企業に求められる最も重要な要素の一つは「永続性」と語る、三谷産業の三谷忠照社長。『孫子』の教えから、「勝つことよりも、まずは負けないことを優先し、そのための打ち手を常に持っておく」という。『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く「ビジネス書として読む『孫子』」第10回後編。
最も重要な要素の一つは「永続性」
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 三谷社長が初めて『孫子』に触れたとき、どのように感じられましたか。
三谷忠照・三谷産業社長(以下、三谷) 初めて読んだのは20代前半でしたが、当時は「残酷なまでに冷酷な思想だ」と受け取った記憶があります。同時に驚いたのは、戦略の本でありながら、一貫して「極力戦うな」と説いている点でした。今でこそ「戦略とはリソース(経営資源)の配分問題である」と言語化できますが、当時は「戦わずして勝つ」という言葉の真意に、「戦略論なのに、戦わないなんてありなのか」と戸惑いすら覚えました。
守屋 そうですよね。「勝ち方」の本だと思って開くと、実は「戦わないのが最善」「負けないのもあり」と書かれている。そこは『孫子』の本質的な部分ですね。実際にアメリカのシリコンバレーなどでベンチャーに関わってこられた中で、その『孫子』の言葉が実感として響いた場面はありましたか。
三谷 大いにありました。企業に求められる最も重要な要素の一つは「永続性」です。これは古代の国家存亡と同じですね。私はシリコンバレーで、次々と新しい企業が生まれては消えていく光景を目の当たりにしました。自分自身も起業と失敗を経験しました。そうした経験を経て三谷産業に戻った際、心に決めたのは「勝つことよりも、まずは負けないことを優先し、そのための打ち手を常に持っておく」ということでした。
「負けない」ことの重要性は、特に地方社会に根ざした企業では重みが違います。私たちは地方社会に属していますから、ライバル企業であっても、現実には「一戦を交えて相手をたたき潰す」ようなことはできません。むしろ互いに協調し、共に進んでいく必要がある。
私にとって、経営者として最もさせてはいけないのは「倒産」です。だからこそ「不敗」の態勢を整える。また、戦略には「強者の戦略」が取れる領域もあれば、「弱者の戦略」しか取れない領域もあります。弱者であれば『孫子』が説くように「局地戦」に持ち込み、リソースを一点に集中投下すべきです。
今の三谷産業は多角化しているように見えますが、個々の事業にフォーカスすれば、「攻めるべきところには一点集中する」という『孫子』の教えを、私なりのスタイルで経営に落とし込んでいます。
三谷産業 代表取締役社長
守屋 三谷社長の提案で誕生したAI(人工知能)の社外取締役候補「北斗泰山(ほくとたいざん)」さん(前編「 中国古典専門AIを社外取締役候補にした狙い 」参照)ですが、実際の取締役会ではどのような受け止められ方をされているのでしょうか。
三谷 実は当初、取締役会のメンバー、特に社外役員の方々からお叱りを受けるのではないかと危惧していました。「我々は不要だということか」とか「そんなお遊びに付き合えるか」と言われてもおかしくないな、と。しかし意外なことに、社外役員の方々ほど面白がって受け入れてくださいました。
もちろん、彼の発言にはまだ稚拙な部分もあります。しかし、生身の人間にはない角度や切り口を提示してくれることがあるんです。最終的には人間の感受性や解釈があってこそですが、人と人との対話だけでは生まれない視点が出てきたり、中国古典の引用から「そういう解釈もできるのか」という気づきをもらったりすることもあります。
守屋 かなり好意的に受け止められているのですね。
三谷 そうですね。本来であれば2026年6月の株主総会で正式に就任させる選択肢もありましたが、今のところは「永遠の候補者」という立場でいいのではないか、と考えています。実務を任せるにはAIがまだ追いついていない面もありますから。
ただ、中身は常にアップデートできます。AIのエンジンが進化していけば、「顔は同じなのに、言うことが一段と深くなったね」と言われる日が来ると思います。
損得の『得』ではなく、人徳の『徳』と答える
守屋 具体的に、北斗先生が鋭いことを言ったエピソードなどはありますか。
三谷 一つ印象的な話があります。営業部門の報告で価格設定(プライシング)の考え方について議論していたときのことです。これまでの伝統的なビジネスは、コストに利益を乗せる「コスト積み上げ型」が主流でした。しかし、これからは顧客が感じる価値から逆算する「バリュー・ベース・プライシング」の考え方を取り入れていこう、という方針を打ち出したんです。
そこで北斗先生に「中国思想の観点から何か助言はあるか」と尋ねてみました。すると彼は「バリュー(価値)を考えるとき、損得の『得』ではなく、人徳の『徳』で捉えてみてはどうですか」と答えたんです。これには「おっ」と思いました。
守屋 そんなことまで言うんですね。
三谷 彼は『孫子』だけでなく『孔子(論語)』も学習させているので、その影響もあったのでしょう。しかし、「徳」という発想は、そのときの役員たちの議論の中からはまったく出てこなかったものでした。
例えば、顧客の足元を見て、「この製品を導入すればこれだけの利益が出るから、これくらいの高い価格でも買うしかないでしょう」と迫る営業スタイルもあります。論理的にはこれも「バリュー・ベース」と言えますが、北斗先生が指摘したのはそうではない。「本当にお客様に喜んでいただき、その喜びの結果として対価をいただく。それこそが本来目指すべき『徳』のあるビジネスではないか」──。そんな気づきを彼からもらいました。
このときはまさに「スマッシュヒット」でしたが、正直なところ、毎回それほどうまい返事が来るわけではありません(笑)。「なるほど」と思えるのは3、4回に1回くらいでしょうか。
守屋 なるほど、まだまだ発展途上。だからこそ今後の進化が楽しみですね。最後になりますが、三谷社長の「座右の書」を1冊教えてください。
座右の書は『韓非子』と『貞観政要』
三谷 1冊ではなく2冊ですが、『 韓非子 』(金谷治訳注/岩波文庫)と『 貞観政要 』(呉兢著/守屋洋訳/ちくま学芸文庫)ですね。
私自身の経営スタイルは、基本的には法家(韓非子)の教えにのっとっています。制度設計や目標設定、KPI(重要業績評価指標)による管理などはまさにそうです。しかし、それだけでは組織は「きつく」なってしまう。だからこそ、部下たちからの「諫言(かんげん)」や「進言」を積極的に取り入れられる存在でありたい。そのための制度や目標も、あえて作るようにしています。「仕組み」と「対話」、その両輪ですね。
最近、うちの会社は本当に変わったなと感じます。私が社長になったばかりの頃は、良くも悪くも社長の指示を待って動く会社でした。既存のルーティンは回せても、新しいことを始めるときはトップダウンでなければ動かなかった。
しかし今は、「こんなことがしたい」と社員の側から提案がたくさん上がってきます。それだけでなく、「社長、さっきのあれはいただけないですよ」と、少しずつですが、私に対して苦言を呈してくれる人も出てきました。
守屋 それは素晴らしい変化ですね。
三谷 そうなんです。私が求めているのはまさにそれです。「さっきの発言、みんなにはどう受け止められたかな?」とこちらから聞くこともありますし、そこで「ちょっと分かりにくかったかもしれません」と正直に言ってくれる人こそ、私は心理的に高く評価しています。
守屋 「信じるな」という『韓非子』の冷徹さと、「信じて任せる」という『貞観政要』の理想。その両方を同時にインプットされているわけですね。
三谷 そうですね。どちらか一方だけでは、経営は立ち行かないと思っています。
守屋 おっしゃる通りです。『貞観政要』は今、ビジネス界でも非常に人気があります。私は日本能率協会などで新任役員の研修も担当していますが、多くの古典を試した結果、最終的には『貞観政要』に落ち着きました。やはり、皆さんの心に一番刺さるようです。
三谷 守屋さんの研修では『貞観政要』を中心に教えていらっしゃるのですか。
守屋 はい、大企業の幹部向けは特にそうなっています。正確に言えば、『貞観政要』を軸にした「帝王学」で、「権力を持つと人は必ず堕落する」「下から意見が上がらなくなり、判断を誤って組織も自分もダメになる」――。そうならないためにはどうすべきか、というお話をしています。
三谷 なるほど。でも先生、私はやはり『韓非子』とセットでないとダメだと思うんです(笑)。
守屋 ええ、その通りです。中国の歴史を見ても、秦の始皇帝以来、王朝運営の基本原理は一貫して『韓非子』的な法治主義でした。「中国は儒教の国だ」と思われがちですが、実際には儒教の価値は時代によって激しく上下しています。対して、ベースにある法家の思想は揺らぎませんでした。
三谷 そのベースの上に何(理想)を乗せるか、ということですね。
守屋 そうなんです。『貞観政要』という理想に対して、『韓非子』は心が洗われるどころか、人間関係のドロドロした、すさんでいくような面を描いています(笑)。でも、それもまた真実です。おっしゃる通り、両方あってこその経営であり、組織の「ベース」はやはり『韓非子』的な仕組みにあると思います。
今日は三谷社長の深い知見を伺えて、大変勉強になりました。ありがとうございました。
写真/尾関祐治
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)




