『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く対談「ビジネス書として読む『孫子』」。第8回は、三井住友銀行で副頭取、副会長、その後、SMBC日興証券で社長、会長と、金融業界を代表するリーダーとして長年活躍してきた清水喜彦さん。好きな言葉は、「風林火山」の後に続く「知り難きこと陰の如く」と「動くこと雷震(らいしん)の如く」。その意味とは?
人生訓は「才能と努力と運」
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 清水さんは金融業界を代表するリーダーとして長年活躍されてきましたが、まずはその原点とも言えるキャリアのスタートについてお聞かせください。
清水喜彦・SMBC日興証券元会長(以下、清水) 私は早稲田大学の出身なのですが、実は学生時代の卒論のテーマが「企業買収の意思決定」でした。1976年頃の話ですから、商学部の青木茂男教授から「君は乗っ取り屋になるつもりか」とあきれられましたよ(笑)。私は「違います。時間を買うんです」と反論して、なんとか執筆を認めてもらいました。
就職活動の時期になり、私の性格上、商社が合っていると思っていました。しかし、青木教授に「商社に行けば君のような人間ばかりだ。銀行に行けば、成功するか失敗するかのどちらかだが、面白いかもしれないぞ」と諭されました。確かに、当時の銀行員を目指す人は真面目な「石部金吉」(融通がきかない人)が多い。逆に私がそこへ行けば面白いことができるかもしれないと考え直し、銀行回りを始めました。
守屋 そこで住友銀行との縁が生まれたわけですね。
清水 ええ。最初は早稲田ラグビー部の出身で全日本の代表選手だった宿澤広朗(ラグビー日本代表チームの監督も務めた)さんが、住友銀行でリクルーターをやっておられ、ゼミの仲間7、8人で一緒に行きました。私は宿澤さんからサインをもらって満足して、翌日の面接に行くつもりはありませんでした。ところが、宿澤さんに「なんでサインのお礼に来ないんだ」と電話で怒られまして、翌朝7時に大手町の住友銀行に呼び出されて、行くと狭い部屋で4時間も待たされました。
ようやく人事部長のいる部屋へ通され、「住友銀行のイメージは?」と聞かれたので、待たされて頭に来ていた私は「噂通りえげつない銀行ですね」と啖呵(たんか)を切りました。「学生が一生をかける会社を選ぶ時期に、『ちょっとおいで』で4時間も待たされて文句を言わない奴がいたらおかしい」と。
するとその人事部長はスッと立ち上がり、「すまん。私がバタバタしていた。申し訳ない」と謝られたのです。それで私も毒気を抜かれ、少し話し込みました。その後、部屋に戻ってきた宿澤さんにヘッドロックされて、「お前、清水! 人事部長相手に何タンカ切った!」と怒られましたが、その場で「採用するから他を断れ」と言われ、入行が決まりました。
私の人生訓は「才能と努力と運」です。「運」を因数分解すると、「時代の要請」と「人との巡り合い」になります。あの人事部長や宿澤先輩との出会いがなければ、私は住友銀行には入っていなかったでしょう。
銀行のミッションとウェストポイントの教え
清水 私は銀行で、中小企業を育てたいと考えました。日本は中小企業の国です。松下(パナソニック)もホンダもソニーも、最初は中小企業でした。それを大企業にするお手伝いができるのが銀行です。
私は部下に「銀行のミッションは血管だ。血の管の中に流すのは『金』と『情報』だ」と言ってきました。金と情報を流せない銀行員はただの茶坊主です。それをやるんだったら個人のお客さんより、法人のお客さんのほうが面白いと思って、私は法人取引をやってきました。
守屋 キャリアの中で、特に印象に残っている学びはありますか。
清水 専務時代、GEのクロトンビル研修に参加した際、ウェストポイント(陸軍士官学校)へ行く機会がありました。ハドソン川が大きく曲がるところにあるウェストポイントは、アメリカ独立戦争の時に、アメリカ独立軍が陣地を築いて、イギリス軍や物資を北のカナダ連隊に送るのを止めた場所なんです。
そこでイギリス軍とアメリカ独立軍に分かれて、ディベートを行いました。私はイギリス軍担当でしたが、「独立軍の要塞を落とすことが目的ではなく、物資を北のカナダ連隊へ送ることがミッションだ」と主張し、要塞の大砲の有効射程外を通って物資を運ぶことを提案したんです。教官の大佐は、「それは考えなくていい」と言ってきたんですが、その夜、うちのチームが優勝しました。
その夜のパーティーで、教官の大佐から聞いた言葉が、その後の私の金言の一つになっています。士官学校の卒業式パーティーでは、オープニングスピーチを校長がやるんですけれど、内容が決まっているそうです。それは、「諸君は世界最強の戦士、最高の指揮官になるべく2年間血と汗を流した、しかし学んだことは3つだけだ」と。
- 1.Strategy is Story.(戦略とは物語である)
- 2.Tactics is Casting.(戦術とは配役である)
- 3.Battle is Spirits.(戦闘とは気合・根性である)
これは衝撃でした。日本人は長期計画を戦略と呼びがちですが、そうではない。「何をやりたいのか」「どんな会社にしたいのか」というストーリーこそが戦略なのです。そして、そのストーリーを実現するために「誰に何をさせるか」というキャスティング(配役)が戦術となる。いざ戦いが始まれば、最後はスピリッツ(気合)です。
これは、『孫子』の「道・天・地・将・法」もそうだと思うんですね。守屋さんも本で書かれていましたが、私はこの「道・天・地・将・法」に「兵(兵士)」と「資(資金・国力)」を加えて、7つの要素が必要だと考えていますが。
守屋 なるほど、『孫子』の「道」を、理念やパーパスと捉えれば、まさしく「Strategy is Story.」になりますね。「Tactics is Casting.」のほうは、「将(誰を将軍にするか)」や「法(組織や兵たんをどうするのか)」とつなげて考えることも可能ですね。
清水 私は三井住友銀行で副頭取、副会長、SMBC日興証券では社長と会長をやりましたけれど、必ず全員集めてまず「私はどんな会社にしたいか」と抱負を伝えてきました。銀行の支店長も4カ店10年やりましたが、就任するときに必ず、B4の紙1枚に「私の方針」「私の考え方」「私の人事評価基準」を全部書いて、「疑問があるんだったら今聞いてくれ」と言ってきました。もちろん、疑問があったらきちんと答えてきました。
では、戦略はストーリーだとして、戦術のキャスティングとは何だろうと。私は、こう考えました。「5W2H」を、はっきり指示できる人。しっかり理解させられる人。誰がどこで何を、いつまでにどのくらいの量、具体的にどういう方法で、なぜそれをやる必要があるのか。
見ていると、出来の悪い中間管理職ってね、「お前あそこ行って何かやってこい」と指示を出すんですよ。二流だと、「誰が、どこで、何を」までは言える。
「いつまでに」「どのくらいの量」を何よりも「具体的にどういう方法で」、ここまで指示できる人が一流なんです。
そして最後に、「なぜそれをやる必要があるのか」まで説明できたら、超一流ですよ。若い人は冷めているって言うけれど、私に言わせると嘘だと思っています。「なぜ」をしっかり共有し、阻害要因を取り除いてやれば、驚くほどの熱量で動いてくれますよ。
孫子「風林火山」の現代的解釈
守屋 『孫子』の言葉では、清水さんは何が一番お好きですか。
清水 私は山梨県人です。まずは「風林火山」から入るわけですよ。子供の頃からまず風林火山です。そのあと、いろいろな本を読ませていただきましたが、学者や研究者の先生が読んで気になるところと、軍人が読んで気になるところと、私らのような経済系の人間が読んで気になるところが、まったく違うんですよ。
私も『孫子』を読むタイミングによって、若いペーペーの頃と、課長の頃と、支店長や部長の頃と、経営のメンバーだった頃と、特に社長になって最終権限者になった頃と、気になる場所が全然違いました。だからこそ、何千年も読み継がれてるんだろうなと思うし、注釈する人の立場や経験、先ほどのストーリーによって、まったく違って読めるというのはすごいなと思います。
私が特に重要だと思っているのは「風林火山」、つまり「その疾(はや)きこと風の如く、その徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し(疾風のように行動するかと思えば、林のように静まりかえる。燃えさかる火のように襲撃するかと思えば、山のごとく微動だにしない)」という4センテンスの次にある「知り難きこと陰の如く」と「動くこと雷震の如く」という2つです。本来は6つセンテンスが並んでいるなかで、信玄は前半の4つだけで止めている。これは私の解釈ですが、一番重要だから、信玄はこの2つを旗印には入れなかった。
私は、「知り難きこと陰の如く」の「陰」とは「情報」のことだと解釈しています。なぜなら、「見つけ難き」とは言っていないからです。「知り難き」と言っているのだから、それは情報に違いないだろうと。
信玄は生涯で2度大負けをしていますが、最初の大負けが上田原の戦いでした。この時、敵に勝ったと思って、首実検や宴会まで始めてしまった。しかし、敵の村上義清は逃げたのではなくて、状況を見てまた突っ込んで来て、板垣信方と甘利虎泰という2人の家老が討ち死にするハメになった。「風林火山」の旗が武田軍に立ったのは、この後なんですよ。
その後に「その動くこと雷震の如く」と続きますが、「疾きこと風の如く」との違いはアーリーとファスト、「早さ」と「速さ」の違いだと解釈しています。菅原道真が詠んだ「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花」ではありませんが、風というのは季節、つまりタイミングを言っている。そうでなければ同じ「はやさ」を2度言う必要がない。
「雷震の如し」というのはまさにスピード、ファスト。私は、新規先担当で新しいお客さんを獲得するのをミッションにしていた時代が長いので、これがものすごく腹に入るんですよ。タイミングは重要だと。おとなしくする時、我慢する時は我慢しなさい。やり出したら一気呵成(かせい)でやれ。オタオタするな。情報は大事だ、と。僕はその通りだと思います。
「戦わずして人の兵を屈す」が最上の勝利
守屋 実体験から導き出された、とても説得力のある解釈だと思います。『孫子』では、他にお好きな言葉は何かありますか。
清水 あとは、「戦わずして人の兵を屈す」、つまり戦わずして勝つというのが、最上の勝利ですよね。やるからには勝たなくてはいけないんだけど、けんかして勝ってもこっちも被害が出るんだから、なるべく戦わずに勝つこと。もう一つは、やるのであれば短期決戦。
そのためには、まさに「彼を知り己を知れば」ですが、守屋さんも本に書いていますが、「敵を」ではなく「彼を」と言ってるんですよ。当時であれば周りが全部敵だから、こいつと戦って勝ったと思っても、そこで消耗したら他でやられてしまう。銀行もそうですよね。敵が一人だなんて誰が決めたの、と。それを考えたならば、「道・天・地・将・法」に「資」、つまり資力ですよ、それを使って抱き込めば一番いいに決まってるんだ。そして、そのために一番必要なのが情報だ、と。
私は、情報を3つのところから取って、3点測量します。でも、気をつけなければいけないのは、3カ所から情報を取ったつもりでも出所が1カ所だったというのもあることです。だけど、3つの方面から情報を取って、それがある程度重なる部分、このエリアは正しいんですよ。
(後編に続く)
写真/鈴木愛子
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)




