大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎さんのインタビュー3回目。どんな人でも今と違う人間になれる、どんな環境で育った人でも、自分の人生を生きていくことは可能であり、周囲の人々も「自分も同じ立場に置かれたら、同じことをしてしまうかも」と想像してみることが大切、と説きます。

人は今とは違う自分になれる

編集部(以下、――) 2013年に『嫌われる勇気』を発行された頃よりも、日本では生きづらさが増しているようにも思います。安倍晋三元首相の銃撃事件以降、「宗教2世」という言葉をよく聞くようになりました。アドラー心理学は、宗教に限らず、生まれ育った環境や特定の価値観に縛られてしまった人を救うことはできるのでしょうか。

岸見一郎(以下、岸見) 救えます。アドラー心理学では、「人は今とは違う生き方ができる」「違う自分になれる」と考えます。人が変われることを前提にしないのならば、どんな教育もどんな治療も成り立ちません。ところが、多くの科学者や心理学者は「こういう環境で育った人はこうなる」という、決定論の立場から人間を捉えがちです。

 私はどんなに劣悪な環境で育ったとしても、どんなに不幸な経験をしたとしても、その後の人生が決定されてしまうことはないと考えます。もちろん、宗教の場合は影響力が非常に強いですし、特に子どもの場合、親が言うことは「絶対」で、親の考えから抜け出せなくなることはありますが、必ず抜け出せると考えることが大切です。

『嫌われる勇気』
『嫌われる勇気』
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 以前、私はある宗教団体の教祖の子どもと話をしたことがあります。親の考えに反対だが、自分が継がなければ組織が潰れてしまう、どうしたらいいかと悩んでいました。

 私はアドラー心理学の「課題の分離」という考え方を伝えました。親の会社を継ぐかどうか悩む人もいます。子どもが継がなかったらどうするかは親の課題であって、あなたの課題ではない、あなたはあなたの人生を生きていいとアドバイスをしました。真面目で優しい人ほど、周囲の人の気持ちが分かり、嫌われたくないので、それに合わせてしまいがちです。

 今なら体調が悪くて新型コロナウイルスに感染したかもしれないのに、「自分が休んだら迷惑が掛かる」と、職場に出掛けてしまう人がいるかもしれません。休む人がいたらどうするかは、上司の課題です。自分の人生を生きるには「嫌われる勇気」が必要ですが、嫌われなさい、という意味ではなく、人の気持ちが分かる、時に分かり過ぎる人に、嫌われることを恐れなくていい、と言いたいのです。

そう聞くと、希望が持てるように思えます。

人は行為者(actor)である

岸見 アドラーは「人間は反応者ではなく、行為者である」と言っています。英語で言うと、反応者(reactor)ではなく、行為者(actor)です。つまり、人間は外部からの影響に反応するだけの存在ではなく、自分で決めて行動できる存在であるということです。

 過去にどんな環境にあったとしても、時間がかかったとしても、私たちは行為者となり、尊厳を取り戻していくことができるのです。

 そして周囲も、劣悪な環境で過ごしたが故に失敗を犯した人を「他人事」と思わない視点が必要です。「自分も同じ立場に置かれたら、同じことをしてしまうかもしれない」と想像してみることが大切です。

「あの人と私は違う、と思うべきではありません」と話す岸見さん
「あの人と私は違う、と思うべきではありません」と話す岸見さん
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 これは仏教の考え方ですが、「分別しない」ということが、この生きづらい世の中で求められています。「自分はあの人と違う」と思ってしまうと、そこから先に進めなくなります。「きっと自分にも同じ部分があるかもしれない」と思うところから、他者を理解し、問題を解決する糸口が見つかるはずです。

 家族や親子関係も同じです。わが子のことを「自分の子どもとは思えない」と言った父親がいました。きちんと育てたはずなのに、子どもが非行に走ってしまった、成績がこんなに悪いのはおかしいと、自分と子どもを分けて考えるのではなく、「同じ人間なんだ」と思うことが大事です。子どもに問題があり、親の理想と違ったとしても、その子どもを親以外の誰が受け止めるのでしょう。

人と人は仲間である

岸見 2019年に京都アニメーションの放火事件がありました。自分も重度のやけどを負った犯人は、医療関係者の懸命の治療を受けて、一命を取り留めました。「なぜ他人の命を奪った犯罪者を救うのか」という批判の中、瀕死(ひんし)の状態から回復した犯人は、「人からこんなに優しくしてもらったことは今までなかった」と言ったそうです。

 彼の罪は決して許されることではありませんが、もし、彼が放火に及ぶ前に誰かから優しくされ、受け入れてもらえる経験をしていたら、犯行には及ばなかったかもしれません。

アドラー心理学には「共同体感覚」という言葉がありますね。

岸見 人と人は仲間であるという考え方です。「周囲の人は危害を加えるのではなく、必要があれば援助する仲間である」という感覚を誰もが持てれば、犯罪を起こす人は少なくなるかもしれません。

 「人と会うのは嫌だ」「傷つけられるのが怖い」と思っている人は、自分の中に閉じこもり、人と交流しなくなります。

 でも、「自分は役に立たない」と思っていた人でも、「自分には価値がある」「受け入れてもらえる」と思えれば、誰かのために貢献したいと思い、世の中に出て行く勇気が持てます。対人関係はすべての悩みの根源でもありますが、一方で喜びの源泉でもあります。他者を受け入れ、自分もまた他者に何が貢献できるかを考えることが、生きるヒントになるかと思います。

取材・文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真(人)/岸見一郎さん提供 写真(本)/スタジオキャスパー

アドラ-心理学と哲学、経営学の交点

課長に昇進したけれど不安な「わたし」が、哲学者の「先生」との対話を通して、戸惑いながらも成長していく――。自信がなくていい。上下関係をなくせば、上司と部下はいいチームになれる。サイボウズ、ユーグレナ、カヤックなど、上場企業の経営トップが続々賛同!

岸見一郎(著)/小野田鶴(構成・編集)/日経BP/1980円(税込み)