『最高の戦略教科書 孫子』(日本経済新聞出版)の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く対談「ビジネス書として読む『孫子』」。第3回は、日本を代表する経営学者で一橋大学名誉教授の伊丹敬之さん。『 孫子に経営を読む 』(日経ビジネス人文庫)の著書もある伊丹さんが選んだ『孫子』の好きな言葉は、「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法」。経営の要諦にもつながるこの言葉の意味とは?
企業が成長しないのは経営者がだらしないから
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 伊丹先生は、経営学の領域では知らぬ者はいない大家ですが、一般の方の中にはご存じない方もいらっしゃると思うので、どのような研究をされているのか、まず教えてください。
伊丹敬之・一橋大学名誉教授(以下、伊丹) 事前の質問項目にそう書かれていて、「俺はいったい何をやってきたんだろう」と改めて振り返ったんですけど、あえて簡単に3つに分けるとすれば、1つは経営戦略の「論理化」という仕事をやってきました。経営戦略って、「データ分析しなさい」とか呪文みたいに「ああすべき、こうすべき」って書いてあるけれど、なんでそうすべきかが書いてない本が多かった。『経営戦略の論理』(日本経済新聞出版)という本を1980年に出して、この10月に第5版が日経文庫になります。
第2のジャンルは、経営学という学問分野、全体の体系化の仕事です。代表的な著作は、先日惜しくも亡くなってしまった神戸大学の加護野忠男名誉教授と共著で書いた『 ゼミナール経営学入門 』(日本経済新聞出版)という本で、これも1989年からもう36年ですかね。版を3回変えて、改訂はしましたけれど、累計で34万部となりました。おそらく経営学の歴史上、最大の、そして最後のベストセラーだと思います。
第3のジャンルは、日本的経営の、これも論理化でしょうかね。日本的経営というのは、年功序列だとか、企業別労働組合だとか、いろんなことを言う人がいるけれど、そんなので成功するんだったら、誰でも成功できるよと。そういうのをやっていた国鉄(日本国有鉄道。現・JR)とか、日本の大学がちっともうまくいってないんだから、あんなのが本質であるわけがないと。「こうだからうまくいく理由がある」という、日本的経営の背後の論理――そういう意味では僕は一生論理にこだわってきた男なんですけど――その日本的経営の話が第3のジャンルです。代表的な著書は私自身の主張を込めた本で、『 人本主義企業 変わる経営 変わらぬ原理 』(日経ビジネス人文庫)。
一橋大学名誉教授
『人本主義企業』の最大のメッセージは、「会社って誰のものですか?」。「株主のものだ」と会社法には書いてあるけれど、あれは仕方なくそう書いてあるんであって、その通り経営をやり始めたらえらいことになります。その警告の本として、『 漂流する日本企業 どこで、なにを、間違え、迷走したのか? 』(東洋経済新報社)という本を書いて、この30年、日本の企業や経済が成長しないのは結局、企業の経営者がだらしないからだと。だらしない最大の点は、「株主」の方を向いて、配当ばかり増やして、投資をしない、人件費を上げない、ってどういうことだと。これで経済成長できるわけないでしょう、というシンプルなことを書いた本があります。したがって、結構、物議をかもすことを言う男なんです。
守屋 物議をかもすというのは、どういうことなのでしょうか?
伊丹 いや、例えば、「多くの経営者は、すぐやめるべきだ」なんてことを本の最初の章で書いたりね。要するに、ちゃんと役に立ってないんだからって。
守屋 それは手厳しいですね。
伊丹 で、そういうことを、経済同友会だとか経団連だとか、いろんな講演で呼ばれたときに、講演のテーマとは関係なしに、最後に、「これまでの話はさておき、私が今日一番申し上げたいのは、皆さん早く辞めてください」と。
守屋 え、それ本当に言うんですか?
伊丹 言うんです。そうするとね、「いや、できねえ」と。「まだ、あの、若い奴が育っとらん」っていう方がおられるわけですよ。「心配ありません」と。「今の経営者がダメなんでしょ? 若い人はまだ育ってないんでしょ? 両方ともダメだっていうことじゃないですか。で、両方ともダメだったら、伸びしろのある若い人にやらせるほうがいいですよ」っていう。そんな理屈まで用意した上で言ってるものですから、ものすごいファンが、何割かいる一方、嫌ってる人もたくさんいると思います。
守屋 そんな伊丹先生が、『孫子』の本を出されたり、ご著書に『孫子』の引用をされたりしていますが、孫子を最初に読んだのはいつぐらいだったんですか?
伊丹 あんまり記憶にないんですが、最初の『経営戦略の論理』という本を1980年に出したときに、すでに『孫子』を引用しているんですよ。それから想像しますと、経営戦略の本を書かなきゃいけないということになって、じゃあ、『孫子』も兵書で、戦略のことが書いてあるはずだよなと思って、それで読んでみたっていうのが最初じゃないでしょうか。
守屋 それが、どうして『孫子に経営を読む』という本まで書くことになったのでしょうか?
伊丹 これは本の後書きに書いてありますけれど、担当編集者の方が、「書きませんか?」って言ってきたんですよ。それで、「何で俺が孫子だ?」と言ったら、「先生、初版から2版、3版、4版と毎回孫子の引用が増えています。ということは『孫子』の論理に先生、興味があるんじゃないですか? 書いてみませんか?」って言うから、「バカなこと言うんじゃない。『孫子』はただ本を読んでいるだけで、中国のこともよく知らないし、ダメダメ」ってすぐ断ったんです。でも、『孫子』を読み直してみると、案外面白いかなと思って、「まあ、じゃあやるだけやってみるわ」と言って、そしたら結構さらさら書けちゃいました。
『孫子』の好きな言葉は?
守屋 『孫子』の名言の中で、先生が一番お好きな言葉は何になりますか?
伊丹 1つはね、「戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ(敵と対峙するときは、「正」すなわち正攻法を採用し、敵を破るときは、「奇」すなわち奇襲を採用する)」。正と奇の組み合わせこそ、戦略の本質だった。本当その通りだなと思います。
それから、もう1つあげるとすれば、「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法(戦争における5つの基本要素は、道、天、地、将、法)」。この言葉は、経営学の体系、経営の要諦そのものだなと。
「道」というのは理念です。「天」と「地」というのは、これは考えるべき対象であり、何を考えるのかというと、「戦略を考えろよ」と言っているんだなと。次は「将」、つまり人材だと。それで、最後に経営の仕組みだと。「法」っていうのは経営の仕組みですから、これは経営者の考えるべきこと、ピタッとまったく一緒じゃないかと。
さらにもう1つあげると、「勝ちを知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるを知る者は勝つ。衆寡の用を識(し)る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞(ぐ)を以て不虞(ふぐ)を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ(勝利を知るには5つの事柄がある。1つ目は戦うべきか否かの判断ができること。2つ目は兵力に応じた戦いができること。3つ目は上下が心を1つに合わせていること。4つ目は万全の態勢を固めて敵の不備につけこむこと。5つ目は将軍が有能であって、君主が指揮権に干渉しないこと)」。
これも、経営の要諦をビタッと言ってますよ。「戦うべきでないときに戦わないようにする」とかね。その通りで、本当バカなことをする企業がたくさんあるんですよ。「あなたたち、そんなことやったって勝てるわけないでしょう。どこに勝てる論理があるの?」って。
守屋 そこはちょっとお聞きしたいんですけれど、確かに、バカなことをやって大失敗しちゃう会社ってあると思います。はたから見れば、それがバカなことだって一目で分かるのに、なぜ当事者になると分からなくなってしまうんでしょうか?
伊丹 いくつかパターンがあるように思います。まず、追い詰められて、どうしようもないから、もうむちゃを承知で大ばくち。ま、これなんかまだいいほうですね。もう1つは、経営者が自分の名声を残したいと思って。とんでもないバカなことを逆に成功させたら、そりゃ大評判になりますよ。そういう例は多いですよ。
守屋 ただ、経営者の方って優秀な方が多いはずで、自分の名声のためだと言っても、失敗したら名声が地に落ちちゃうわけじゃないですか。しかし、はたから見てると、「ええ?」っていうことをやってしまう。そこには、もともとの優秀さとかけ離れた何かがあるんだろうなとしか思えないんですが、この点はいかがでしょうか?
伊丹 私がやっている伊丹塾で、最近、失敗した例を書いてきた人が、今のことに対する答えになるような事例を紹介していたね。自分が役員のときに無理をして、懸命に頑張って成功させた。それと同じパターンだと本人が思っていることを、新しい状況の中で部下たちにやらせてしまう。部下たちは絶対にダメだって思っていたけれど、上司が「やれ」っていうからやって、見事失敗したと。
バカになったっていうよりは、理由が2つあるかな。まず、「なぜ自分は成功したんだろうか?」ということの論理的理解がないんですよ。そうすると、「頑張ればやれる」みたいになってしまう。もう1つは、どっかが傲慢になるんですね。「俺はああいう成功をした。俺の思うことっていうのは、周りは反対するときもあるけれど、結構正しいんだ」と。で、本当にバカなことをやって、見事失敗する。
有名な経営者でもおられますよ。ご本人も書いていますが、ユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井正さん。全国展開に成功なさるまでの戦略の緻密さは、本当に見事なものです。しかし、全国展開に成功したあと、すぐに少なくとも2つ大きな、「そんなバカな」と思うことをやった。
1つは、有機野菜の栽培をして、それをユニクロが売るんだと。「衣料品とどういう関係があるのかな。だいたい有機野菜を作れるのかな」と思っていましたが、見事大失敗。
もう1つは、海外展開の第一歩でイギリスへ進出、3年間で50店舗作るぞと。やはり見事大失敗。笑い話でね、イギリスの夏って日本よりうんと涼しいので、汗かきませんよ。そのときに、日本の蒸し暑い夏に売れるドライシャツっていうのを大量に持っていった。現場の人たちは、「なんとかやれ」って上が言うから仕方なくやってるんですよ。その2つの事例のことは、柳井さんも正直に「目がくらんで傲慢になっていた」と書いておられます。
柳井さんは負けを致命傷にしないすごい経営者
守屋 私の友人で、ユニクロの幹部をやっていた人がいました。彼が言っていたのが、「柳井さんは『 一勝九敗 』(新潮文庫)って本を出しているけれど、あれは本当は『一勝九十九敗』だと。ただし、柳井さんがすごいのは、九十九敗を致命傷にしなかったこと。それで、1つの勝ちをバーって広げていった」と。
私なりに言い換えると、『孫子』の「善く戦う者は不敗の地に立ち、而(しか)して敵の敗を失わざるなり(戦上手は、自軍を絶対不敗の態勢におき、しかも敵の隙は逃さず捉えるのだ)」、つまり不敗を守っておいて勝ちを目指すことがきちんとできる人なんだなと感じました。
伊丹 それは正しい評価でしょうね。ロンドンもあっさり撤退するし、有機野菜も3年で、すぐ撤退する。だから撤退の判断がうまいんだな。そうした人は、むちゃに見えることでもやっていいでしょう。致命傷にならないからね。
守屋 『孫子』にも、「兵の形は水に象(かたど)る(戦闘態勢は水の流れのようでなければならない)」とか、武田信玄の旗印で有名な「その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しず)かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとし。知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷霆(らいてい)のごとし」という言葉があります。柔軟性をとにかく重視していて、それがあるかないかが、結局生き残れるかどうかのもとってことなんでしょうね。
(後編に続く)
写真/尾関祐治
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)





