働く女性に支持され続けている『日経ウーマン』で、27年も続く連載「妹たちへ」。キャリアに迷い、人生これでいいのかと悩む女性たちから圧倒的な支持を得てきました。その名物連載が、15年ぶりに単行本『一歩が踏み出せなかった私へ』として登場。雑誌掲載当時の語りを1冊にまとめた、20人の“姉”からのエール集です。今回は写真家・映画監督の蜷川実花さん編の第2回。師匠に付かず、独学で写真技術を身に付けていった蜷川さん。苦心して初の写真集を出し、仕事を広げていきます。29歳で木村伊兵衛写真賞を受賞。独自の世界観を明確に打ち出していったのは周到なセルフブランディングでした。(本連載は、書籍『一歩が踏み出せなかった私へ』に収録されている日経ウーマンの記事から一部を抜粋してお届けします)


蜷川実花
写真家・映画監督
蜷川実花 Mika Ninagawa ●写真家、映画監督、現代美術家。写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手がける。木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。2010年ニューヨークのRizzoliから写真集を出版。また、『ヘルタースケルター』(’12年)、『Diner ダイナー』(’19年)をはじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』(’20年)を監督。個展「蜷川実花展with EiM:彼岸の光、此岸の影」(京都市京セラ美術館、’25年1月-3月)は、25万人を動員。最新の写真集に『EternityinaMomentvol.1‒3』(Akio Nagasawa Publishing & Case Publishing、2024年)がある。https://mikaninagawa.com

 大学卒業後、写真家として本格的に活動を始めた頃の仕事は、雑誌のポートレート撮影が中心でした。「今日15時から撮影ね」という無茶振りや、会議室のような悪条件での撮影も多かったのですが、おかげで、どんな場所でもすてきに撮ることに関しては鍛えられたと思います。もちろん、うまくいかないこともありました。フィルム撮影が一般的だった当時、フィルムを入れずにシャッターを押し続け、途中まで写真が撮れていないという恐ろしい失敗をしたり、被写体とうまくコミュニケーションが取れず、いい表情が撮れずに悩んだり。

 師匠に付いたり、撮影スタジオのアシスタントを経験することなく、写真を独学で学んだ私は、撮影の基本や現場の流れも知らないままでした。フィルムでの本番撮影の前にポラロイド写真を撮って確認することも、照明の当て方も分からなかったし、自分でプリント(現像)ができないので、街の写真屋にサービスプリントをお願いしていました。ある編集者に、「来週までに自分でプリントできるようになったら仕事を頼みたい」と言われ、1週間で道具をそろえて、狭い部屋に暗室を作り、必死でプリントの仕方を覚えたことも。失敗し、恥をかき、必要に迫られて技術を身に付けていきました

写真家として活動を始めた頃。独学で学び、失敗し、必要に迫られて技術を身に付けていった
写真家として活動を始めた頃。独学で学び、失敗し、必要に迫られて技術を身に付けていった

「ガーリー・フォト」ブームに乗り、仕事を広げた

 私が仕事を始めた1990年代後半は、「ガーリー・フォト」ブームで、20歳前後の女性写真家が注目を集めていました。私もそのなかに入れてもらっていましたが、“若い女の子”というだけで写真が消費されていくようで怖かった。でも、写真は見てもらえないと次につながらない。このブームに乗っかろうと思いました。

 当時の女性写真家で圧倒的な存在だったのが、HIROMIXさんと長島有里枝さんです。彼女たちに追いつきたくて作品を撮り続けましたが、出版社に営業に行くと、「2人がいるから、蜷川さんに仕事を頼む理由がない」と言われる。2人みたいに写真集出版のオファーも来ない。悔しかった。それで、作品をカラーコピーして自分で写真集を作りました。青山ブックセンターの方が「蜷川さんなら特別に」と言ってくれて、1冊600円で販売。コピー代のほうが高く、売るほど赤字でしたが、この写真集を見た編集者から声を掛けていただき、25歳のとき、初めて写真集を出版することができました

 仕事は少しずつ増えていきましたが、スケジュールはまだガラ空きで、ぎりぎり食べていける程度。でも、仕事のなさを悩んでも仕方がない。最初の写真集で第9回コニカ写真奨励賞をいただくと、その賞金で1年に13カ国くらいを旅し、作品を撮り続けました。そのうちに、雑誌で掲載される写真の扱いが少しずつ大きくなり、表紙を担当させていただけるように。そして29歳のとき、写真集『Pink Rose Suite』『Sugar and Spice』の2冊で、写真界の芥川賞と呼ばれる第26回木村伊兵衛写真賞をいただきました。HIROMIXさん、長島さんと同時受賞。憧れていた2人とやっと肩を並べることができ、ここから仕事を加速させていこうと覚悟が決まりました。

(写真:tawatchai1990/stock.adobe.com)
(写真:tawatchai1990/stock.adobe.com)
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 受賞を機に仕事が一気に増加。30歳で初めて作業場を借り、スケジュールが許す限り、依頼が来た仕事は断らずに受けました。ただ、当時は仕事をするほどお金が出ていきました。デジタル撮影への過渡期のなか、私がこだわっていたフィルム撮影は、フィルムなどの経費がかかり、出版社で精算してもらうまでは立て替え。経費の合計額が100万円以上になったとき、カードのキャッシングで支払ったことも。お金も人脈も、親には頼りたくなかったんです。

自分のブランディングで戦略的に仕事を取る

 仕事を始めてからずっと、私は自分で自分のブランディングをしています。20代後半から30代にかけては、写真家として打ち出したいイメージ、挑戦したい仕事に結びつくよう、表に出る作品を計画的に操作していました。例えば、「南の島でのロケといえば蜷川実花と言われるようになりたい」と思うと、ポートフォリオが紹介されるときや、制作している写真集のカバーには、南国で撮った写真を使う。「女性が男性を愛(め)でるグラビアがあってもいいはず」「男性写真の市場を取りたい」と思うと、女性誌で男性を撮り下ろす企画を提案したり……。そうすると、南国や男性を撮影する仕事が増えていくんです。

 来日する海外スターの撮影をしていこうと決めたときは、派手な撮影セットを製作。彼らは、短い滞在期間で何媒体も取材を受けるため、撮影時間が1~2分ということがほとんど。しかも、いくつもの媒体がずらりとセットを組むなか、同じ衣装で順番に撮影するスタイルなので、各社、同じような写真になりがちです。そんななか、映画『チャーリーズ・エンジェル』のヒロイン3人の撮影では、桜の枝や障子を持ち込み、羽織れる着物も用意。ビヨンセの撮影では、お花畑のような鮮やかな背景を用意して、私も派手なファッションで待機。そうすると、皆面白がってくれるし、言葉が通じなくても、私が撮りたい世界観を一瞬で分かってもらえる。他の媒体とは一味違う写真になることで、海外スターの撮影依頼も増えました。出版社の予算がないことも多く、そういうときのセット代は自分の持ち出しです。でも、面白い写真が撮れれば次の仕事につながるし、求められていることに全力で応えるための必要経費だと考えていたので、気にしていませんでした。

 自分をブランディングすることは、一度ついた印象を払拭する難しさを実感していたことも影響しています。例えば、男性の写真も山ほど発表してきましたが、取材ではことあるごとに「男性は撮らないのですか」と聞かれていました。40代半ばになった今、やっと「“男性を色っぽく撮る”といえば蜷川実花」と言っていただくことも増えましたが、それだけ、蜷川実花といえば「女性を撮る写真家」「花や金魚のカラフルな写真」の印象が強かった。だから、新しい一面を見てもらえるように、仕事の仕方を戦略的に考えなくてはと思っていたのです。

「写真家として打ち出したいイメージ、挑戦したい仕事に結びつくよう、表に出る作品を計画的に操作していた」
「写真家として打ち出したいイメージ、挑戦したい仕事に結びつくよう、表に出る作品を計画的に操作していた」

長編映画の制作に挑戦、課題はコミュニケーション

 34歳のとき、初めて長編映画を撮りました。安野モヨコさんの漫画を実写化した『さくらん』です。映画制作で難しかったのは、クリエイティブなこと以上に、自分が表現したいことを言語化してスタッフ全員と共有することでした。

 写真はきれいだなと思ってシャッターを押すときれいな写真が撮れ、自分の感情が写し出される原始的なもの。でも映画は、最初に監督が言葉で伝えないと、スタッフは動けない。私の言葉がぶれると、すべてがぶれていく。しかも、驚くほど多くの人やお金が動きます。後戻りできない怖さで、クランクイン前に100人以上の全スタッフを前に挨拶したときは、震える右手を左手で押さえて話したほどです。

 役者へのダメ出しも難しかったです。父のように相手を極限まで追い詰めながら、持っていない力まで引き出すような駆け引きはできないし、やりたくない。嫌われたくないという思いもある。けれど、クリエイティブを深掘りするには、時にはぶつかり合うことも必要。映画撮影でのコミュニケーションは、今も課題です。

取材・文/松田亜子 イラスト/すぎやましょうこ

日経WOMAN2020年7月号の記事を再構成]
働く女性に支持され続けている『日経ウーマン』で、27年も続く連載「妹たちへ」。キャリアに迷い、人生これでいいのかと悩む女性たちから圧倒的な支持を得てきました。その名物連載が15年ぶりに単行本として登場。雑誌掲載当時の語りを1冊にまとめた、20人の“姉”からのエール集です。

日経WOMAN編集部編/日経BP/1980円(税込み)