2013年に発売された『嫌われる勇気』がシリーズ累計で900万部に達している哲学者・岸見一郎さん。「評価」や「競争」はどこにでもあることだからといって、それが当たり前と思ってはいけない。競争は人間の精神を損なう、哲学者の仕事は理想の柱を立てること、と話す。
仏教という言葉を使わずに伝えたかった
編集部(以下、――) 『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 (岸見一郎、古賀史健著/ダイヤモンド社)を読んで、私は仏教との共通点を感じました。本書は、人間の悩みというのは頭の中の妄想みたいなものなので、あまり振り回されないほうがいいということを、論理立てて語っています。これは「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」という言葉を残した、ブッダに通じるように思います。
岸見一郎(以下、岸見) 本書の内容が仏教的と言われたのは初めてですが、実は私自身、「仏教の『ぶ』の字も出さずに、釈尊の教えを伝えられたら」と思っていました。
高校時代は仏教系の学校に通いました。釈尊の生涯について学ぶ授業もありましたし、図書館では親鸞(しんらん)の著作を借りて読んでいました。
高校時代の担任は宗教の先生でしたが、「仏教という言葉をまったく出さずに、いつか仏教のことを書いてほしい」と言われました。私は先生との約束を果たすために本を書いているのですが、もし本書が仏教的と感じられたのでしたら、狙いが伝わったことになりますね。
このように、これまでに学んだ本や考え方と、『嫌われる勇気』が似ているという感想を述べる人がいます。
『嫌われる勇気』は、欧米ではストア派哲学の影響を受けていると言われることがあります。このように、アドラー心理学には普遍性があるので、多くの人々に受け入れられるのだと思います。
アドラーは1870年生まれ、日本では明治3年です。明治生まれのおじいさんが、「すべての対人関係は対等である」などと、画期的なことを言っていると思うと面白いですね。「対等の関係」と頭では分かっていても、人々はまだそこまで追いついていません。アドラーは、100年も200年も先を行く人でした。
哲学者の仕事は理想の柱を立てること
『嫌われる勇気』の後、当社から 『ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解』 (岸見一郎著/日経BP)、 『叱らない、ほめない、命じない。 あたらしいリーダー論』 (岸見一郎著/小野田鶴構成・編集/日経BP)という本を出されています。ビジネスの現場では、毎日のように査定や人事評価が行われ、「ほめる」「叱る」も当たり前です。そうしたことも、根本的に見直すべきなのですか。
岸見 はい。これからは見直していくべきだと思います。アドラー心理学の研究者がusualだからといってnormalなわけではないと言っています。競争は現実によく行われていることだけれど、だからといってそれが正常なわけではないのです。競争社会は人間の精神的健康を損ねます。私は競争のない社会を理想と考えます。
現実には、競争のない社会を実現するのは難しいのではないですか。
岸見 でも、多くの人は「競争社会は健全ではない」と思っていませんか。現状におかしなところがあれば変えていこうと、理想の柱を立てるのが哲学者の仕事なのです。
先ほどの2冊はビジネスリーダーの疑問に答えた本で、さまざまな悩みごとについて丁寧に答えています。仕事に評価はつきものです。仕事のできない部下に低い評価を付けること自体は仕方がないのかもしれませんが、それはあくまで「仕事のみの評価」であるべきです。
仕事の評価を超えて人物評価をするような、「お前はこんなこともできないのか」といったパワハラ的な言動は決してすべきではありません。評価をされた側も「自分という人間に価値がないのではないこと」に気づくべきです。
評価という意味では、例えばノーベル賞や芥川賞などの褒賞、オリンピックのメダル授与といった順位付けについては、どう思われますか。
岸見 研究者や作家が褒賞のために研究、執筆をしているはずはありません。スポーツについて言えば、日本がオリンピックで良い成績を収められないとすれば、メダル至上主義にとらわれているからです。もちろん、とらわれていない人は多いですが。4年間、アスリートが必死に努力をしてきたことが、短いときは数十秒で評価されてしまう。結果よりもプロセスを見なければ、選手を追い詰めることになります。
他者からの評価ばかりを気にしていると、「ほめられるか」「ほめられないか」「叱られるか」「叱られないか」のみが行動基準になります。その結果、「ほめてもらわないと動かない人」「叱られるのを恐れて挑戦しない人」が生まれます。若い人が知識や経験が足りなくて失敗するのは当たり前。どんどん失敗してほしい。
リーダーは完璧でなくていい
「私はリーダーになりたくない」「なるつもりがないのになってしまった」と悩む人がいます。また「女性をもっとリーダーに登用しよう」という機運も高まっていますが、女性のほうから「リーダーは大変そうだから」「自分には無理」と断ってしまう場合も多く見られます。どうすればいいのでしょうか。
岸見 それは女性たちが「あんなリーダーにはなりたくない」と思っているからではないですか。リーダーになったからといって、声を荒らげて部下を叱る必要はありません。「今まではロールモデルがいなかったかもしれないけれど、あなたがロールモデルになればいい」と言いたいですね。
また、男性でも女性でも、リーダーだからといって完璧である必要はありません。リーダーという役割を果たすだけであって、リーダー自体が偉いわけではありませんから。「不完全である勇気」を持ち、部下と対等な関係を築き、仕事を進めていったらいいと思います。
取材・文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真(人)/岸見一郎さん提供 写真(本)/スタジオキャスパー
課長に昇進したけれど不安な「わたし」が、哲学者の「先生」との対話を通して、戸惑いながらも成長していく――。自信がなくていい。上下関係をなくせば、上司と部下はいいチームになれる。サイボウズ、ユーグレナ、カヤックなど、上場企業の経営トップが続々賛同!
岸見一郎(著)/小野田鶴(構成・編集)/日経BP/1980円(税込み)