世界一周500年の歴史を振り返れば近現代史の意外な側面が見えてくる――日経ビジネス人文庫『8の都市からよむ「世界一周」の世界史』(鈴木淳著)では日本経済新聞記者が自ら旅しながら歴史をたどります。第4回は、マゼラン隊の評価の変遷について、本文より抜粋します。

高く評価されてきたマゼラン

 20世紀の2度の世界大戦を経て、欧米列強による植民地支配は終わりを告げた。こうしたなかで、マゼラン隊の世界一周という「偉業」も本格的に見直しを迫られている。

 フェルディナンド・マゼランはフィリピン・セブ島に隣接するマクタン島で島民をキリスト教に改宗させようとして、島の部族長ラプラプと対立。ラプラプとの戦闘で敗れて、その場で戦死したとされている。1521年4月27日のことだ。

 伝統的な西欧的見方では、マゼランは食糧難や太平洋・大西洋の荒波、荒天、乗組員の反乱など数々の困難を乗り越えて、世界一周という偉業を成し遂げるはずが、途中で「未開人」「野蛮人」に殺害され、非業の死を遂げた英雄である――。ピガフェッタの記述では、しかも、仲間の隊員を守るため、自らが盾となって原住民と戦った。仲間思いの英雄である。少なくとも第2次世界大戦以前まではそうした見方が支配的だった。

 オーストリアの作家、シュテファン・ツヴァイクが1937年に書いたマゼランの伝記では、マゼランの航海について、「おそらく人類史上最もすばらしいオデュッセイアといえるだろう」と、ホメロスの叙事詩の主人公の長旅に例えて賞賛している。

 ツヴァイクによれば、マゼランの業績は無に帰したという。スペイン王のために征服しようとしたモルッカ諸島はその後ポルトガルなどに譲り渡すことになるし、発見した西回り航路もその後、頻繁に利用されることもなかった。

 20世紀初頭に太平洋と大西洋とつなぐ中米のパナマ運河が開通すると完全に使われることがなくなった。最近では気候変動の影響で北極圏の氷が溶け、北極海航路も開拓されつつある。

 だが、ツヴァイクはそうした「実用性が、ある業績の倫理的価値を決定することは決してない」と説く。マゼランが自己犠牲をもって世界一周を成し遂げ、人類に関する知識を高揚させたことを高く評価する。

マゼランを倒したラプラプは「英雄」に

 日本でも明治時代からマゼランを英雄視する見方が流布していた。例えば、明治から昭和初期に活躍したジャーナリスト、徳富蘇峰が設立した民友社の『世界叢書』シリーズは第3巻でマゼランを取り上げている。マゼランが千難万障を乗り越えて世界一周を敢行したことを「その事業は航海史の第一頁に記されるべき」としている。マゼランの航海は明治時代の教科書や少年誌などにも載り、偉人のひとりと崇(あが)められた。

 こうした見方は第2次世界大戦後、大幅な修正を迫られている。アジア・アフリカで植民地にされた国々が独立を果たした。グローバル・サウスと呼ばれる新興国は国際社会でますます発言力を持つようになってきている。

 象徴的なのはフィリピンだ。フィリピンでは外国からの侵略を阻止した英雄として、ラプラプは一般に「フィリピン最初の英雄」とみなされている。必ずしもマゼランを敵対視しているわけではないものの、ラプラプがマゼランを倒した4月27日は地元の祝日になっている。マクタン島を管轄する自治体はラプラプ市という名前になり、島にはラプラプの銅像が建つ。より大きな銅像にする計画すらあるという。

フィリピンのマクタン島にはラプラプの像が立つ
フィリピンのマクタン島にはラプラプの像が立つ
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 ナショナリズムの高揚にラプラプを利用する動きも出ている。「アジアのトランプ」などともあだ名され、放言で有名だったフィリピン大統領のロドリゴ・ドゥテルテ(在任期間2016~2022年)はしばしばラプラプの名前を口にした。公務員らに与えられる勲章の名前も「ラプラプ勲章」とした。後任大統領のフェルディナンド・マルコス・ジュニアも中国と領有権を巡り対立する南シナ海で、中国船との衝突で負傷した兵士にこのラプラプ勲章を授与した。

 マゼランの業績を語るなかで、欧米の言説ではいわば敵役として語られることが多かったラプラプがむしろ英雄としての存在感を増していることは重要である。ラプラプへの見方が変わってもマゼランの業績は必ずしも減じるものではないが、マゼランとマゼラン隊が行った行動を批判的に顧みるべきだろう。特に植民地支配や奴隷制に加担したことは、マゼランの冒険の負の側面として指弾されるべきである。

負の遺産の清算は始まったばかり

 20世紀後半に入り、植民地支配を脱して独立を果たしたアフリカやカリブ海諸国では、過去の奴隷制に対する謝罪と補償を求める声が上がっている。

 英首相(当時)のトニー・ブレアは2006年11月、英国の黒人向け週刊新聞「ニューネーション」で過去の奴隷貿易での英国の役割について「深い悲しみ」を感じると表明した。奴隷貿易に関与した欧州各国のリーダーとして、かなり踏み込んだ発言ではあったが、一部で謝罪をしていないと批判された。翌年3月、西アフリカ・ガーナ大統領(当時)のクフォーと会談した際、「私は申し訳ないと言ってきたし、もう一度言う」として、正式に謝罪した。大英帝国が帝国内での奴隷貿易を禁止する法律を制定してから200年が経過していた。

 現在でもカリブ海諸国やアフリカの一部の国々で植民地時代や奴隷制に関する謝罪と補償の議論が続く。英連邦に属するジャマイカでは2022年、英国の王子ウィリアムと妃のケイトが公式訪問する直前に、奴隷貿易やプランテーションでの奴隷酷使に対する謝罪と補償を求める大きなデモが発生した。こうした動きをきっかけに英国内でも大英帝国時代の功罪を再検討する知的活動も盛んになってきた。

 2024年10月、オセアニアの島国サモアで開かれたコモンウェルス(英連邦)首脳会議は奴隷貿易に関して、首脳宣言で「賠償による正義を求める声に留意しながら(中略)有意義で真実かつ敬意に満ちた対話の時が来たことに合意した」と記した。英国は金銭的な直接補償には後ろ向きだとされるものの、カリブ海諸国などの主張に押されて対話には応じることになった。

 2019年にはメキシコ大統領(当時)のロペス・オブラドールがスペイン国王に対し、スペイン統治時代の人権侵害に対する謝罪を求める書簡を送った。スペインは謝罪を拒否し、両国関係には今も隙間風が吹く。マゼランに始まった世界一周の負の遺産の清算はまだその緒についたばかりだ。

 大航海時代の冒険者たちの目的地となったモルッカ諸島は今、世界一周の一般的なコースからは外れている。少なくとも征服者たちはもうやってこない。知る人ぞ知る目的地として、豊かな自然を楽しむ旅行者が集まる。

 地球上をすべて支配するために世界を回った時代は終わった。私たちの時代の世界一周は世界を自分の目で見て、その価値を認め、共に生きるための道標にするものでなくてはならない。

モルッカ諸島にあるテルナテの市街地の様子(著者撮影)
モルッカ諸島にあるテルナテの市街地の様子(著者撮影)
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日経ビジネス人文庫『 8の都市からよむ「世界一周」の世界史
19世紀の世界一周パックツアーの旅程とは? 渋沢栄一が5回も「洋行」した理由は? 21世紀の世界一周のトレンドは? 国際報道に携わる日経記者が、横浜、香港、ロンドン、ジュネーブまで、キーとなる各都市を自ら旅しながら、「世界一周」500年の歴史をたどります。

鈴木淳著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)