面で真面目なところがある。それまで、「良妻賢母でいなくてはいけない」という呪縛があって、家庭においても頑張りすぎていたのだと思う。
知らず知らずのうちに、夫婦として暮らすことが負担、負荷となっていたのかもしれない。夫の海外赴任などで離れて暮らしていた時間も長く、2人の価値観や感覚にズレが生じているとも感じていた。息子が20歳を迎えていたということもあり、婚姻関係を解消し、お互いに、身軽になって自分らしく生きていくことを決めた。
「今を楽しむ」ため、当然、仕事には全力を注ぐ。それ以外にも興味のあること、好きなことには余すことなく情熱を傾けている。
その1つが趣味のバレエだ。
大人になってから、初心者で始めた私だが、今では発表会の時にはトゥシューズを履いて男性ダンサーとパ・ド・ドゥ(男女2人の踊り)を踊っている。
コロナ禍でしばらく開けなかった発表会だが、2021年11月に再開してから毎年参加し、パ・ド・ドゥを披露している。毎回、いろいろなチャレンジがあり、本番はもちろん、練習している間も本当に楽しい。
ジャンプやリフトも多くなる男性との踊りには、ひときわ体力とスタミナが必要だ。足腰への負担が減るよう、体重も10キロ以上減らした。体力勝負のパ・ド・ドゥが踊れるのはあと10年ほどだろう。「今しかできない」ことであり、動ける間は全力で楽しみたい。
ファッションへの“投資”も惜しみなく
もう1つ、今、興味を持ち、楽しんでいるのがファッションだ。
40代後半で直面した心身の不調を乗り越え、50歳を迎えた時に、「人生の分岐点」だと感じた。それまでは子どもの教育費用なども頭にあったが、息子が社会人になったこともあり、「自分のためにお金を使おう」と思うようになった。
講演会はもちろん、テレビに出演したり、パーティーに参加したりと、今は人前に出ることも多く、着るものには気を使う。
60歳を過ぎて、仕事を辞めた後に良い服を着てもあまり意味がない。
「今しか着られない」
「今の自分だから似合う」
そんな服にチャレンジすることを楽しんでいる。
好きな海外ブランドのショップには折を見て顔を出す。店員さんが「諏訪さんに絶対に似合うと思います」と服を取り置きしておいてくれることもある。スパンコールを一つひとつ手縫いしたスーツもそんな一着。一目見て気に入り、購入を即決した。
脳科学者の方に聞いた話がある。
「憧れのタワーマンションを買ったが、住宅ローンで日々の生活はギリギリ。生活用品は100円ショップばかりでまかなっている」というのも、「大変なお金持ちだけれど生活は極めて質素。お金を貯めることだけが趣味」というのも、幸せとは言えないというのだ。
それぞれが身の丈に合った自分なりの幸せを見つけることが大事ということだろう。私も今できる範囲で、興味のあることにお金を投じたい。
今を存分に楽しみ、常に生き生きと過ごし、輝く自分でいるように努めることも、私なりの大事なセルフプロデュースだ。
諏訪貴子著、日経BP、1870円(税込み)

