働く女性に支持され続けている『日経ウーマン』で、27年も続く連載「妹たちへ」。キャリアに迷い、人生これでいいのかと悩む女性たちから圧倒的な支持を得てきました。その名物連載が、15年ぶりに単行本『
一歩が踏み出せなかった私へ
』として登場。雑誌掲載当時の語りを1冊にまとめた、20人の“姉”からのエール集です。今回はコラムニスト、ラジオパーソナリティーのジェーン・スーさん編の第2回、幼いころから「普通」ではない自分を恥ずかしく思ってきたジェーン・スーさんが、社会に出るタイミングで自分なりのはみ出し方を見つけます。
(本連載は、書籍『一歩が踏み出せなかった私へ』に収録されている内容の一部を抜粋してお届けします)

就職活動を始めようとしたら氷河期だった。当時は新聞の見出しに踊った文字を見てショックを受けたけれど、今考えてみると、随分他人事な言い回しをされたもんだなとあきれる。「氷河期」って。絶滅前提の話ではないか。
バブル経済の恩恵をまるで授かれなかったことは百歩譲って飲み込むとしても、私はベビーブームのときに生まれてしまったので、間口が狭い上に人が多かった。当時はネットが十分に普及しておらず、希望する会社へ面接や試験を申し込むにも一苦労。電話帳ぐらい分厚い就職雑誌に付いていた資料請求用のはがきをミシン目から1枚ずつ切り離し、大学名と住所と名前と、簡単な志望動機のようなもので空欄を埋めてから送らなければならなかった。もちろん手書きだ。最低でも100枚くらい書くのが妥当といわれていた。
資料請求用のはがきはエントリーシートでもなんでもない。私のような女子大在籍の学生は請求しても資料が届かないとは聞いていたが、事実、3分の1も戻ってこなかったと思う。共学の有名校に在籍する友人には、ちゃんと届いていたというのに。
試験を受けて落ちるならまだ分かるが、スタートラインにすら立たせてもらえなかった。私は不当な扱いに腹を立てることもなく、少しだけ嫌な気分になった後、「そういうものだ」とすぐに納得してしまった。真剣に就職活動をしていなかったからというのもある。ダメだったらフリーターにでもなろうと安易に考えていた。
いくつかの会社から資料が届き、説明会へ足を運んだ。説明会だといわれていたのに、行ったら試験だったこともある。当然、次のお声は掛からなかった。なるほど、買い手市場だとこういう扱いを受けるのか。その会社は、しばらくして倒産した。嗚呼(ああ)、諸行無常。
当時は、今ほど制度的な差別構造が問題視されていなかったため、「こういうものだ」と諦めてしまったことがたくさんある。女だからとか、若いからだとか、美人ではないからとか。
興味深いことに、被害者意識はなかった。加害されている意識がなかったからだ。悪いのは自分だと思っていると、大体のことはスムーズに事が運ぶ。もちろん、悪い意味で。
私は非常に運が良く、最終的に第1志望のレコード会社に就職することができた。学校名を記さなくても応募できる会社だった。蓋を開けてみると、合格者には有名大学出身者が多かった。応募総数の比率が分からないのでなんとも言えないが、学校名で足切りするのも一理あるのだろうと、私は腑に落としてしまった。
とはいえ、私と同じように「珍しいね」といわれる大学の出身者も何人かはいたのだ。私は少しだけ自分が誇らしくなった。有名大学にはすべて落ちたが、これからはこうやって「珍しいよね」枠に入ればいいのだと。それは本質的な問題解決、つまり構造的な差別の解消とは程遠い話だとは、当時の私は気づけなかった。今はそのことに気づけてはいるが、一朝一夕では変わらない事態を前に、なんとか「珍しいよね」枠に滑り込むことが重要だとも思っている。
体力があり余っていた私にとって、昼夜を問わず非常識に働くことは喜びですらあった。比較的自由にやらせてもらえたし、そのときの学びは現在の仕事にも生きている。いまだつながっている縁もある。私の仕事の基礎をつくったのは、間違いなく新卒で就職した会社だ。

同時に、現在の私が当時の自分に掛ける言葉があるとすれば、「もっと自分に自信を持って!」の一言に尽きる。感謝を忘れるなとか、真面目にやれとか、社内政治に目を光らせろなんてことは、手痛い失敗をすれば学べることだ。つまり、働いていれば追々分かってくること。
しかし、自信だけはそうはいかない。挙手できるところで遠慮していると、いないも同然の扱いになってしまうのだ。「きっと誰かが見ていてくれる」の法則は否定しない。そういう人はいる。けれど、それだけでは報われないことも少なからずある。陰で積んだ徳が評価されるためには、優秀で決定権のある観察力に優れた人が身近に必要だから。そういう人に見いだされるのは、土砂降りの後の空にかかった虹を見つけたときくらい胸を打つものがあるが、雨が上がったとて、虹が出ない空もある。
常日ごろから「どうせ私なんか」「こんなことみんなも思いついているに違いない」「私には無理」と、当たり前のように自分を引っ込めていれば、大きな失敗はしない。けれど、自分がどんどん小さくもなっていく。これが致命傷なのだ。手を挙げない人には、やりがいのあるタスクはなかなか回ってもこない。負のスパイラルで、自信はどんどんなくなっていく。
当時の私は、自信なんてなくて当然だと思っていた。だって「珍しいよね」枠だもの。来た球を思いっ切り打ち返すことが仕事だと信じていたし、それはそれで仕事の基礎体力がついた。けれど、今になってみると、私に自信さえあれば、もっとずっと前からこういう仕事がやれていたとも思うのだ。うまくいったかは分からないけれど、20代後半の私にしか書けないこと、しゃべれないこともあったと。20代後半だったら、失敗してもまだ余裕で進路変更ができただろう。私は書くこともしゃべることも、チャレンジすらしなかった。やりたいか否かの前に、できるわけがないと思っていたから。
自信は誰かがつけてくれるものではない。誰もがある程度の総量を持って生まれ、日々削られていくものだ。ごくまれに、たくさん自信を持って生まれる人もいる。運良く削られないで済む人もいる。削られた分を燃料に、奮起できる人もいる。でもほとんどの人は、削られて小さくなっていくままだ。周りの人を見ていると、つくづくそう思う。僻(ひが)みっぽい人で、自信がある人は見たことがない。僻みっぽい人に、縁が巡ってくることもほとんどない。最初の火種を自分で消すと、取り返しのつかないことになる。
根拠のある自信には揺るぎがない。けれど、最初に挙手をするときの自信に、根拠なんていらないのだ。その火種がなければ、根拠のある自信は手に入らない。私はそれを知らずにいた。運良く(本当に、運に頼ってばかりの人生だ)20代半ばで面倒見の良い先輩の下で働くことができ、そのおかげで、根拠のある自信を持つことができた。そして、28歳で私は最初の転職をした。かなり尻込みをしたけれど、結果的に最善の選択だったと思う。
以来、信頼の置ける人が「あなたならできるよ」と言ってくれたら、その船に乗るようにしている。そうやって乗り換えて、流れ流れてここまで来た。「いえいえ、私なんか滅相もない」は、ちょっとでも興味のあることならば言わないようにしている。興味のない船には乗らないようにもしているけれど。
さて、あなたに「私なんか」と思わせる根拠はなんだろう。「実績がないから」だとしたら、そりゃ当然だと言うしかない。最初の火種を掘り返そう。息を吹きかければ、また熱を持つ。
日経WOMAN編集部編/日経BP/1980円(税込み)
